北村さんの記事から「小泉改革と地方格差」というお題をいただいて、考えてみました。「構造改革で地方が疲弊した」というのは、よく聞かれる批判です。自民党の政治家が言っているのは、バラマキ公共事業が減ったという話で同情の余地はないのですが、地方が衰退していることは事実です。しかし農家への所得補償で「地方を元気にする」という民主党の政策は、新たなバラマキになるおそれが強い。
人口の都市集中を抑制する「国土の均衡ある発展」を国策に掲げたのは、1970年代の田中角栄以来の全国総合開発計画ですが、これによって日本の成長率が低下したという1970年体制論が、経済学では有力です。図のように1970年代以降、人口の都市集中が止まるのと並行して、実質成長率が低下しました。これは生産性の高い都市に労働人口が移ることによって人的資源が再配分される移動の経済性が失われたためです。
図でもわかるように、小泉政権の時代に人口の都市への集中は止まり、都市から地方に(公共事業で)逆流しています。これが日本の成長率が低下した一つの原因です。つまり地方(というか日本全体)が疲弊したのは構造改革のためではなく、改革しなかったためなのです。世間で思われているほど、小泉政権で行なわれた改革は(よくも悪くも)大した効果を上げず、大部分はその後の政権で元に戻ってしましました。
だから誤解を恐れずにいえば、地方はもっと(経済の自然な流れにそって)衰退してもおかしくないのです。もちろん農村に住んでいる老人は今さら動けないでしょうが、大都市で勉強した有能な若者は、大都市で就職することが望ましい。地方に「Uターン」させると、ホワイトカラーには行政かその下請けのような仕事しかないのが実情です。
20世紀までの国家のモデルだった主権国家(領土国家)システムはもう時代にあわなくなり、これからは都市国家の時代です。東京のライバルは大阪ではなく北京であり、札幌のライバルは大連や台北です。もちろんすべての労働人口が大都市に集まることは物理的に不可能なので、都市の階層化が進むでしょう。付加価値の高い情報産業や金融業が東京に集まり、その次ぐらいのサービス業が地方中核都市に集まり、製造業は日本の地方都市とアジアの製造拠点が競争し、それ以外の農村はリゾートなどで生きていくしかない。
したがって公共事業も地方に満遍なくばらまくのではなく、大都市圏と地方中核都市に重点配分すべきです。東京の一人あたり公共事業費は島根県の1.5倍しかなく、世界にも例をみない「通勤地獄」が解消されない。これではアジアの都市と競争できるはずがありません。それ以外の地方都市では、むしろ自然環境を保全することに予算を使うべきです。日本全国の海岸をコンクリートで埋め立てる港湾事業や、必要もないダムを造り続ける治水事業は、税金の浪費であるばかりでなく国土の破壊です。
もちろん、これは政治的には困難です。国会議員の定数が地方に片寄っているからです。したがって都市を活性化するには、公職選挙法を改正して国勢調査で機械的に議員定数を再配分するシステムに変える必要があるでしょう。これはどこの国でもやっている改革であり、日本にできないことはないと思います。それができなければ、都市も地方も仲よく沈没してゆくだけです。