「ざまあみろ」と思った自分を責めるのはもうやめないか

同僚がやらかしたと聞いて「ざまあみろ」と思ったことはあるだろうか。私はある。ない人がいたら手を挙げてほしい(たぶん少数派だ)。

先日Xで「上司が部長に詰められているのを見て少し笑った自分が嫌い」という投稿が流れてきた。妙に共感の返信が多かった。みんな同じなのだ。

『脳を休めればすべてがうまく回り出す』(大嶋信頼 著)WAVE出版

話は脳の本に飛ぶ。最近読んだ本にこの「ざまあみろ」の正体が書いてあった。要するに脳の中で2人の子どもがだだをこねているのだという。

たとえはY字路である。右に行けばおいしいラーメン屋があり左には何もない。そりゃ右だ。ところが本によれば脳内では「右に行く」も「左に行く」も同時に盛り上がっている。そこへなだめ役の抑制性ニューロンが入って片方を鎮める。だから人は選べるのだそうだ。

本はなだめ役の声を子どもをあやす口調にたとえている。「左に行きたい」とだだをこねる子に「行っても行かなくてもいいよ」と声をかけると落ち着く。ここが妙にリアルだ。「行っちゃダメ」と叱ったら泣き出すに決まっている。

余談だがこれは怪しい話でもないらしい。京都大学の2021年4月の研究発表にも、脳の新皮質は多数の興奮性ニューロンと少数の抑制性ニューロンでできているとある。なだめ役はいつも少数派なのだ。会社と同じである。

「かわいそう」と「ざまあみろ」も同じ構図で2人の子どもが引っ張り合ってなだめ役が間に合っていない。本はこれを「脳が休めていない」と呼ぶ。

問題はここからだ。「人の不幸を喜ぶなんて不謹慎だ」と自分を責めるほどなだめ役は働かなくなるという。なだめ役は「思っても思わなくてもいい」という優しい口調でしか動かない。説教されると黙り込む。これも会社と同じだ。

ここで一言いわせてほしい。世の自己啓発は「ネガティブな感情を手放せ」と言いすぎる。手放せと言われて手放せる人はそもそも悩んでいない。私は書評でこの手の本を山ほど読んできたが手放せた試しがない。手放そうとするほど握りしめる。人間はそういうふうにできている。

だから「ざまあみろ」と思ったら「思ってもいいし思わなくてもいい」とつぶやいてみる。それで脳が休まるのか正直まだ半信半疑だ。でも自分を責めて眠れない夜よりはましだろう。あなたはどう思う?

※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調に編集し直しています。

尾藤克之(コラムニスト、作家)

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