「格差社会」の謎 - 松本徹三

松本 徹三

池田先生のブログを読んでいる中で、小倉さんという方が、「過去6年間のうちに、労働者が『階級間闘争』に敗れて、結果として格差が拡大した」という趣旨のことをおっしゃっておられることを知り、正直に言って大変驚きました。一方では、小林多喜二の「蟹工船」が最近突然よく読まれだしたということも、勿論既に聞いており、私ももう一度読んでみました。そこで感じたのは、タイムスリップを経験したような、何とも奇妙な違和感です。小林多喜二が執筆中だった頃の下層労働者の悲惨な生活水準に比べれば、現在の一時的失業者の生活水準は、ここ半世紀あまりの経済の底上げにより、比較にならないほど高いものです。不当な「格差」は、どんな時でも人々を「憤り」に駆り立てますが、誤った経済運営で生活水準自体が下がれば、「憤り」だけでは済まず、想像以上に悲惨な生活を送らなければならなくなります。(労働者が「階級間闘争」に勝利した筈の北朝鮮の一般大衆の生活を羨む日本人は先ずいないだろうことには、如何にノスタルジックな「進歩的文化人」の先生方でも議論の余地はないでしょう。)


現時点で世界の多くの人達が学んだのは、「マルクスやレーニンは勘違いをしていたのであり、消去法で行くと、経済運営は『基本的に市場原理に任せる資本主義』をベースにするしかない」ということです。但し、資本主義と言っても、『市場原理』への対応の仕方に色々なやり方があり、その時々の状況や国の政策の巧拙により、成功や失敗があるということが広く知られています。かつての日本は、終身雇用制に特徴付けられるような「日本的な資本主義」で驚異的な経済成長を遂げ、世界を驚かせました。韓国や台湾もこれに倣い、独裁的な軍事政権下で同様の成長を遂げ、現在は、中国が共産党一党独裁下で、急速な成長路線を歩んでいます。(とにかく、世界中がマイナス成長を覚悟している中で、「二桁成長が一桁に落ちる」ことがショックであるというのですから、中国はたいしたものです。)

私はアメリカの会社に10年近くも勤めたせいか、全てのことをグローバルベースで見るのが習い性になっていますが、日本の中の議論は、おおむね極めて小さな枠の中での議論になっているように思えます。「格差」ということについて言うなら、日本は極めて格差の小さな社会で、過去の数年間で若干「格差」が拡大したということがもし仮にあったとしても、世界的な規模で見れば殆ど誤差の範囲です。そもそも、「官」から「民」への移行と「市場重視」を若干加速させた「小泉改革」自体が、かつて中国の�殀小平が行った「改革開放路線の導入」に比べれば極めて小規模なものであり、世界経済への影響ということから言えば、全く比較になりません。

「格差」という話をするときに必ず参照されるのは、イタリア人の統計学者であるCorrado Giniが提唱した「ジニ係数」と言う指標ですが、たまたま2-3年前に私が目にした2004年の統計に基く数字では、Denmark が0.23で最も低く、Finlandが0.25でこれに続き、日、仏、独が大体0.27-0.28、英国が0.34-0.35、米国が0.37-0.38、中国は0.50程度、一番高かったのが、アフリカのNambia共和国が0.71だったと記憶します。ジニ係数の算出には、極めて複雑な計算が必要である上に、その計算方式も必ずしも確立されたものでなく、計算の基礎となる数字もまちまちですから、正確な国際比較をすることは不可能ですが、大体0.2台であれば格差の比較的少ない先進国、0.3台が比較的大きい先進国、0.5を越えると社会的な不満が爆発する危険を内蔵していると言われています。(その点から言って、現在の中国は危険水域だと言う人もいます。) ジニ係数が0.00というのは、全ての国民の所得が均一であるということを意味し、1.00というのは、一人の人間が国の全所得を独占しているということを意味するので、共に現実には存在しえないと思いますが、ジニ係数が0.10程度というような牧歌的な集落は、存在し得ないとは言えないかもしれません。しかし、このような牧歌的な社会では、経済発展をもたらす刺激はなく、従って物質的な生活水準は恐らくきわめて低い水準にとどまるでしょう。ということは、総合的な評価では、「ジニ係数は低ければ低いほど良い」ということでは必ずしもないのです。

日本共産党のサイトを見ると、「日本のジニ係数は急速に米国のそれに近づきつつあり、日本の格差は今やアメリカ並との見方もある。これは小泉政権などが国民を無視して強行している構造改革路線のせいである」というようなことが書かれていますが、あの程度のまだ始まったばかりの些細な改革で0.27だったジニ係数が0.37まで跳ね上がるというようなことは、常識では一寸考えられず、是非とも計算根拠を示してほしいものです。また、日本共産党にすれば、ジニ係数を0.50程度まで引き上げた「改革開放路線」を推進した�殀小平などは、恐らく「階級闘争の裏切り者」であり「人民の敵」なのでしょうが、その評価も出来れば同じサイトで公表していただきたいものです。

松本徹三
(ソフトバンクモバイル副社長 ‐ 但し、このブログは個人として投稿しており、勤務している会社の見解を代表するものではありません。)