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日本の階級社会が変化した。その主要因は経済的格差であり、それが顕著になったのは1980年頃からである。
私の関心は現代日本における変革の構図を描き、それを実行する主体を探すことだが、そのためには現在の階級構造を把握しなければならない。なんとなれば、変革のエネルギーは階級の内部に蓄積されるからだ。
日本の階級構造について、タイムリーな本が出版された。橋本健二著、『新しい階級社会 最新データが明かす(格差拡大の果て)』(2025年 講談社)。以下、「本書」という。
この検討から始めよう。
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「本書では、互いに分け隔てられたこれらの人々のことを「階級」と呼ぶ」
(本書、P.8)
橋本の分析は意図的にそうしているのだが、静態的だ。階級という言葉を使うときには大抵動きがある。
典型的なのは階級対立だ。この対立という概念を加えて初めて変革論に接続できる。もちろん対立ばかりでなく融和もある。しかし、融和が進めば階級も消滅するから、やはり階級の恒常性は対立とともにある。
対立の根源が問われなければならないが、それを明確に示したのが『資本論』だ。
剰余価値の発見からその領有関係により資本主義社会の骨格が作られる。その領有をめぐって、『資本論』は主要な対立が労働者階級と資本家階級との間にあることを示した。
二つの階級に加えて地主階級がある。資本主義の初期の段階で資本家階級と対立した。しかし、その対立は「地代」の成立によって融和され、地主階級(主に旧支配者)は有資産階級という広い概念の中で資本家階級と一体化する。だから、マルクスの時代から、かなり最近まで階級対立といえば、労働者と資本家の対立であった。
この対立は、資本主義つまり生産手段を専有した資本家が強制的に競争を強いられる社会では解消しない。「持てるものは豊かになり、持たざる者は貧しくなる」という現代の格差の原型は『資本論』に示されている。では誰が変革の主体かといえば、労働者階級であり、この階級こそ「資本主義の墓堀人」になるはずであった。
そこで現代の日本に戻ろう。橋本の分析が正しければ、両階級の対立は著しく縮小するか、消滅した。旧来の三大階級という構成はとうの昔に崩れ、出現したのは図表1・1である。しばしば引用されることになったこの図は、2022年に行われた大都市圏を対象にした大規模の調査に基づいており、現状を静態的に示すものとして資料的価値を持つ。
出典:本書、P.28
とはいえ、いくつかの問題がある。
① 資本家階級の範囲が広すぎ、250万人いる。それは「少数の支配者」とはとてもいえない。日本の東証上場企業はプライムからグロースを合わせても約3,000社であり、社長はその数しかいない。他にも実権を持つ人々が複数いたとしても、資本家らしいのは1万人ほどだろう。もっともこれは職位でみたものだ。所得額で見れば、その数はもっと多くなるが、呼称も富裕層となり階級としての性格づけでは曖昧になる。
② 旧中間階級は昔なら農民、現代ならそれに加えて小生産者(町工場主)、そして商店主である。それらを一言で置き換えれば中小事業者であり、その存在様式はまさに多元異質群である。所得でみた上下の幅も大きい。移動が常にあるから固定した階級という枠では括りにくい。それは資本家でもなく労働者でもないという意味で中間階級であり、彼らの政治意識のバラツキも大きい。かつて労働者階級に最も鋭く対立したのは「小さな所有者」であるこの階級であった。資本家階級が政治的支配を維持するために味方につけ、対労働者の先兵となった。
③ 新中間階級。
「上から二番目に位置するのは、技術開発や商品開発、医療・教育など専門的知識に基づく業務や、組織の管理・運営などに従事する」。
(本書、P.30)
新中間階級だ。ひとつの器に種々詰め込んだ印象で、いかにも階級としてのまとまりが薄い。医師も教師も誰かに雇われていれば労働者であり、独立自営なら旧中間階級だろう。
引用の前段で示されているのは、高級サラリーマンである。開発・企画部門はエリートの集まるところだから賃金は高いし、大企業の管理職もそうだ。これらは、ヒルファディング(Rudolf Hilferding)やスウィージー(Paul M. Sweezy)が「使用人」や「ホワイトカラー」として注目していた。
