郵政を「ドンブリ」に戻すな - 情報こそが郵政を変える - 磯崎 哲也

アゴラ編集部

先週10月20日に郵政改革の基本方針が閣議決定され、日本郵政の西川善文社長が辞任、翌日には、亀井静香金融・郵政担当大臣が新社長に旧大蔵省元事務次官の斎藤次郎氏を指名した。小泉郵政民営化の流れは「全否定」され、郵政の行く先は混沌としてきた。


郵政に関わる巷の議論も錯綜している。ある人は郵政問題は郵便局の維持やユニバーサル・サービスの問題だといい、ある人は雇用問題だととらえ、ある人は金融問題だと認識している。

これは無理もない話だ。日本郵政株式会社は連結総資産が300兆円以上ある「超」の付く巨大事業なのだ。一般の人には300兆円という金額は巨大過ぎて、その意味を想像することすら困難だろう。
数百万円単位の貯蓄を持つ普通の人を(大変失礼ながら)アリに例えさせていただくと、日本郵政はアリの1億倍の体重を持つゾウ程度の大きさになる。ゾウの体表につかまっているアリから見ると、「ゾウ」は天高くそびえる尖った剛毛の林にしか見えず、「鼻が長く耳が大きい地上最大の生物」という全体像は見えてこない。

つまり、郵政ほどの巨大事業の問題を考える場合には、常識や直感に頼るのではなく、「データ」を用いて考えることが極めて重要なのだ。

郵政4事業について全部語るとボリュームが多くなり過ぎるので、今回は、株式会社ゆうちょ銀行(以下「郵貯」)について、ごく簡単に考えてみたい。
例えば、郵貯を民営化することに対し、「民間にすでに銀行が多数あって、オーバーバンキングだから、無意味だ。」という意見がある。しかし、貸借対照表を見ればわかるとおり、2009年3月末時点の 郵貯の総資産約200兆円のうち、88%は国債や地方債といった債券で、連結自己資本比率は67.63%(Tier1比率76.44%)という比率になっている。一般の銀行が体脂肪率を10%台にまで絞った「アスリート」だとすると、郵貯は「栄養たっぷり」の体を持つ「全く別の生き物」だ。

「郵貯が上場して100%民間の会社になったら、不良債権が山積みになって、結局公的資金投入といったことになるかも知れない。」といった心配をする人もいるかも知れない。しかし、心配すべきなのは新銀行東京のように、一部の政治家や役職員の意図によって不良債権の山が築かれることの方ではないのか?
郵貯が「官有」のままであれば、いくら損失を出しても経営者は世間体が悪くなるだけだ。しかし、総資産200兆円のわずか0.01%の損失を出しても200億円もの損失になるのだから、郵貯が上場して、経営者が株主代表訴訟に負けたら、経営者の全財産がフッ飛ぶのである。

このため、郵貯の経営者は上場後はよほど慎重に根拠を確かめながら安全な投資をしないと、怖くてやってられないことになる。純資産が「たった」500億円弱しかない新銀行東京と違って、郵貯は、その170倍(!)の8兆円以上もの純資産を持つ。つまり、100%民間の会社になっても、数千億円くらいの不良資産では公的資金投入の必要も無いが、そもそも経営者には「その程度」のバクチにすら討って出るインセンティブはないのである。(何十億円も役員報酬がもらえるなら別かも知れないが、そうはならないだろう。)

さらに、100%民間の会社なら、会社が損しても、郵貯に投資した投資家が損をするだけだ。ところが、「国有銀行」であれば、その損失は回り回っていつか国民の財産から徴収されることになる。

また、「民営化すると国債を買ってもらえなくなるのではないか」という心配も杞憂だろう。日本郵政の金融二社(郵貯と「かんぽ生命保険株式会社」)が保有している国債は今年3月末で225兆円で、国債の発行残高の4割にものぼる。このような巨大な額になると、金融二社の行動は市場の中で独立ではいられない。自社の保有する国債のたった5%を処分しようと思っても10兆円もの額になってしまうからだ。
1400兆円もの個人金融資産を持つ家計が保有している国債でもたったの36兆円、民間銀行全体でも100兆円弱であり、10兆円20兆円といった巨額の国債をこれ以上押し込むことは難しい。需給の悪化により国債の価格が下がれば、世界で最も損をするのが郵政の金融二社なのだ。上場していればこそ、国債の比率を急速に下げるなんてことはできないのである。

