「携帯コンテンツ決済」論議の不思議 - 松本徹三

松本 徹三

私は、これまでにも繰り返し、「何故、通信に関連することになると普通のビジネスの常識が通用せず、特殊な議論が多くなるのか」をいぶかしく思うということを申し上げて参りましたが、今回もその延長線上にある議論です。数日前の日経に「携帯コンテンツの決済」などについて議論する「モバイルプラットフォーム協議会」に関する記事が出ていますが、この議論もその範疇にあるように感じられたからです。


この議論は総務省が後押ししていますが、元はといえば、ドコモのiモードの公式コンテンツから外れたコンテンツプロバイダーなどの不満を、総務省が汲み上げようとしたのではないかと思います。従って、私は、このことで「余計なお節介」といって総務省を非難するつもりは毛頭ありません。弱者を助けようとする総務省の姿勢は正当に評価されるべきです。しかし、「現在の9%の手数料は高すぎる」とか「通信事業者が自らの判断でコンテンツを選定するのは手前勝手である」という議論は、「携帯通信網と携帯端末を利用したデータサービス」の本質を理解していないことからくる、「勘違いの議論」だと思います。

ドコモは世界に先駆けて「iモード」というサービスを発足させたのですが、ここで、「利用者にはコンテンツ料金を請求出来るものとし、その料金はドコモが通信料と一緒に一括徴収するが、自らの取り分として9%を差し引いた残額は、全てコンテンツの供給者に対して支払う」というルールを作ったのです。私は、現在はドコモの競争相手であるソフトバンクに勤務していますから、ドコモのことを誉めそやすのは正直に言うとあまり気が進まないのですが、当時は米国のクアルコムに勤めており、このビジネスモデルに心底感服しました。携帯データサービスの振興に積極的だった米国本社のトップも同様であり、ドコモの見識に対する賛美の声を、私は多くの人達から聞きました。

ところが、欧米の通信事業者は、このドコモの方針にほぼ一様に疑問を持ちました。一言で言うなら、通信事業者の取り分として「9%は低すぎる」と彼等は思ったのです。結果として欧米の通信事業者は、自らコンテンツを購入し、それがどれだけの売れるかについては自らリスクをとるかわりに、平均して30-40%、場合によれば50%もが、自らの「手残り」となるようなビジネスモデルを構築したのです。日本ではこの9%が「徴収代行手数料」と考えられているようですが、欧米ではそのように考える人はおらず、これは「携帯ネットワークに巨額の投資をした通信事業者」と、「それを利用して自らの商品を販売できるコンテンツ供給者」との間で取り決める「仕切値」であると理解されています。

報道によると、JCBなどは、自分達がやれば、徴収料は5%で済み、9%より安くなると言っているようですが、それでは、コンテンツ供給者にとって、「コンテンツを伝送する通信ネットワーク」や「iモードのプラットフォーム」の価値はゼロだということなのでしょうか? そういうものの見返りはパケット代で取っているじゃあないかといわれるかもしれませんが、今やパケット代はフラットレート(使い放題の定額制)が普通になりつつあり、それだけで全てを回収するのは困難でしょう。また、画面の小さい携帯端末では、パソコンのようにバナー広告をバンバン張っていくことも出来ませんから、パソコン向けのビジネスモデルと比較するのもフェアとは言えません。

いや、そんなことよりも、もっと基本的な問題は、ここでも「物の値段というものは、コストに適正利潤を上乗せしたものであるべき」という、独占企業体を律するためのルールに基づいた議論がなされているということです。公正競争が保証された普通の資本主義体制下では、「物の値段は、供給者が需給の実態を見ながら自らの判断で決める」ものです。市場が自分の商品を評価しており、高い値段でも売れると判断すれば、大きな利益を上乗せした値段にするでしょうし、そんなに欲張ると誰も買わなくなり、在庫の山を抱える羽目になると判断すれば、値段を下げ、場合によればコスト割れの値段で売ることさえあるのです。欧米の通信事業者がドコモのビジネスモデルを評価しなかったのには、「もっと高くても売れるはずのものを安くしてしまっている」という不満があったこともあると思います。