「生産の本来の指揮者となりつつある使用人」
(ヒルファディング、『金融資本論』(下)P.376、1982年、岩波文庫)
有機的構成の高度化で労働者・プロレタリアートの数は相対的に減少するが、ヒルファディングが新中間階級と把握する人々は、
「経営の規模とともに同じ割合ではないにしても増加する。…新しい機械の使用は、人間労働を過剰にするが、けっして技術者による監視を不要にするものではない。」
(同上)
「株式制度の発展も最初まず同様な仕方で作用する。この発展は、指揮を所有から分離し、そして指揮を、比較的高給を支払われる賃金労働者および使用人の特殊な機能となす。」
(同上)
興味深い引用が続くが、要約すると、高賃金は労働者の出世競争への参加を促し、それが労働者の連帯意識を上回る。
スウィージーはポール・バラン(Paul Alexander Baran)との共著『独占資本』(1967年、岩波書店)でサラリーマンという言葉を使って、工場労働者とは異なる新しい存在を取り出し、それが発達した資本主義の産物であることを示した。
ここで確認しておきたいのは、橋本の示す新中間階級は高賃金労働者であることだ。
意識は上を見ているから資本家に近いが、100年も前にヒルファディングが観察しているように、資本家に登りつめる可能性は資本主義の大規模化とともに小さくなる。彼らの高学歴(図表1・2(3)学歴。本書、P.35)は生かされないのである。
④ 正規労働者階級
橋本の貢献は、労働者階級を細分化したことだ。特に、統計に基づいて下層を文字通りアンダークラスとして分離したことである。
新中間層には医師、弁護士などの専門職を入れ、というより中心に据えたので、労働者色が薄まってしまったが、すぐ前に述べたように、ここは高賃金労働者であり経営者の代理として指揮をする一群である。この部分を労働者階級から分離する見方は既に紹介したようにマルクス主義の「古典」にあった。
労働者階級の下層を独立して取り出したのは貢献である。マルクスおよび古典派の目にも、救貧法の対象になるような層を別にとらえる視点はあった。なぜ別に見たかといえば、この層には革新への意思がみられなかったからである。マルクスが期待したのは、労働者の誇りを持った、働くことに生き甲斐を感じる労働者だった。
マルクスはプロレタリアートが旧職人層の分解によって生じたという歴史的経過を注視しており、その資質がプロレタリアートに承継されているとみていた。『資本論』の献辞がウィルヘルム・ヴォルフ(Wilhelm Wolff)という当時の労働界のリーダーに向けられているのは、このことを象徴している。
前もって注目点を指摘しておけば、アンダークラスが革新的意識を持ち行動できるか。個人ではなく組織的な行動をする可能性があるかである。彼らは今のところ未組織だし、そこから動き出す気配はない。既存の労働組合が体裁を保つために呼びかけても、具体的に手を差し伸べることはない。むしろ、アンダークラスとの間にある「見えない一線」を守ろうとしている。
当然のことながら、上と下の部分を分離して残った正規労働者階級は、集団としては日々やせ細っている。この正直な結果が労働組織率の低下で、現時点では14.1%だ。現代ではストライキなどの労働争議がほとんどないから、存在そのものも見えにくい。
正規労働者とは組合費を払っていることを意味するが、多くの組合員は「何のために払っているのか」と疑問を感じている。大企業の場合に認められることだが、組合員であることはひとつ上の新中間層に登る条件であり、階級闘争とは正反対の方向である。
⑤ アンダークラス
ここには主婦パートを除いた非正規労働者が入る。平均年収は216万円だから、結婚は難しいし、結婚をしたとしても子供を育てることは単独では難しい。橋本の指摘するように労働力としての再生産が期待できない。
「賃金は、子どもを産み育てて、次世代の労働者階級を再生産するのに十分なものでなければならない。」
(本書、P.81)
「しかし現代のアンダークラスは、こうした十分な賃金を得ていない。」
(同上)
