イギリス政府が、大西洋奴隷貿易への関与について正式な謝罪を検討するという。ただし、金銭賠償には応じない構えだ。AFPの報道によると、バーナム英首相は、英連邦の未来のために過去と向き合う必要があると表明した。一方、直接関与していない現代のイギリス民に、過去の行為の責任を負わせるべきではないとして、賠償を否定した。

バーナム首相(AFP)
歴史上の加害を認めることには意味がある。しかし、そこで避けられなくなるのが、もう一つの問いだ。奴隷貿易について謝罪を検討するなら、インドの植民地支配についてはどう考えるのか。
インド支配もイギリスの国家責任である
イギリスによるインド支配は、東インド会社という民間企業だけの問題ではない。イギリス議会の解説は、1857年の反乱について、会社による抑圧的な統治への抵抗であり、その鎮圧には過度に残虐な行為が伴ったと説明している。
その後、1858年に統治権と軍隊はイギリス王室に移管された。1947年の独立まで続く直接統治について、イギリス政府の責任はまぬがれない。
象徴的なのが、1919年のアムリツァル虐殺である。ジャリアンワラ・バーグに集まっていた群衆にイギリス軍が発砲し、イギリス側の公式集計でも379人が死亡した。イギリス議会自身が、この事件を歴史資料とともに紹介している。
2019年、当時のメイ首相は事件を英印関係の歴史に残る恥ずべき傷と位置づけ、深い遺憾を表明した。ただし、その声明で用いられたのは「遺憾」であり、正式な謝罪とは区別されてきた。被害を認めながら、どの言葉まで踏み込むのかを慎重に選ぶ姿勢が、ここにも表れている。
虐殺だけを反省すれば済むのか
植民地支配の問題は、個別の虐殺事件に尽きない。1943年のベンガル飢饉では、約300万人が死亡したと推計されている。歴史研究では、戦争による経済や社会の混乱に加え、植民地当局の対応が被害を深刻化させたことが指摘されている。原因や責任の配分には検証が必要だが、単なる自然災害として片づけられる問題ではない。
特定の残虐行為への謝罪にとどめるのか。それとも、現地の人々が自分たちの政治を決める権利を奪われていた統治の仕組みまで問うのか。インド支配を考えるなら、後者の問いを避けるべきではない。
国民個人の罪と国家の責任は違う
現代のイギリス民が、祖先の行為について個人的な罪を負うわけではないが、個人に罪がないことと、国家として過去に対応する必要がないことは別問題だ。国家は世代を超えて、資産や制度、国際的な地位を引き継ぐ。
その継続性を利益について認めるなら、過去の加害についても、説明と検証を引き継ぐべきだろう。法的責任の有無や範囲、誰を対象とするか、損害をどう算定するかは、別途議論しなければならない。賠償しなくても、資料公開、歴史教育、被害を受けた地域との共同研究など、取り得る対応はある。
奴隷貿易には向き合うが、インド支配には従来の遺憾表明で済ませるなら、その違いを説明する必要がある。イギリスが過去と向き合うというなら、インドの人々が経験した植民地支配も、その対話の対象に含めるべきである。







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