- 患者への批判は筋違い:新藤加菜区議は事前に病院へ相談し、医師の判断に従って受診した。医療資源の配分まで患者に責任を負わせるべきではない。
- かかりつけ医は患者のための制度:患者が自由に選ぶものであり、大学病院をかかりつけとすることも否定されない。重要なのは夜間や緊急時に実際に機能することだ。
- 議員への忖度を疑う根拠はない:政治家への医療上の優遇は一般論として存在しても、今回の受診で特別扱いがあった証拠は示されていない。
- 医療者の専門性は患者への優越性ではない:患者の受診体験や感謝の発信にまで医療者の価値観を押し付けるのは本末転倒だ。
- 変えるべきは患者ではなく医療制度:軽症患者の受診抑制は自己負担や受け入れ基準の見直しなどで対応すべきだ。医療は患者のためにあり、患者が医療に忖度する必要はない。

病院に感謝した議員が、医師から叱られた
10月23日夜、港区議の新藤加菜氏が、発熱で慶應義塾大学病院を受診し、インフルエンザA型と診断された。本人はXで「大学病院は安心だ」「救急なのに保険適用で3850円」と、病院への感謝を投稿した。
これに医師を中心とする批判が殺到した。インフルエンザ程度で大学病院の夜間救急を使うな。かかりつけ医を利用すべきだ。議員がこんな発信をすれば安易な受診を助長する。議員だから病院に忖度されたのだ、それに気づかないのか――。
本人の説明によれば、経緯はこうだ。議員になる前から慶應に定期通院している。体調が悪化し、まず慶應に電話した。往診サービスにも申し込んだが、既往歴を伝えると普段かかっている病院を勧められた。再び慶應に電話し、当直医が救急外来の状況を確認したうえで受け入れを判断したという。
会計についても確認しておく。慶應義塾大学病院は、医療者の判断ではなく患者の希望で時間外に受診した場合、診療費とは別に1万1000円の特別料金を求めている。ただし、病院の医師が時間外の受診を指示した場合は対象外だ。新藤氏の説明は、この免除規定と整合する。少なくとも、3850円という会計だけを根拠に特別扱いを疑う理由はない。
いったい、患者の何が悪かったのか
熱が出てつらい患者が、通院先に電話で相談し、病院の判断に従って受診した。実際にインフルエンザだった。そして、病院に感謝した。
正直に言って、私には今回の批判がほとんど理解できない。
議論は、大学病院の役割、夜間救急のあり方、かかりつけ医、選定療養費、SNSでの発信、議員特権と多岐にわたる。すべてを論じる紙幅はない。ここでは三つに絞る。
患者への非難は妥当か。
かかりつけ医は誰のための制度か。
そして、議員忖度論に根拠はあるか。
患者への非難は妥当か
患者が求めるのは、つらい症状を和らげ、必要な医療を受けることだ。地域全体の医療資源の配分まで考えて最適な受診先を選べ、というのは、医療者と行政の仕事を患者に肩代わりさせるに等しい。
どの患者を受け入れ、誰を優先するかを判断するのは医療機関である。そして慶應義塾大学病院は、その判断の仕組みを自ら設けている。自力で来院する患者には事前の電話を求め、医師が電話で症状を確認し、救急受診の必要性が低いと判断すれば後日の予約受診を案内する。通院中の患者には、主治医の指示に従うよう求めている。
新藤氏は、この関門を通って受け入れられた。
病院の判断に従って受診した患者を、外野の医師が非難する。この構図そのものが奇妙ではないか。非難するなら、患者のどの行為が不適切だったのかを具体的に示すべきだ。
大学病院の救急が大変なことは、私も医師の一人として知っている。