労働力の再生産に問題があるというわけだ。これは将来に向けて重大な問題なのだが、ここは外国人労働力の導入という現代でも使われている手が効いてくる。しかし、送り出す途上国の事情が変化してしまったときに問題が露呈する。AIが代替するのは新中間層の労働で、アンダークラスの代替は外国人労働者とロボットだ。橋本は他のクラス(すぐ上の正規労働者階級)からの転落によるアンダークラスへの補充を予想している。そうだとすれば社会全体の貧困化率が上昇することになる。
なぜ、アンダークラスに留まるか。「脱け出せない」というのが正しい答えだろう。確かにここに「自由」はあるのかもしれない。低賃金でも結婚しないで親の家に住み続ければ自由で労働疎外は大きくない。それはむしろ新中間層に強いことが知られている。さらの下の失業・無業クラスに落ちないで、なんとかしがみつくだけの工夫は必要だ。
自由と孤立は裏表だ。橋本は近所づきあいがなく、頼りになる人を持たないアンダークラスの状況をグラフで示している。(図表4・3(1)、(3)、(4)。本書、P.144~145)。
他人を信用していないし、相互扶助の精神も持ち合わせない。健康状態、特に精神面がよくない。では、なんとかする意識があるかというと、政治には関心がないし、支持政党もなく選挙にも行かない。現状では、ここから直ちに革新運動が発生することは望み薄だ。個人加盟で組合費が破格に安く、組織が低いコストで維持されるようなクラウド型の組織づくり、そして主体の教育が前提として必要になる。アンダークラスの賃金が正規労働者の賃金に下方硬直をもたらした。労働分配率の低下がデフレ下でも高利潤を保証したのである※1)。
※1)「企業が儲けても、従業員の賃金をあげない。…ほとんどの日本企業が同じような対応を続けてきました。」(河野龍太郎、唐鎌大輔『世界経済の死角』、P.68、2025年、幻冬舎新書)。この本は『月刊経済』で建部正義が注目している(同誌、P.135以下、2026年2月号)。
日本の資本主義は下方にしわ寄せして生き延びてきた。そのしわ寄せも国内的には限界だろう。しかし、限界とは客観的条件にすぎず、主体が確立していなければ革新は起きない。これは歴史の教訓である。
⑥ パート主婦
「生計の多くを夫に依存しており、その意味で独立した階級とはいえない」
(本書、P.30)
橋本はこう書いている。パートで働く動機は主にふたつ。家計補助、そして自らの自立。前者であれば橋本説に近いが、その場合でも夫の収入いかんでは補助とは言えなくなる。後者であれば労働者としての地位がある。家事から解放されているとは言えないが、働くことで自立への途を歩んでいる。それは新しいタイプの労働者階級である。
生活協同組合などではパート労働者の労働組合が多くみられ、かなりの活動水準を示している場合が多い。委員長、書記長に選ばれる人はそれなりの意識と指導力を持ち、団体交渉をリードしている。多くのパート労組は組織の固さを示している。家庭管理の経験から育まれた主婦の知恵は様々な工夫を生み出し、職場の創造的な改善に役立っている。
パート労働者の数は788万人、就業人口の12.3%である。またパート労働者で組合に加入している人は、2024年6月時点で164万人と増加傾向にある。企業内組合の他に個人加入のユニオン系組合が多くあり、それが全国組織を形成している。
表1 パートタイム労働者の労働組合員数及び推定組織率の推移
出典:令和7年(2025年)労働組合基礎調査の概況、厚生労働省
表1をみれば、実数も率も少しずつ上昇している。正規労働者組織の衰退とは対照的だ。橋本の分類では配偶者の有無でパート主婦の階級帰属先が異なるが、この見方には抵抗がある。
本書のP.193には、アンダークラスの「男」と「女」という表がある。注目するのは「仕事の内容に満足している」が男性47.6に対し、女性55.0と有意な高さにあることだ。「自分は幸せ」も男性48.1に対して、女性65.1とかなり高い。
賃金は低く貧困率も39.1と高いが、労働疎外ははるかに賃金が高い新中間階級の女性の63.5と、ほぼ同水準である。新中間階級に属する女性の平均年収は567万円で3倍近い開きがあるにも関わらず。パート主婦の「仕事の内容に満足している」は、55.5と正規労働者とほぼ同じである(図表5・7、本書、P.189)
