若い人達にとって、「通信」のイメージは、単純に、日常使う「電話」と「メール」、「インターネット」であって、中でも、インターネット・サービスは、home pageから検索システムへ、匿名のchat site からSNSへ、BlogからTwitterへと、次々に進化しています。
これに対し、古い世代にとっては、「通信」といえば、「通信主権」とか「国民のライフライン」という固いイメージが先行するようです。これに呼応するかのように、インターネット関連の技術については、「誰かが何か新しいものを開発して、それが一躍時代の脚光を浴びる」可能性が常に存在し、それ故、多くの人達の興味をひきつけていますが、昔ながらの「通信」のイメージの周辺には、「利権争い」の匂いがいつも付きまといがちです。
私も、「インターネット」というものがこの世に生まれる前から、「昔ながらの通信の世界」にかかわってきた人間ですから「通信主権」とか、「国民のライフライン」とか言う言葉の意味を理解しないわけではありません。しかし、しばしばそういう言葉が独り歩きし、違う目的のために利用されているような気がすることがあります。
「通信」や「放送」を行う権利というものは、国の統治権の一部で、当然国に帰属するものですから、今更仰々しく「通信主権」などという言葉を振りかざす必要もないと思うのですが、かつては「通信主権」という言葉が「通信事業に対する外国資本の排除」の目的のために使われました。「通信」については、その後外国資本に対して開放されましたが、「放送」となると、まだそうはなっていません。
「通信」であれ「放送」であれ、経営者が日本人であれ外国人であれ、日本でサービスを行う限りは日本の法律や規則に従わせるのは当然であり、この点だけを抑えておけば資本関係などはどうでも良いと思うのですが、「放送」についてはどうもそういうわけには行かないらしいのです。そう言えば、放送業界は、ライブドアや楽天のような「日本の会社らしからぬ会社」に対して、警戒心をあらわにしたことは記憶に新しいところです。
「通信」については、「放送」よりは格段に自由化が進みましたが、それでも「国民の安心と安全を守る」という言葉は、今なお「葵の紋章のついた印籠」のような、「問答無用」の威力を発揮しているようです。この為もあるのでしょうか、警察や消防も、電話は普通の電話を使っているのに、無線となると、「一般の消費者用の携帯通信システムとは別のシステムを使うのが当然」という考えになっているようです。
現在の携帯通信システムなら、警察用には特別レベルのセキュリティーシステムをかぶせることも可能なはずであり、その方がコスト(結局は納税者が負担するもの)は遥かに安く出来るはずなのですが、何故かそうはなっていません。TVのデジタル化によって空いてくるVHF帯の相当部分も、警察、消防に割り当てられるという前提のもとに、一部のメーカーが新しい特別なシステムを開発しようとしているようですが、本当にそういうものが必要なのかどうか(納税者の賛同が得られるものなのかどうか)は、十分検証されたようには思えません。
しかし、警察や消防が日常継続的に使うものなら、若干特殊で、従って若干高くつくものであっても、まだ理解は出来ますが、地方公共団体などが運営する「一般人向けの特殊な防災無線システム」ということになると、もはや理解することは困難です。結局は一度も使われることなく、納戸の中で眠ってしまうことにもなりかねないシステムをつくり、その為に割り当てられた電波を長期間にわたって完全に無駄にしてしまうぐらいなら、「非常時には、如何なる携帯通信事業者も、国または地方公共団体の指示に従って、一定帯域を一定の目的のために開放せねばならない」という法律を一つ作っておくだけで十分ではないのでしょうか?
通信事業は国の認可事業ですから、誰もこのような法律や政令に反対するものはいないでしょうし、万一嫌だというような事業者がいれば、免許を与えなければよいだけのことです。また、今は、田舎の一人暮らしのお婆ちゃんでも携帯電話は持っていて、夜寝る時も枕元においてくれている筈ですから、どんな災害時でも即座に連絡が取れます。特殊な機器でしたら、初めに教えてもらった使い方などはすぐに忘れてしまうでしょうが、どんな人でも携帯電話のかけ方を忘れることはないでしょう。
9.11以後のアメリカでは、「『安全』の為なら多少のプライバシーは犠牲にしてもやむを得ない」という考え方すら出始めており、偵察衛星を含めたあらゆるハイテク技術を駆使しての「テロ組織に対抗するシステム」の構築の是非が議論を呼んでいます。
10年ほど前に観たウィル・スミス主演の「エネミー・オブ・アメリカ」という映画は、このような近未来の超ハイテクシステムの怖さをうまく描き出していました。こういうもの比べれば、日本の「『安心』と『安全』の為のシステム」などは幼稚園のお遊びのレベルと言っても言い過ぎではないでしょうが、いずれにせよ、特別な通信システムの構築を考える場合には、代替案との比較を含め、全体システムの有効性と費用対効果だけは、十分に検証されて然るべきだと思います。
松本徹三