今年の国連総会は、オバマ大統領や鳩山首相の初登場などもあり、日本では通年以上の注目を集めたようです。
お国柄を反映して、各国様々の演説でしたが、国連の実態を痛烈に非難したリビアのカダフィ大佐とフランスのサルコジ大統領や、金融危機から学べと訴えた豪州のラッド首相などの演説に注目したいと思います。
崇高な目標を掲げた国連が、世界平和と公正の為に多くの役割を果して来た事は否定出来ませんが、激しい主導権争い,腐敗、非効率など多くの負の部分を抱えた国際組織である事も否定出来ません。
15分の時間制限を無視して1時間40分も続いたカダフィ大佐の演説は「時差が酷すぎて眠れないのは、世界の中心から離れたニューヨークに本部があるからで、ニューデリーか北京に本部を移せば良い」「欧米は植民地搾取をした償いとして、アフリカに7兆7千億ドルの賠償を払う義務がある」「各国代表の演説は、ハイドパークのスピーカーズコーナーのおしゃべり野郎より劣る」と発言したかと思うと、国連憲章の冊子を破り捨てたりする等、破天荒なパフォーマンスは日本でも大きく取り上げられました。
カダフィ大佐の傍若無人、無作法振りに対抗できる政治家が日本にいるかなと考えてみると、先ず私の頭に浮かぶのが警察官僚出身の亀井静香氏ですが、残念ながらスケールは二周りぐらい小さいようです。
ゴシップの序ですが、英国ガーデイアン紙によりますと、この長広舌も1960年の国連総会に出席したカストロ演説の4時間29分や、1957年のカシミール紛争を巡るクリシュナ・メノン印度国連大使の9時間に及ぶ大演説にはとても及ばないとの事です。
狂気に近いカダフィ演説の中でも「国連発足以来、65もの戦争を阻止できなかった安保理」「国連加盟国間の『不平等』が存在し『小国』が二流国として見下されている」と言う指摘は、無視出来ない側面があります。
人口1万人前後のツバルと日本が同じ1票扱いの「小国優遇」の国連方式ですが、小国の意志が国連の決定に反映しないと言うカダフィ大佐の意見も無視出来ません。日本の格差論議に通ずる「平等論」の難しさです(尤も、私は「平等」は実現不能な観念だと思っていますが)。
安保理がカダフィ大佐の言う「テロ理事会に成り下がった」かどうかは別として、常任理事国間の駆け引きが成立しないと「軍事強制措置を取るに値する平和に対する脅威」と認定出来ない国連憲章の規定が、多くの局地戦争や非人道的な争いを黙殺してきた一因である事は否定出来ないと思います。
カダフィ大佐より遥かに洗練された口調ではありましたが、フランスのサルコジ大統領も「日本やドイツ、ブラジル、インド等の諸国が、国連安保理の常任理事国となっていない状況は受け入れがたい。常任理事国の改革に失敗すれば、国連はその正当性を失うだろう」と安保理事会のあり方を口を極めて非難しました。
国際連合の創設に際して、戦勝国の既得権を維持しながら、相互信頼に欠ける戦勝5カ国間での多数連合を防ぐ為に考え出した制度が、常任理事国の拒否権制度です。
国連官僚の行き過ぎた非効率や腐敗に抗議した米国は、改善されるまでと言う期限付きで、負担金の拠出を永年に亘り凍結しました。その間、何の権限も持たない日本が、黙々と加盟国で最大の負担金を拠出してきたのは、何となく物悲しい光景でした。この日本の姿を「お金持ちのお人良し」と見るか「模範的友好国家」と見るか、意見の分かれる処でしょう。
そこで思い出されるのが、「集団的自衛権の行使は違憲」「国連が媒介すれ自衛隊海外出動は合憲」とする、当時民主党の党首だった小沢さんの主張です。小沢さんは「私が政権を取って外交、安保政策を決定する立場になればISAFへの参加を実現させたい」とまで踏み込んだ発言をされました。
私がここで述べたいのは、日米安保体制重視を打ち出す鳩山政権と小沢さんの主張の矛盾を云々する事ではありません。小沢さんの「国連至上主義」は「余りに現実離れした考えではないか?」という疑問を呈したいだけです。
国益追求の過程で、時により米国と距離をとる事も必要でしょう。これは別に「反米政策」ではなく、「国のために必要なことをする」政策です。又,ブッシュの政策に反対する事は、必ずしも「反米」ではありませんから、これを混同する事も危険です。
国家間における利害が複雑化する国際情勢を考えますと、尖閣列島、鳥島、竹島、北方領土などの紛争を巡って、日本が窮地に立たされるような場合も想定しておく必要がありますが、このような「まさかの時」に、日本が一番頼れるのは「日本自身」か「米国」であって、「国連」ではあり得ません。
日本では余り報道されませんでしたが、今回の金融危機の誘引の一つになった金融秩序の見直しと並んで「租税便宜国」を使った大規模な脱税問題の解決を訴えた国も幾つかありました。
脱税隠匿の最大の隠れ家はスイスで、全世界に111兆ドルを超える脱税目的の資金があるといわれ、その内の、30%強がスイスの秘密口座に隠されていると言われています。
スイスがEUに加盟しない理由も、中立の維持の為というよりは、表沙汰になっては困る数多くの非倫理的な行為を隠して、国益を追求する「徹底的な利己主義」にあることを見抜かなければなりません。本社をスイスに置きながら、公害や温暖化ガスを排出する工場は徹底的に海外に移し、スイスの美観を守りながら、企業利益を便宜租税国のスイスに集中させるしたたか経営もスイスの特徴でしょう。
しかし、このようなスイスの徹底的な利己主義は、「自分のことは自分でする」という徹底した「自主独立の気概」と表裏一体のものであることも、理解しなければなりません。スイスは国民皆兵制の国であり、2002年まで国連にも加盟していなかった程です。
それにしても、日本国民が米国を悪、「国連」と「スイス」を過度に美化する傾向が気になります。国際紛争など醜い問題を処理する国連機関の本部がニューヨークにあり、UNHCRやWHOなどの人道や平和に関する本部がスイスにある事もこのイメージを強めた原因かもしれません。
国連をオリーブの葉、スイスを赤十字のイメージと重ね、博愛と平和の象徴 だと思っているとしたら「余りにロマンテック」過ぎます。そろそろ日本人も、「国連」や「スイス」について、その負の部分を含めた現実の姿を、冷静に見るべき時に来ていると思います。
防災、国防を含む国政の根底には、「まさかの事態への備え」が必要です。日本にとっての最低限の備えは、スイス同様、自分で自分の運命を決める選択を残しておく事に尽きます。しかしながら、先の小沢氏の「海外派兵は国連の決定に従う」という発言は、この自主的な選択権を放棄し、そのような重要な決定を「国連」という「他人」任せにするということのように聞こえます。
今や政権党の領袖となった鳩山さんには、この過去の発言を、「小沢さんが党首であった時代の発言」として封印し、現実的な安全保障政策を遂行してほしいものです。
ニューヨークにて 北村隆司