だが、現場が大変であることは、病気になった患者に遠慮を求める理由にはならない。大変なら、声を上げるべき相手は患者ではない。
制度であり、それを設計する国である。
かかりつけ医は誰のための制度か
批判の多くは、大学病院ではなくかかりつけ医を通すべきだった、というものだった。大学病院を「かかりつけ」と呼ぶこと自体がおかしい、という声もあった。では、そこまで患者に利用を求めるかかりつけ医とは、一体どれほどのものなのか。
まず、言葉の定義を確認しておこう。日本医師会自身が、かかりつけ医とは患者が医師を表現する言葉であり、「患者さんの自由な意思によって選択されます」と明言している。厚生労働省も、自分が信頼できると思った医師ならかかりつけ医と呼んでよく、一人に決める必要もないと説明している。大学病院に長年通う患者が、そこをかかりつけと呼んで何が悪いのか。別に診療所の医師を持てと求める根拠は、制度のどこにもない。
次に、その機能である。日本医師会は、24時間365日安心して相談・受診できるよう、地域の医師同士で連携する体制をとると約束している。厚労省も、休日や夜間も患者に対応できる体制の構築を、かかりつけ医の機能に掲げている。
では今回、既往歴のある患者が夜間に発熱したとき、その体制はどこにあったのか。往診は受け皿にならず、患者は結局、通院先の病院に戻るほかなかった。かかりつけ医の理念を説くのはたやすい。だが、患者に必要なのは理念ではなく、困ったときに実際に使える医療である。
医療法は国民にも、医療機関の機能分担を理解し、適切に医療を受けるよう努めることを求めている。だが、これは努力義務であって、特定の診療所を経由せよという命令ではない。通院先に電話し、医師の判断に従って受診したことは、むしろその模範ではないか。
かかりつけ医は、患者が安心を得るための道具である。医療者が患者に守らせる受診ルールではない。役に立つなら、患者は放っておいても使う。制度が患者のために機能しているかを検証する前に、患者に制度への服従を求めるのは本末転倒だ。
議員忖度論に根拠はあるか
悠翔会理事長の佐々木淳医師は、新藤氏に向けた投稿で、議員特権とは本人が感じる利益ではなく周囲が感じる圧力であり、多くの医療者は議員への忖度を経験している、と指摘した。
基礎疾患のある通院が困難な患者さんに在宅で安心して生活を継続いただける環境を提供するのが私たち在宅医療の仕事です。
平時からの計画的健康管理に加え、急変時は24時間体制でトリアージし、往診し、自宅で診断し、患者さんの病状とご家族の介護力に応じた治療の選択肢を提供します。
これにより「インフルエンザくらいで大学病院を受診するようなケース」を抑制し、救急医療、高度医療のキャパシティを守るのが私たちの地域医療におけるミッションです。
区議なんですよね。ご自身の無学を開陳される前に、地域医療と、そしてしかるべき受療行動について勉強されたほうがよいと思います。
私は画像やウェブサイトの引用をいただいても別になんとも思いませんが、このような発信には一般市民の方の中には圧力を感じ、口をつぐむ方もいると思います。公人としては避けるべきだと思います。
議員特権などないとおっしゃっておられますが、それはあなたが感じる利益ではなく、周囲が感じる圧力です。
そして多くの医療者は議員への忖度を経験しています。ご存知ないなら、この機会に認識いただいたほうが良いと思います。根拠も示さずとおっしゃいますが、保険医療、地域医療おける「原則外」が重なっていることを当然だと思われていますか?
