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正直に言う。パートナーシップなんて、正解がないから厄介なのだ。
助け合って、支え合って、歩幅をそろえて。──よく聞くフレーズだ。結婚式のスピーチか何かで聞いた気もするし、どこかの恋愛コラムでも似たようなことが書いてあった気がする。間違ってはいない。間違ってはいないのだが、それを真に受けてガチガチにやろうとすると、だいたい息が詰まる。
「響き合う関係 風の時代に育むパートナーシップ」マツダミヒロ (著), WAKANA (著)/きずな出版
というか、自分たちがそうだった。
「理想の夫婦像」なんてものを真剣に話し合って、こうしよう、ああしようと決めて、実践して。それ自体はいい。問題は、その「理想」がいつの間にか檻になることだ。
違和感が出てきても、「いや、これが正解のはずだ」と自分に言い聞かせる。相手にも言い聞かせる。で、どうなるか。疲れる。ただ、疲れる。
あるとき気づいた。「完璧な理想の形」を無理やりつくろうとすればするほど、本来の自分から離れていく。当たり前の話なのだが、渦中にいると意外と気づかない。
そこから少しずつ、考え方を変えた。
「二人でいても、自由でいていい」
「リズムが違っても、無理にそろえなくていい」
こう書くと、なんだか冷たい関係に聞こえるかもしれない。でも違う。たとえば沈黙。二人の間に沈黙が流れると、つい焦って何か話さなきゃと思う人は多いだろう。でもあれ、別に怖いものじゃない。愛の静けさ、とでも言えばいいのか。まあ、ちょっと気取りすぎか。
要するに、「自分たちにとって心地よい関係って何だろう?」という問いに切り替えたのだ。世間一般の理想像じゃなくて。
そうしたら、変わった。
何かを共有しない時間があっても、「なんで教えてくれないの」とはならなくなった。意見がすれ違っても、「どっちが正しいか」の勝負にならなくなった。「なるほど、そう感じてたんだね」──この一言が、どれだけ関係を救うか。やってみないとわからないだろうが、効果は絶大だ。
そして何より大きかったのは、「二人はこうでなければ」という正解を手放したことで、関係に余白が生まれたこと。余白。この言葉が好きだ。スケジュール帳でも、部屋の中でも、人間関係でも、余白がないとろくなことにならない。
パートナーシップにおいて大切なのは、形じゃなくて在り方だと思う。「何をしているか」より「どんな気持ちでそこにいるか」。同じであることより、お互いをそのまま認めていること。
だからこそ、私たちは常識じゃなくて感覚を大切にしている。心地よいかどうか。自分らしくいられているかどうか。一緒にいて無理がないかどうか。確認するのは、それだけだ。
理想の形に自分たちを押し込めるんじゃなくて、「どんなふうに在れたら心地よいか」で選び直す。パートナーシップは「守るもの」じゃなくて「育てるもの」だと、最近つくづく思う。
自由でいながら、深くつながっている。そんな関係、理想論に聞こえるだろうか。いや、案外そうでもない。肩の力を抜くだけでいい。「こうあるべき」を一個ずつ手放していくだけでいい。
それだけのことが、なぜか一番難しいのだが。
※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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