「失われた10年」の本当の教訓 - 池田信夫

池田 信夫

大きな期待をもって迎えられたオバマ政権ですが、早くも暗雲がたちこめてきました。財政政策は「バラマキだ」と議会に批判され、金融政策は「中身がない」と株式市場から売り浴びせられました。どんな大統領でも、今みたいなときにベストの答を出せるとは思えませんが、オバマが「日本の『失われた10年』の轍は踏まない」と言うのを聞くと、「本当に日本の90年代を知ってるの?」とテレビに向かって突っ込みたくなります。


誤った教訓の典型は、クルーグマンの次のような話です:

日本に感謝する必要があると考える。経済危機が起こりうるという現実と、その際にどういった政策が効果的で、何が効果的でないかを示してくれたからだ。 90年代の日本の経験とは、政府の財政出動が、根本的な解決にはならないまでも経済にかかる圧力をかなり軽減したということだ。

こんな話は、学問的な論文はおろかメディアの論評にも出てこない。実証研究によれば「公共事業を中心とする巨額の財政出動は、建設業など非効率な業種への人口移動を起して日本の労働生産性を低下させた」というのが定型的事実です。したがってオバマ政権の8000億ドルにのぼる公共事業も、大した効果はないでしょう。むしろマーケットが恐れるように、財政赤字の拡大によって資本逃避とドル暴落が起こるリスクがあります。

金融政策も、日本のtoo small, too littleを意識して、金額だけは2兆ドルとか大きいけど、中身が曖昧でよくわからない。落第生が後輩に説教する資格はないのですが、どうもアメリカの政策当局は日本の失敗をきちんと勉強してないような気がします。では何を読めばいいのか・・・というと、これが困る。英文で書かれた本どころか、論文もほとんどないのです。

マクロ経済学の論文の代表作はHayashi-Prescottでしょうが、これはReal Business Cycleというかなり特殊な仮説をもとにしており、そのまま政策には応用できません。金融政策についてまとめたものとしては、現日銀理事の中曽宏氏がBISで書いた論文がよくまとまっていますが、これは逆に日銀の公式見解で、おもしろくもおかしくもない。

実は、日本語でもろくなものがないのです。マクロ経済学の実証研究でもっとも現実性があるのは香西・宮川だと思いますが、マクロ統計では90年代のドロドロした状況はとらえられない。私の読んだ範囲では、西野智彦『経済暗雲』がもっとも的確な90年代の歴史叙述です。

私もかつてジャーナリストとして渦中にいた体験からいうと、マクロ政策は(金融・財政を問わず)ほとんどきかない、というのが日本の教訓です。圧倒的に重要なのは金融システムの再建で、これは1930年代とも同じです。最大の失敗は、大蔵省が80年代に捨てるべきだった護送船団行政を90年代まで持ち越し、不良債権処理をその延長上でやろうとしたことです。この失敗は、さいわいアメリカとは無縁です。

しかし他方、Economist誌が指摘するように、日本が世界最大の純債権国だったのに対して、今のアメリカは世界最大の純債務国というハンディキャップを負っており、大規模な財政・金融政策はとりにくい。トルストイの有名な言葉になぞらえると、好況はいつも同じように好況ですが、不況はそれぞれに不況なのでしょう。しかし世界に対する責任を果たす上でも、日本が90年代の歴史をきちんと総括すべきだと思います。