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橋本が本書で明らかにしている興味深い事実のひとつが階級間移動である。
「非移動率は、一九八五年を底とする、平坦なU字型カーブを示している。人々が父親と同じ階級に所属する傾向は、一九八五年まで弱まっていたが、一九九五年から強まったのである。」
(本書、P.212)
ここに図表6・3が示されている。資本家階級の子どもは資本家になる。しかし資本主義が成長しなくなる、そして大企業化が進むとポストが減少し、それも難しくなる。年収でみると新中間階級の上位は資本家階級と遜色ないから、ここを目指す。他方、労働者階級では固定化は確認できない。下のクラスへの転落が待っているからだ。
アンダークラスになると「父はアンダークラスまたは不詳」が多くなる。なかなか、そこから逃れられない状況がうかがえる。戦後のように、「お父さんは中卒で苦労したからお前は大学に」、というのはもはや一般的でない。しかも、そのクラスに自分がいるのは約二割が「自己責任」と思っているし、努力すれば脱け出せると考えているは20%強にすぎない。(図表8・1c、d。本書、P.266)。
自己責任論を是認する人々の最大支持政党は自民党であり、維新である(自民党支持率は28.4%、維新支持率は13.3%。図表8・2c。本書、P.274)。もっとも、比率で断然大きいのは「支持政党なし」(50.4%)だ。日本の政治の右傾化が進行している背景は、右寄りの考え方が浸透しているのではなく、革新を支持しそうな人々が無気力的に現状を許容してしまっているからだろう。
小括
労使の二大階級の対立は消滅した。働く人々は高級サラリーマン、中位の勤労者、そしてアンダークラスに三分割され、結果として世の中を変革するという動態的方向性を持ったプロレタリアートはほとんど消滅した。
労働組合に加入する必要も感じない。目標が賃上げだけなら、どこかで選ばれている労働者代表に任せればよい。労働現場に象徴されるように昔の保守対革新の図式はもはやなく、環境、格差、疎外といった要素が分かち難く融合し、対立の軸が政党レベルでは見えなくなったのが今日の日本の状況である。
橋本の言うように多党化(特に野党)の背景にこうした事情がある。そもそも無党派層が最も多いのだから、支持政党で人々の考え方を整理するのは限界がある。だから、橋本は次の5つのクラスターを示す。リベラル、伝統保守、平和主義者、無関心層、新自由主義右翼。このうち注目しておかねばならないのは、最後の新自由主義右翼である。
現状はリベラルの後退、そして平和主義者の自信喪失。彼らは北朝鮮や中国の軍事的脅威のキャンペーンに対抗する理論を持たないから、全体方向としては保守化・軍事化が強くなっている。新旧あわせた右翼総合の当面の目標は日本国憲法の改正、憲法第9条の廃止であり、その声は日々高まっている。ことしの二月の総選挙の結果を見れば、その方向は強まっている。
プロレタリアートの消滅
賃金労働者を意味するドイツ語の単語が世界を変革する主体を意味するものに昇格するきっかけを与えたのは『共産党宣言』だ。それはある政治団体の依頼で主にマルクスが執筆した。1847年のことである。翌年の2月、23ページしかない原稿がロンドンで印刷された。ドイツ語で書かれたこの小冊子はパリに革命が起こる数週間前に人々の手に渡った。
しかし、ドイツにおける革命の失敗とともに、この政治的文書は表舞台から姿を消してしまう。それが復活するのはパリ・コミューンの翌年、1872年だ。反乱の主謀者を裁く裁判で、検察側が法廷証拠として『共産党宣言』を引用したため、合法的に大量の印刷が可能になったという皮肉なエピソードがある。
予期せぬ権力の応援を得て『宣言』は世界に広まり、現在までに約30の言語で数百の版が発行され、それに伴ってプロレタリアートという言葉も変革の主体を示すものとして世界に広まった。
プロレタリアートという言葉が人々の背中を押したのは『宣言』の最後の一行である。それは冒頭の一行「ヨーロッパに共産主義という妖怪が徘徊している」とともに有名で世界に広まった。
「プロレタリアは、革命において鎖のほか失うべきものをもたない」