iモードの9%と比較すべきは、勿論JCBのパソコンモデルなどではなく、iPhoneのApp Storeで商品を売るコンテンツ供給者に課せられる30%でしょう。iPhoneはユーザーからのコンテンツ料の徴収については、パソコンモデル(クレジットカードなどでの支払い)をそのまま使っていますが、コンテンツの供給者には、徴収した金額から30%を差し引いて支払っています。つまり、iPhoneのプラットフォームの価値をそのように評価せよといっているわけです。この料率は高いようにも思えますが、世界中のコンテンツ供給者はこれを妥当と見做したものと思われ、毎日、膨大な量のコンテンツが、このルールに従って供給されています。日本の或るゲームソフトベンダーは、「一発で世界中に供給してもらえることを考えれば、とても安いといえる」と評価しています。このことを考えると、ドコモに求められるのは、9%を値下げすることではなく、むしろApp Storeのように、コンテンツ供給者の為に、一発で世界中に供給できるような体制を作ってあげることなのかもしれません。

話は戻りますが、10年前にクアルコムなどがドコモのiモードを評価したのは、9%という「非常に低い料率」ではなく、「ユーザーに人気のあるコンテンツを提供したベンダーは多くの利益を上げ、駄目だったベンダーは退出していくしかない」という「市場原理に基づいたコンテンツの自由競争モデル」でした。これに対し、欧米の通信事業者が構築しようとしたビジネスモデルは、「自分達が全部取り仕切る」モデルで、これでは、コンテンツ供給者に対し、「誰も真似できないような良いソフトを作って、業界でのし上がろう」というインセンティブを与えることが出来なかったのです。コンテンツ供給者にとっては、ドコモのモデルは「資本主義的」であり、欧米の通信事業者のモデルは「社会主義的」だったというのは、極めて興味深いことです。

「公式サイトと勝手サイトを区別するのは独善的だ」とか、「コンテンツの審査に時間がかかりすぎる」という批判も、必ずしも的を得ているとは言えません。コンテンツを自由放任にすれば、魅力的なコンテンツが多数の粗悪なコンテンツの中に埋もれてしまうリスクがあります。かつて、所謂「クソゲー(粗悪なゲーム)」の氾濫で自滅したアタリを反面教師にして、徹底的に選りすぐったゲームだけを提供して成功を収めた任天堂の例を引くまでもなく、「iモード」というブランド価値を確立するためには、「どんなユーザーも失望させないよう、適切なコンテンツの組み合わせを自らの判断で決める」というポリシーを徹底することが必要だったことは、十分に理解できます。

最後に、通信事業者としては、ネットワー
クを過大なトラフィックの負荷から守る必要があることも理解されねばなりません。ユーザーにとってどんなに魅力的なコンテンツであっても、ピーク時に多量の映像のダウンロードがなされれば、他の多くのユーザーにとっての生命線である「電話」や「メール」が不通になるような事態を招く恐れがあります。そうなれば、通信事業者にとってはブランドイメージを甚だしく傷つけられることになりますから、何としてもそのような事態は防がねばなりません。圧倒的な回線容量をもった有線インターネットサービスと、限られた周波数を電話を含めた多くのサービスで共用しなければならない携帯インターネットに、同じルールを適用することは、もともと無理であるのは当然です。

このように申し上げると、「自分自身が携帯通信事業者になった途端に、同業者にもえらく甘くなるんだなあ」と皮肉を言われそうですが、「顧客の満足」ということを徹底して考えていけば、誰でもが同じ結論に達するでしょう。そして「顧客の満足」こそが、競争環境下にある全ての企業が、いつも第一に考えていなければならないものであることは、誰にも異論はないでしょう。「顧客の満足」を第一に考えず、自らの利益の為だけの「コンテンツの囲い込み」を考える余裕などは、少なくとも熾烈な競争下にある携帯通信事業の世界では、どの事業者にも無いと思います。

松本徹三