ヴァツラフ・ハヴェル生誕90年を迎えて

今年10月でチェコスロバキア元大統領のヴァツラフ・ハヴェル(1936年10月~2011年12月)の生誕90年を迎えた。ハヴェルは旧チェコスロバキア共産党政権崩壊直後の最初の民主選出大統領(1989~92年)であり、連邦解体後、チェコ初代大統領(1993年~2003年)を務めた。ハヴェルは東欧の民主改革の立役者としてポーランドの自主管理労組「連帯」の指導者レフ・ワレサ氏と共に国際社会で多くの名誉と称賛を勝ち得てきた。

チェコスロバキアの民主化を実現したヴァツラフ・ハヴェル、1988年8月、プラハのハヴェル氏宅で撮影

ハヴェルは反体制派グループ「憲章77」のリーダーであり、劇作家だった。「憲章77」とは1977年、ハヴェル、哲学者ヤン・パトチカ、同国の自由化路線「プラハの春」時代の外相だったイジー・ハーイェクらが発起人となって、人権尊重を明記した「ヘルシンキ宣言」の遵守を求めた文書だ。挫折した「プラハの春」後の第2弾のチェコの民主化運動の出発点となった。そして1989年11月、ハヴェルら反体制派知識人、元外交官、ローマ・カトリック教会聖職者、学生たちが結集し、共産政権に民主化を要求して立ち上がっていった。これが通称“ビロード革命”と呼ばれる民主革命だ。「人間の顔をした社会主義」を標榜したチェコ共産党第1書記ドプチェクがやり遂げられなかった自由化路線をハヴェルらは引き継ぎ、実現した。

カトリック教国のポーランド人が「信仰」を盾に共産党政権と戦ったのに対し、チェコのハヴェルらは「個人の良心と理性」を武器に戦った。今年1月に開催されたスイスのダボス会議で演説したカナダのマーク・カーニー首相は、ハヴェルの思想,「力なき者たちのパワー」(The Power of the Powerless)を紹介していたが、「宗教を介さずに、個人の内面的な正義感で行動する生き方こそ、チェコの知識人が最も誇りとする哲学」といわれる。

チェコスロバキアは冷戦時代は「チェコ共和国」と「スロバキア共和国」から成るチェコスロバキア連邦国家であり、チェコとスロバキア両民族は兄弟関係だったが、民族の気質は異なっている。1989年11月の民主化プロセス(ビロード革命)でもチェコでは民主化後初代大統領となったヴェーツラフ・ハヴェルら知識人を中心とした政治運動が、スロバキアではキリスト信者たちの信教の自由運動がその民主化の核を形成していった。

ところで、中欧のチェコではローマ・カトリック教会の信者数は少なく、教会への社会的受容が低いことは周知の事実だ。ワシントンDCのシンクタンク「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査によると、チェコでは無神論者、不可知論者などを含む無宗教の割合が76.4%となり、キリスト教文化圏の国で考えられないほど高いことから、「チェコは世界的に最も世俗化した国」と言われるゆえんだ。

ただし、チェコは欧州で最も世俗国家といわれるチェコ国民が生来、無宗教者、無神論者だというわけではない。人間の理性を超えた精神的世界への関心は他民族と同様、強い。例えば、ハヴェルは生涯、無宗教者だった。トマーシェック枢機卿(当時)は「私は彼を信者にしようとしたが出来なかった」と述懐していた。そのハヴェルは「組織化された宗教には属さないが、極めて精神的(スピリチュアル)な人間だった」といわれた。

このコラム欄でも何度か書いてきたが、当方は「プラハの春」20周年を迎えた1988年8月、プラハのモルダウ川沿いにあったハヴェルのアパートで単独会見した。ハヴェルの自宅周辺は私服警察によって厳重に監視されていたこともあって、当方はかなり緊張した。約30分間ほどのインタビューだった。当方はハヴェルから自筆サインをもらうと、素早くアパートから離れた。

また、ハヴェルが1989年、プラハのヤン・フス像広場でデモ集会した日を思いだす。私服警官がデモに参加する市民らを監視していた。広場には緊迫感が漂う。1台の小型車が広場に近づき、車から誰かが降りてきた。ハヴェルだ。彼は直ぐにフス像に近づき、天に向かってVサインをした。すると広場にいた多数の市民が一斉にハヴェルのところに集まった。私服警官はハヴェルの周囲を囲む、ハヴェルは紙を出して何かを読み上げた。当方は写真を撮ろうとしたが、私服警官がカメラの前にきて妨害。集会は短時間で解散させられた。多くの市民が拘束された。

ハヴェルはタバコを手から離さない。共産政権下の反体制活動家にはヘビー・スモーカーが多いが、ハヴェルもその1人だった。彼は通算5年間の刑務所生活を送っている。喫煙は唯一の楽しみだったという。しかし、それがハヴェルの健康を害した。2011年12月18日、75歳で死去した。葬儀(国葬)にはクリントン元米大統領夫妻(当時)、サルコジ仏大統領(同)ら欧米社会の首脳たちが参列した。

ちなみに、ハヴェルと45年間付き添ってきたオルガ夫人が亡くなった時、ハヴェルは、「オルガは自分にとって妻だけではなく、母親であり、姉だった。常に自分の傍にあって支えてくれた人間だった」と述べている。ハヴェルは刑務所に拘留されていた時、3歳年上の妻オルガに手紙を書いた。後日、「オルガへの手紙」となってまとめられ出版されている。ハヴェルはオルガ夫人が亡くなると、その1年半後、女優と再婚した。その時、多くのチェコ国民はオルガゆえにハヴェルの再婚を歓迎しなかった。

ハヴェルは労働者階級の出身ではなく、裕福な資産家の家庭出身者だ。彼は自由を愛し、ドラマを書いた。そのハヴェルが反体制派活動家となり、最後は大統領になった。歴史がハヴェルを使い、東欧共産圏の民主改革を推し進めていったのだろう。ハヴェルは本来、政治家ではなかった。彼自身、「自分は冒険家ではない。ひょっとしたら歴史の中で出てきた間違った登場人物ではないか。自分の人生の歩みは童話であり、悲劇であり、喜劇だ」と語っている。

チェコ国民はハヴェルを敬愛してきた。それは、大統領時代の功績というより、反体制派活動家として民主化のため命がけで戦った人間・ハヴェルの姿を忘れることができないからだ。それは当方にとっても同様だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年11月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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