―今までに無かった政策政権、民主党―
歴史的政権交代から約一ヶ月が過ぎ矢継ぎ早にマニフェスト、実行に向けて政策議論を活発化させています。自民党政権が左翼化して以来、自民党的「大きな政府論」と民主党的「巨大な政府論」との審判に国民は「巨大な政府」を選択しましたが、私はそのマニフェストの中の「子供手当て」を中心とする社会保障政策と「地方分権(主権)などの統治権の問題を勘案しますと、近代市民権が確立して以来、かつてない危険な政権が誕生しつつあると思っています。
―専制されないということ―
保守主義者、自由主義者の政治的な最低目標は「諸条件の自由と平等を守る」ことを第一の主眼としています。つまり官僚や政治家による「諸条件の抑圧」から個人の自由と平等を「民主的、合法的に守る」ことです。平たく言えば「政府によるあらゆる規制をできるだけ少なくする」ことです。
―「諸条件の平等」は専制を生む―
フランスの思想家で政治家でもあるトクヴィルは「諸条件の平等を追求すると専制政治を生む」といっています。平等を追求することは中央集権的政治体制による「政治的専制」を呼び、それを回避するために「地方自治」が必要であると、彼はアメリカ合衆国への旅行後に著した「アメリカのデモクラシー」で言及しています。そして「諸条件の自由こそ必要であり、究極はその両方の衡平、バランスが重要である」とも言及しています。
―元来、画一的社会保障政策と地方分権は相反する―
たとえば地方自治が今より大きく前進したとして、たくさんの人に住んでもらいたいと、子供手当てを月に2.6万円に上乗せしてある地方では5万円にすると地方議会が決めたとすると、他の地方は政府にその増額をやめるように求めるでしょう。あるいはもっと増額するからうちの地域に住んで欲しいという政策をとるかもしれません。
いずれにせよ地方政府は地方の利益なるように行動するはずです。一方中央政府はできるだけ平等に社会保障をしたいということで地方政府に何らかの規制や圧力をかけるでしょう。
このように中央政府と地方政府の「条件平等」は実現しないことになります。もし成立するばそれは「地方自治権」の中央政府による抑圧です。
ようするに「諸条件の平等は諸条件の自由を侵害する」し、「中央集権的政治のブレーキとしての地方自治」なはずなのです。ですから橋下知事が選挙前に民主党へ見せた支持は無知以外の何物でもありません。
―超後見的政策―
「後見的行政」、「後見的政治」とは中央集権的政府が、ゆりかごからは墓場までを面倒を見る政治、別名母権的政治ともいいます。政府が母親のように子供の面倒を見るという皮肉なのです。
アメリカ人は「生まれることは簡単だが、その後が大変だ」という位に自由に民主的に生きてゆくことの難しさが社会的コンセンサスになっています。アメリカ人には常に自立が要求されます。
一方高福祉国家には自立は要求されません。常に何かあれば国家が母親のように手助けしてくれます。国民はいつまでたっても幼稚園か小学生程度の自立心です。
―国民を奴隷化する民主党政権―
先出のトクヴィルはその著書「アメリカのデモクラシー」と「旧体制と大革命」の著書を通して、今の日本がおかれている状況を予言しています。彼の研究家であります小山勉先生の著書「トクヴィル」から要約しますと―P411、P412抜粋―
逆説的には権力と富の不平等に抵抗する民主的メカニズムがますます強まっている時代には人民主権、平等主義的、画一性支配の名において、市民社会の福利を確保し、その自由を奪う中央集権的な行政国家への権力の漸次的集中を促進する。
―中略―
それが非常に危険なのは主権者たる人民の福祉を確保するという名において、人民を引き付け、その生活の細部において隷従化するからである。このタイプの後見的権力は古いやり方で生活を破壊したりはしない。つまり残虐な手段を用いることもしない。近代国家の専制の統制は技術を完成し、文明化している。平和的に法律を民主的に立法化し執行することによって、市民を情け深い権力と信頼させ、家族・仕事・消費に専念する受動的な市民に変える。
政治的に無関心な市民は、子供が自我の欲求を母親に向けるように政府に対し、ただただ「あれが欲しい、これが欲しい」とねだり、その欲求がかなえられなければ暴れるのだけです。日本1億総幼稚化、隷従化に向けて歩武を進めているように思えます。
コメント
左翼とか社会主義という言葉がないので、なんだか妙に感心しました。
左翼政権は、国民の面倒を見るとしますが、結果はいつも失敗。うまくいった試しがない。
それなのに性懲りもなく民主党がやってみせるという。
でも、社会主義的な政策云々以前に、子供手当ては全く不用な政策だと思います。親がなんとか育ててるのに、金のない政府がバラ撒く必要もない。