所詮一過性の事件とは言え、海外で中川前財務大臣の泥酔事件報道に接して肩身の狭い思いをしたのは私だけではあるまい。それ以外にも、アメリカから見る日本の政治家の言動には気になる事が多い。最近一番気になるのは、鳩山邦夫総務大臣に見え隠れする全体主義的権力志向である。
「かんぽの宿」や、「東京中央郵便局」に関する問題提起自体については、論議する価値は十分あると思う。しかし、不公正の具体的中身に触れず、文化財の定義を端折った鳩山大臣の「筋違いで高圧的な態度」と、「途中で勝手にルール変更する不公正さ」は看過出来ない。
発展途上国に投資をする時の最大のリスクの一つは、政治の意向で規則が勝手に変更される事である。日本でもこのリスクが有る事を鮮明にした鳩山総務相の手法は、日本が発展途上国に後退した象徴的事件である。この問題を世界のメデイアが取り上げたら、日本の信用の失墜は中川事件の非ではない。
要するに、鳩山総務相にはフェア・プレイの精神が不在なのだ。新渡戸稲造博士はその著「武士道」の中で「武士道とは高き身分の者に伴う義務を指し、その職業および日常生活において守るべき道を意味する。中でもフェア・プレイの精神は全ての道徳の礎石であり、フェア・プレイ精神に欠ける人間は『卑怯者』という、人間にとっては最も侮辱的なレッテルを貼られる」と指摘している。大臣は公権力を持った「高い身分」であるが、フェア・プレイ精神を欠けば暴君に過ぎない。
先ず、「かんぽの宿」のことである。この入札は総務省の監督の下に行われたのであるから、不公正が在ったとすれば、先ずは総務省の責任が明らかにされねばならない。それ故に、鳩山大臣自身が衆院予算委員会で監督不行き届きを認めて謝罪したのである。しかし、その舌の根も乾かぬうち、「その時は一括譲渡とか具体的なことは書いてなかった。天に唾する形になっても、正義のために戦い続ける」と強弁し、挙句の果ては、あたかもオリックスの宮内社長に不正があったが如き発言までする始末。「では、あの謝罪はなんだったのか?」ということになる。
それだけではない、総務大臣の要求に応じて郵政公社が提出した膨大な資料を前に「未だ読んでいないが、弁解のオンパレードだ」と言うに至っては、正気の沙汰とは思えない。これでは内外から政治不信を呼ぶのも当たり前である。
もし、本当に正義のために戦いたいのであれば、鳩山氏は先ず総務大臣の職を辞した上で、一議員として戦うべきではないのか? しかし、そもそもこの件は、「雇用の確保と、債務の継続を条件にした入札で、この条件を無視して不動産価格だけで落札価格の不適正を主張する」事自体が支離滅裂である。この暴論の正当性を、総務大臣の権力によって問答無用でけりをつけようとしているとしたら暴君そのものである。
時あたかも、アフリカ某国の暴君とイメージをダブらせるような光景をテレビ映像で目にして愕然とした。東京中央郵便局の改装現場を訪れ、「誰だ!こんなにぶっ壊した奴は!」と居合わせた労働者を恫喝する鳩山大臣の姿がそれだった。その後の記者会見で、「もう一日遅かったら、取り返しの付かないことになっていた。自分が危機一髪のところでこれを止めたのだ」と誇らしげに語っていた。
彼の主観による「取り返しの付かないこと」の意味は不明だが、改装工事は彼の認可を受けて、きちんとした民主主義の手順に従って行われて来た事を忘れて貰っては困る。文化財的意義、再開発の必要性、私人(企業も含む)の財産権等の権利関係は常に微妙な問題である。だからこそ、その処理方針は一大臣の主観によって決められるべきものではなく、民主主義的な手順によって審議され決定される制度が存在するのである。
ところで、「この強引な手法は、かつての『郵政一家』に迎合する為ではないか」と疑問に思うのは私の偏見であろうか? もし、そうではなく、鳩山総務大臣に、「正義の為に戦う」心意気が本当にあるのならば、この際、「大樹会」の資金の流れのからくりこそを明らかにして欲しいものである
郵政改革以前の特定郵便局長はほぼ全員世襲制で、自宅を局舎として使用する代償として公金を使って法外な家賃を局長に支払っていた。一方、特定郵便局長は「大樹会」と言う政治活動団体を作り、公務員に禁止されている政治活動を行い土建業と並ぶ集票マシーンとして活躍した。特定郵便局長から集めた年会費で運営された大樹会からは、多額の政治資金が自民党を中心とする特定政治家に献金されて来た経緯もある。明らかに公金を使った迂回献金の疑いを持たれても不思議ではあるまい。規模の大きさや権力の介入度合いを考えると、西松建設事件より遥かに悪質である。
鳩山大臣個人の資質の低さや個人的スキャンダルは別としても、民主主義否定の問題発言が余りにも多過ぎる事の方が問題である。法務大臣時代の死刑自動執行論、児童ポルノ禁止論と関連しての「表現の自由制限論」、アルカイダの友人発言で福田首相に謝罪した後の記者会見での居直り。志布志事件の「冤罪」否定発言。そして極めつけは、「自分が田中角栄の秘書時代は毎日の様にペンタゴンがやってきて食事をご馳走になり、私は一円も払っていない」という発言である。通常の国であればスパイ又は反逆の疑いで取調べを受ける処だ。
信用の危機といわれる現在の世界的経済危機を迎えた今、私が総務大臣としての彼を不信任する理由は、彼の資質の低さを問題にしているからではない。総務省のトップという地位を利用して「郵政一家」への利益誘導を図っているのでは?という疑い、謝罪を挨拶代わりに使って反省が無い言葉の軽さ、目に余る公権力の乱用などが日本の信用を傷つける極めて危険な人物だと危惧するからである。
大隈重信の暗殺を謀った右翼テロ集団玄洋社の幹部出身の曽祖父や、京都大学総長の反対を無視して、文部大臣の公権力を乱用して滝川教授を京都大学から追放した祖父鳩山一郎を尊敬しているとすれば、鳩山総務相の全体主義的DNAが気にかかる事も告白しておく。
ニューヨークより 北村隆司