そのプロレタリアが150年後の今日、先進国では消滅した。それは、彼らが持つものを持つことになり、それを失うことを嫌ったからである。もちろん所有物のなかに生産手段は入っていなかったが、小さな土地を持った小農がそれを守ろうとしたように、人々は小さくはあるが、せっかく手に入れた自分のものを失うことを恐れた。
先進国に限定したことだが、高い利潤率は労働分配率を上昇させた。また資本主義の支配階級は、その政治的支配力を議会制度の下で維持するために労働者階級の部分的な支持が必要だった。レーニンのプロパガンダは労働貴族なる階層の出現を指摘し、批判の対象としたが、実際には少数の「貴族」に加えて、資本家階級と共存・共栄しようとする労働者が拡大した。
第一次世界大戦後、労働者階級は革命を目指す勢力と、漸進的な変革を目指す社会民主主義の勢力に二分され、歴史の過程で勝利したのは後者であり、20世紀の終わりのソビエトの崩壊はそれを決定的にした。
マルクスが『経済学批判』で主張したこと、すなわちプロレタリアが未来を創り出す、「資本主義の墓堀人」になるというのは黙示録のそれであり証明できない形而上学的なテーゼであった、とニーバー(Reinhold Niebuhr)は主張している(『道徳的人間と非道徳的社会』、2024年、岩波書店)。
しかし、マルクス主義の主張がすべて否定されたのではない。次の社会の可能性は、実現する主体の有無にかかわらず、私達の前に置かれている。いまのところ、ただ置かれているだけだが。
『資本論』の中心カテゴリーである搾取はなくなっていない。それは国内の資本家と労働者という対立の舞台から飛躍し、国境を超えて拡大したのである。新中間階級は被搾取の領域から逃れ出たところに発生するが、それは経済的解放にすぎず、精神の搾取からも解放された訳ではない。彼らは、おそらく資本家階級も含めて「空腹」ではなかったが、疎外から解放されているのではなかった。
しかし失うリスクが彼らの行動を控えさせた。資本家の側に立つことを潔しとしない人々は好んで漸進的な路線を支持した。しばらくは資本家階級と社会民主主義が妥協を繰り返しながら併存した。これが現代までの歴史である。
結びに替えて
労働者階級のプロレタリアート性が低下・衰弱により二大階級の対立という図式は描けなくなった。しかし、資本主義が強化されているわけでもなく、むしろ搾取などの主要矛盾は激化している。環境問題・社会問題への対応が首尾よく展開しないことをみても、資本主義が自分の足だけでは立てないことは、現状を客観的にみれば否定しがたい。
資本主義が、そうであるにもかかわらず体制として保っているのは、代替するはずであった社会主義の失敗と、資本主義に代わる「THE NEXT」が構想されないからである。現在の資本主義は経済成長を実現できない停滞状況にあり、シュトレーク(Wolfgang Streeck)の言う、単なる「時間稼ぎ」で生きているだけなのである。
将来の構想とともに必要なのが主体の形成であるが、それを考えるのに基本的知識を与えてくれたのが、本書であった。しかし、それは静態的に描かれており変革の主体を云々するには不足しているものがある。
課題を列挙しておこう。
- 労働組合の衰退と右傾化。若者の不参加、幹部の堕落、高齢化、運動のマンネリ化。
- 新中間階級。転落と上昇による分化。
- 旧中間階級。日本の農民・農村。
- 各層に散在するインテリ層。変革の理論的主柱。
- 外側にいる市民。NPO、NGO等。
- 統合の中心的イデオロギー。階級対立に替わるもの。
- 科学技術の進展、特にAIの発展と未来構想。
- アンダークラスが革新の主役になる条件。
- 日本の知的水準の低下、教育問題。学級崩壊、家庭崩壊。
- 組織と個人。ニーバーの問題提起。
- 階級間の連携の可能性を高めるもの。
- グローバルな時代の変革における一国主義の限界。
- 変革は一時的にも経済的後退を生み出さないか。
- 勤勉性の復活、エンゲージメントの高まり。
- 組織と個人の問題を超えた「組織」。
- 環境問題・人口問題。
- イノベーションの推進、変革と併行して。
- 変革の過程で格差拡大を止める保証。
- 軍隊との対話、武器なき変革、クーデターの防止。過渡的国家権力の在り方。
- どこまで私的所有、どこから共有の線引き。
- 経営の必要性は不変。「THE NEXT」での経営者像。
- 労働時間の短縮と人々のするべき事。
(続く)