まずは体調の回復を優先してください。
そして引き続き、誰もが安心して暮らし続けられる地域づくり、超高齢社会における理想の地域医療の提供体制の構築へのお力添えをお願いいたします。— 佐々木 淳 @医療法人社団悠翔会 理事長・診療部長 (@junsasakimdt) October 24, 2026
さらに別の投稿では、政治家などのVIP患者が医学的必要性以外の理由で優先されうることを示す海外の研究を紹介し、今回の区議の受診もそれに当たると述べている。
議員を含む、いわゆる「VIP患者への優遇」、医学的必要性以外の理由による優先アクセスについては、「VIP症候群(VIP syndrome)」として1960年代から研究されているようです。
とりあえず3つご紹介します。
1. 政治家は、医学的必要性とは別に優先されるのか
Alterらが、オンタリオ州の医師と病院経営責任者を対象に循環器医療への優先アクセスを調査。回答者は788人、回答率は71.3%。
医師の80%超、病院経営責任者の53%が、医学的必要性以外の理由で優先された患者の診療・対応に関与した経験。
優先されやすいと回答された対象は、担当医との個人的なつながりがある人93%、著名人85%、そして政治家83%。Alter DA, et al. *Ann Intern Med.* 1998;129:567–572
2 患者本人のみならず、病院内部からも圧力がかかる
Allen-Dickerらが病院総合診療医174人を調査。VIPサービスがあると回答した医師のうち、各設問への回答では、
VIP患者・家族から医学的に不要と考える検査や治療を求める圧力を感じた(63%)、病院職員・関係者から、そのような要求に応じる圧力を感じた(36%)、一般患者よりVIP患者のほうが、不要な検査・治療の要求に応じやすい(56%)でした。
米国においてもこんな感じなので、民間病院が多く忖度文化の強い日本ではさらに数字が大きいのではないかと推測します。
Allen-Dicker J, et al. *J Hosp Med.* 2017;12:177–179
3 明示的な要求がなくても、医療側の心理が変わる
米国のがんセンターで、医師患者を診療した経験のある医師21人に面接した研究。ここには政治家は含まれません。
81%が、医師患者には迅速な受診などの特権があると回答。
57%が、通常の患者より「失望させてはいけない」という圧力を感じたと回答。
一方、通常の治療計画を変更したと述べた医師はいませんでした。政治家を対象にした研究ではありませんが、地位や関係性によってアクセスや医師の心理が変わっても、本人は「診療は変えていない」と認識しうるという、いわゆる「忖度」に近い問題を考える材料になるかもしれません。
Avinger AM, et al. *JAMA Netw Open.* 2022; doi:10.1001/jamanetworkopen.2022.36914.
現時点で言えるのは、社会的地位による優先や圧力は、単なる印象論ではなく、調査で繰り返し報告されているということです。これは、日本の多くの医療者自身の認識と一致する結果だと思います。
医療現場での政治家への配慮が一切不要であるとは思いません。
例えば、警備や他の患者のプライバシーを守るために待機場所を分けたり、公務の日程に合わせて予約を調整したりすることには、合理性がある場合があります。
一方、医学的な緊急性が低いのに他の患者を後回しにするなら、それは地位を理由とする優遇です。今回の区議さんの場合にはこちらに相当すると思います。
判断の核心は、その配慮について他の患者に納得のできる説明できるかだと思います。また、明示的な依頼よりも、医療側の忖度のほうが見えにくい問題です。「関係を悪くしたくない」「将来、便宜を得られるかもしれない」という動機があっても、表向きは「柔軟な対応」と説明できてしまう。本人から要求がなくても、医療側が自ら公平性を崩すことはままあります。
そして忖度されているご本人は、それを当然のことと思っておられることも少なくないように思います。思う通りにいかないときに、感情を露わにされる方も時折経験しますが、忖度されている状況が常態であるために、ほんとうに優遇されてきたということに気付けていないのかもしれません。
医療者にできること、医療者がやるべきことは、医療の倫理原則に則り、粛粛と診療を続けることだと思います。
そしてそれが合理的に行われているにもかかわらず、不利益を被ることがないよう、理不尽な圧力から医療者を守る仕組みも同時に必要だと思います。— 佐々木 淳 @医療法人社団悠翔会 理事長・診療部長 (@junsasakimdt) October 25, 2026
