今回から不定期だが、感動した言葉やコメントを紹介し、それに対する感想や関連したことについてコラムを書いていきたい。第1回は、大紀元時報に9月23日に掲載されていた脱北者のパク・ヨンミさんの言葉だ。

パク・ヨンミさん Wikipediaより
彼女は米Foxニュースに対し、米学生の間で共産主義思想が広まっている点を指摘し、「学生たちはしばしばエアコンの効いた快適な教室で共産主義理論を学んでいる」と指摘、米学生たちが共産主義国家の実態を知らないことに不安と懸念を吐露している。

1848年2月、ロンドンで出版された「共産党宣言」表紙、Wikipediaから
彼女は北朝鮮から逃れる前は、「毎日真の社会主義体制の支配下で生きなければならなかった。このシステムが現実に導入されると、決して良いことではないと私はよく知っている。多くの人は理論的なレベルでは良いとしか思っていないが、もし本当に共産主義的政府が政権を握り、政策を実施したら、国民にどんな影響を与えるのか全く分かっていない」と述べている。
ヨンミさんの証を読んで、米大学で共産主義思想が危険レベルまで拡散してきていることを改めて知った。「エアコンの効いた快適な教室で共産主義理論を学んでいる」というヨンミさんの言葉を聞いた時、日本共産党機関紙「赤旗」に毎週小論文を書いていた日本共産党の元書記長ら指導者たちの事を思い出した。夏にはクーラー、冬には暖房がある快適な書斎で資本主義社会への批判の論文を赤旗日曜版に書いている彼らの姿を頭で描きながら、「米学生たちと同じだ」と思った。
欧州の共産主義政党が冷戦の終焉後、衰退していったのは歴史的事実だ。欧州の国民も冷戦時代、旧ソ連・東欧諸国の共産政権の実態を目撃し、時には亡命者の赤裸々な証を通じて学んできた。冷戦時代、旧ソ連・東欧共産圏から約200万人の政治亡命者を収容してきた中立国オーストリアでは戦後から現在まで連邦レベルで共産党が議席を獲得したことがないのは決して偶然ではない。
オーストリア国民は共産主義、共産党が如何なる政党、世界観を有し、国民を粛清、処刑してきたかを知っている。難しいマルクス・レーニン主義を理解していなくても、共産主義世界観の実態を目撃してきたのだ。共産主義者が如何に美辞麗句を繰り返したとしても、オーストリア国民の心を捉えることはできないのだ。一方、日本の共産主義者は中国共産党や北朝鮮の独裁政権を隣国として接しているが、その実態を肌で感じる機会が少ないこともあって、依然共産主義思想を信じているわけだ(「『共産党』を“誤解”している友へ」2015年11月08日参考)。

共産主義が急速に台頭していた1920、30年代、「果てしなき逃走」「ラデツキー行進曲」「聖なる酔っぱらいの伝説」などの作品で知られている作家ヨーゼフ・ロート(1894年~1939年)は一時期、ジャーナリストとして様々な地を訪問し、紀行文などを新聞に掲載していた、ロートは労働者の天国を標榜する共産主義思想に惹かれていたが、モスクワなど各地を現地取材し、共産主義社会の実態を目撃、強く失望した経過を書いていた。当時世界的なベストセラー作家だったシュテファン・ツヴァイク(1881年~1942年)も同様だった。トルストイ生誕100年(1928年)で旧ソ連政府に招待された時、共産党独裁の実態を目撃している。
旧ソ連・東欧共産圏が崩壊して既に35年以上が経過する。共産圏時代の実態を知っている世代は少なくなってきた。米大学で共産主義思想に心が惹かれる学生たちは冷戦時代の共産主義社会の実態をほとんど知らない。一方、冷戦時代で共産主義世界に勝利したと豪語してきた欧米民主主義社会も腐敗、堕落が拡散している。資本主義社会での貧富の格差も益々拡大してきた。そのような社会に生きている学生たちが「人間の顔した社会主義」(チェコのアレクサンデル・ドゥプチェク第一書記)、人道主義的な共産主義思想というラッパに心を踊り出しているのだ。
それゆえに、パク・ヨンミさんの証は貴重だ。共産党、共産主義者の笑みに騙されてはならない。北朝鮮ではキリスト教徒は祈りすら禁止されている。中国共産党政権下では、法輪功メンバーが弾圧され、彼らの臓器が強制的に摘出されているのだ。米学生たちが当然と考えている「言論・結社の自由」、「信教の自由」といった基本的人権が共産主義を標榜する国では抹殺されているのだ(「北のクリスチャンの『祈り方』」2015年9月21日参考)。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年9月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







コメント
米国の恵まれた学生がエアコンの効いた部屋で共産主義を学ぶのは、現在の共産主義国家の実態を思えば、不思議な姿であるように思えるでしょう。
でも一方で、今日の先進各国も内部に様々な問題を抱えており、これを何とかしなければいけない、と考えることはおかしなことではない。理想の社会を追い求めることは、恵まれた人間にとって義務であるとする考え方もあります。ノブレス・オブリージュ、ですね(本来は、高貴なものの義務ですけど、ここは、恵まれた人たちの務め、くらいに考えておきましょう)。貴族の子弟が革命に殉ずるなんてことは、歴史上多々ありました。
もちろん、かつて考えられていた理想的な共産主義が実現不能であることは、すでに明らかになってしまった。今の日本共産党は、かつての資産で食いつないでいます、というのが実体ではないでしょうか。
今風に言えば、マネタイズといいますか。すでに役目を終わってしまった政治運動といえども、そこに資産が残っている限り、これを現金化することはできるのですね。そういえば、最近の他の野党某党の皆さんも、マネタイズには余念がない御様子で。
本来は、左寄りの人たちに今必要なことは、お得意の「アウフヘーベン」なのですけどね。共産主義の矛盾を止揚して、新しい政治運動につなげなくてはいけない。
まあ、最初からお金のために掲げたインチキな思想であったというなら、止揚のし様もないのですが。