史上空前の大観衆を感動させたオバマ大統領の就任演説を「アメリカの政治家は弁舌に長けている」と書いた日本の新聞があったが、私には賛成できない。名演説は一人の雄弁家だけで出来る事ではなく、背後にある高邁な理念と聴衆からの信頼を必要とする。
「言論(スピーチ)こそ、人を説得し、転向させ、屈服させる力である」とは、
「言論(スピーチ)こそ、人を説得し、転向させ、屈服させる力である」とはラルフ・ウオルドー・エマーソンが残した言葉だ。民主政治は、説得と納得を通じた治世が原則で、説得力は民主政治の指導者にとっては必須の条件である。説得による民主政治より、手っ取り早い権力や法律に頼って統治しがちな日本で名演説が生まれない理由は、解らないでもない。
英国下院議場の与野党の議席は、2.5メートル離れて対峙している。紛争を決闘で解決していた中世の伝統を廃止して、議会の論戦を通して争いを解決する議会制度が誕生した時、決闘時代の象徴として、剣二本の長さにあたる2.5メートルの距離を置いて与党と野党が向い合う現在の議場が出来上がったのだ。
大統領制度を採用するアメリカも「言論(スピーチ)と言う武器」を使って多くの危機を克服して来た歴史がある。国民を感動させ、説得する名演説は、WMD(大量破壊兵器)ならぬ「民主国家のWMC(大量建設兵器)」なのだ。
名演説で国民を惹き付ける影響力は法律の比ではない。それだけに、アメリカの指導者は、演説の推敲には大きなエネルギーを費やす。何人ものスピーチ・ライターを抱えた経験のあるフランクリン・ルーズベルトは、1933年の大統領就任演説で「我々が恐るべき唯一のものは、恐れるということ、そのものである」という、後世に残る名演説で国民の心を掴み、「三つのR- Relief(救済) Recovery(回復)Reform(改革)」政策を通じて、恐慌による大量失業から国民を解放した。
ルーズベルトに限らず、アメリカの指導者の多くは、黒子の役割を果たす専用のスピーチ・ライターを雇っている。「祖国に依存する事はやめ、祖国の為に自分が出来ることは何かを考えようではないか 」という名文句で国民を魅了した1961年のケネデイー大統領就任演説は、テッド・ソーレンセンの手によるものだった。「In dreams begins responsibility (責任感は夢に始まる)」というイエーツの言葉に触発されたキング牧師の「I have a dream」を枕言葉にしたスピーチの骨格を作り上げた影の役者は、当時共産党員の疑いをかけられFBIの尾行を受けていた スタンリー・レビソンだと言われている。
今回のオバマ演説の黒子は、ジョン・ファブローと言うカナダ系アメリカ人の青年だ。1981年生まれのこの青年は、2003年にホーリー・クロス大学を首席で卒業した翌年、民主党の大統領候補に選出されたケリー候補の選挙スタッフに志願、そのケリー候補が、当時イリノイ州の地方議員であったオバマ氏を民主党の党大会の基調演説者に抜擢した事が機縁で、オバマ大統領との出会いが実現した。今回の演説は、オバマ大統領から演説の骨子とビジョンについての説明を受けたファブローが、数週間の時間をかけて史実を調べ、多くの権威者の意見を参考にして原稿を書き上げたものだ。勿論、最終稿が出来上がるまでには、二人で膝を突き合わせ、何度も推敲を重ねている。
しかし、如何に才能に恵まれたスピーチ・ライターを抱え、雄弁で鳴らした指導者でも、理念の高さと国民に対する忠誠心がなければ、真に国民の共感を得るような名演説は出来ない。日本の現状では、自分の言葉に責任を持つという習慣が育っておらず、首相から放送記者に至るまで、何事につけ原稿に頼らなければ発言できない状態なのだから、名演説は生まれるべくもないのかも知れない。
今から九年前、経済白書の巻頭言で「情報技術は、コンピューターを利用している点では制御技術と共通しているが、その最大の貢献は、社会における人と人との出会いを促進する事にある」と強調したのは、当時の経済企画庁長官だった堺屋太一氏だったが、情報技術では世界でも一流のレベルにありながら、世界の人と人との出会いを促進できるような名演説が生まれるべくもない我国の現状には、慨嘆せざるを得ない。
「言論」と、それがもたらす「人と人との出会い」は、民主主義の礎であり、国民と指導者との絶え間ない対話なしには民主主義は成立しない。オバマ演説は、明らかに現在の米国社会における「人と人との出会い」を促進したが、同じようなことが日本で起こるのは、一体何時になるのだろうか?
ニューヨークにて、北村隆司