社会的地位によって診療の順番が変わるなら問題である。その問題意識自体は理解できる。
しかし、研究が示しているのは、そうした優遇が医療現場で一般に起こりうるという傾向だ。今回の個別の事例で優遇があった証拠ではない。
他の患者が後回しにされた事実も、議員という身分を理由に受け入れが決まった事実も示されていない。全体の傾向から個人を「優遇された」と断定するのは、属性による決めつけそのものである。
仮に病院が一方的に忖度したとしても、本人が優遇を求めたのでない限り、それは病院の公平性の問題だ。佐々木医師自身、医療者は倫理原則に則って粛々と診療を続けるべきであり、医療者を理不尽な圧力から守る仕組みが必要だと結んでいる。対処すべきは医療機関の側だという点で、私も異論はない。
ならば、なぜ矛先が受診した患者に向くのか。
ここで、医療者の倫理を思い出したい。世界医師会のジュネーブ宣言は、年齢や疾病、信条、国籍に加え、政治的所属や社会的地位を、医師としての責務と患者との間に介在させないことを誓わせている。2017年にこの宣言が改訂されたとき、世界医師会の会長を務めていたのは、日本医師会長でもあった横倉義武氏である。

この原則は、政治家を優遇するなというだけではない。政治家だからといって不利に扱うな、という意味でもある。
議員の政治活動や発信を批判するのは自由だ。だが、議員という属性を理由に、一般の患者には求めない受診の自粛まで求めるのは、医療者としての公平性と整合するのだろうか。
「安心だった」「3850円だった」という投稿に、誤解を避ける補足の余地はあったかもしれない。だが、それは本人の体験談である。
影響力のある医療法人の理事長が、公の場で患者に「ご自身の無学を開陳される前に」と書くほどのことだろうか。それこそ、自分の受診体験を語ろうとする一般の患者を口ごもらせる発信である。
患者が誰であろうと、等しく向き合う。それこそが医療者の矜持ではないのか。
批判に共通するもの
並べてみると、奇妙な構図が浮かび上がる。
受診すれば、医療資源を考えろと言われる。
安心したと言えば、大学病院の役割を考えろと言われる。
安かったと言えば、他の患者への影響を考えろと言われる。
特権などないと言えば、医療者が感じる圧力を考えろと言われる。
反論すれば、議員なのだから発信に配慮しろと言われる。
一つひとつには、それなりの理屈がある。しかし共通しているのは、患者が自分の病気や体験について判断し、発言するたびに、医療者の事情への配慮を求められていることだ。
患者は病院に感謝した。
求められたのは、感謝ではなく忖度だった。
コロナ禍にも、「医療を守る」という言葉が繰り返された。医療従事者への感謝を示すため、ブルーインパルスまで空を飛んだ。医療者の仕事が重要であることは間違いない。しかし、医療という仕事の重要性が、いつのまにか医療者自身の価値判断の優越性にすり替わってはいないだろうか。
医師が医学の専門家であることに異論はない。だが、専門性が認められるのは医学的な判断についてである。患者がどこを受診し、何を感じ、何を語るべきか。その価値判断について、医療者が患者の上に立つわけではない。
変えるべきは患者ではなく、医療制度だ
医療資源を大切にすることには賛成だ。私自身、医療費や社会保険料の抑制を主張してきた。しかし批判すべきは制度であって、制度に従ってその恩恵を受けた個人ではない。
大学病院への軽症受診を減らしたいなら、選定療養費や時間外の自己負担、受け入れ基準を見直せばよい。一次救急へのアクセスが悪いなら、改善すればよい。インフルエンザのような疾患なら、薬剤師による検査や投薬を認めるという権限移譲も選択肢になる。
患者に忖度を求めなければ維持できない医療なら、一度壊れたほうがいい。壊すべきは医療そのものではない。
医療を守るという名目で患者に忖度を強いる、その仕組みと常識である。患者の善意に頼るのをやめ、価格と制度で誘導すればよい。
病気になった患者が、医療機関に相談し、医師の判断に従って診察を受け、感謝した。その患者に、医療の都合を理解しろ、議員なのだから配慮しろと言うのはおかしい。
医療制度に問題があるなら、制度を変えればよい。
医療は患者のためにある。患者が医療のために存在するのではない。
編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2026年10月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。







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