同様に、一般の銀行やノンバンクがひしめく競争の激しい領域で、貸付業務を10兆円単位で伸ばすなんてことはできるはずがない。
「貸付ができないんでは、銀行の意味がない」と考えるとしたら、その人が銀行を「預貸」という古いビジネスモデルでしか捕らえていない証拠だ。
例えば、セブン銀行は全国のセブンイレブンにATMを置いて、2009年3月期で900億円弱もの経常収益をあげている。セブンイレブンの倍の24,000以上の郵便局の店舗網を利用できる郵貯は、そのネットワークを活かしてサービス収益を稼ぐ工夫がいろいろ可能だろう。

鳩山新政権は、(よく言えば)敵対的TOBによって会社を買収したハゲタカファンドのようなものだ。つまり、今まで政権の座になかったので、事前に郵政事業の中身について十分な査定(デューデリジェンス)をしたり、その情報をもとに事業の将来性についてじっくり検討することができなかったかも知れない。不十分な情報認識の下で、前政権の方針のまま民営化を進めるには、郵政はあまりに巨大すぎるとも言える。このため、「当面の間」、民営化のスケジュールを停止して、現状や将来像を再検討する時間が欲しいというのであれば、大目に見てもいいかも知れない。

しかし、国民が絶対注意しないといけないことがある。それは情報が第三者に的確に「伝わる」かどうかだ。

「郵政改革の基本方針」にも、「再編成後の日本郵政グループに対しては、更なる情報開示と説明責任の徹底を義務付けることとする」とは書いてある。

しかし、情報は開示しただけで「伝わる」ものではない。
日本郵政のホームページを見ればわかるとおり、郵政三事業は公社時代からすでに極めて詳細なデータを開示していたが、見たことがある人はほとんどいないだろう。

なぜか。

それは「自分に関係がない」からだ。
一般の国民だけでない。企業分析のプロである証券アナリストも、自分の商売につながらない未上場会社の財務データは、分析して顧客に伝えるインセンティブがない。

かんぽの宿問題にしても、郵政事業全体の資産からすれば、「誤差」のような金額の話だった。しかし郵政の場合、総資産の0.01%未満でも100億円単位の話になってしまう。郵政が特定の政治家や役人の利権に使われる危険は、気をつけて気をつけ過ぎることはないのである。

上場して個人や法人が郵政事業の株式を持つようになれば、投資家の目が光ることになる。日本の国民だけでなく、世界の投資家の関心事になるわけだ。
仮に今後、郵政民営化・上場を行うことを取りやめるのであれば、上場した場合と同じくらい情報が世界中に「伝わる」ようにすべきだろうが、それは極めて困難だ。
「自分に関係がない」情報に興味を持たせるのは無理だからである。

鳩山新政権で最も評価できることの一つは情報開示に積極的なことだ。
鳩山首相もツイッターに関心を示し、政策に賛否両論がある亀井大臣ですら、記者クラブの閉鎖性を批判して記者会見を二回ずつ開いている。
しかし、せっかく民営化で郵便局ネットワークの採算性が浮き彫りになったのに、郵政4事業を再編し「どんぶり」化を進めることは、日本最大の巨大事業をブラックボックスに放り込むことになりかねない。

新政権は天下りの廃止も打ち出しているが、日本郵政グループは、公団など他のすべての公的法人の金融資産をすべて足したものの10倍、300兆円もの資産を持っている。つまり、郵政を「官」に取り込むことは、他の公的法人すべてを捨ててもおつりが来る日本最大の「天下り先」を獲得したことになりかねないのだ。

上場すれば、金融二社はどちらも兆円単位の時価総額になるから、おいそれと「ハゲタカファンド」等に買収されるわけもないが、もしそれがどうしても怖いなら、1株主あたり20%以上の取得を禁ずるといった法律を作ってもいいだろう。100%売却が怖いなら、当面10%とか20%の株式の上場で様子を見てもいい。一度上場させても、政府がTOBをかけて再非上場化する手もある。

しかし、郵政事業は超のつく巨大な事業であり、少数の政治家や役人や学者が考えているだけでは、絶対に正しい方向には行かない。いかに多くの人に関心をもって郵政事業を監視してもらえるか、という観点から改革を設計するべきだ。

第三者からの厳しい目が注がれず、特定の政治家や役人のおもちゃにされることだけは避けなければならない。「自分には関係がない」ように見えても、結局、回り回って国民に降り掛かって来る話なのだから。

ご参考資料:
週刊isologue(第29号)郵政民営化はストップさせるべきか?
週刊isologue (第30号)資金循環から見た「この国のかたち」