北朝鮮の核保有をアメリカは事実上認め、中国、ロシア、インド、パキスタンと極東及び東アジア各国が核兵器を保有しています。北朝鮮は事実上の日本と交戦状態にあると認識していると考えられる現在、政府は三発目の核攻撃から国民の生命と財産をどう守るか真剣に議論しなければなりません。私は日本が世界唯一の核被爆国であることを考えれば、日本こそ世界で唯一、核兵器を保有する資格がある国であると考えています。
-MADとは-
相互確証破壊戦略(Mutual Assured Destruction 通称MAD)とは核保有国である二国間で、片方が核による先制攻撃をした場合に、最初の攻撃で相手国の核攻撃能力を完全に破壊できなかった場合、自国に報復核攻撃があるため、それが抑止となり互いに核攻撃ができない、要するに核攻撃を抑止する二国間の戦略のことです。
-核の傘-
ブッシュ政権は2006年の来日前、ライス長官がの記者会見で「米国は韓国や日本のような同盟国に対する安全保障と抑止力の責任を全面的に果たす意思と能力を持つ」と言明しました。オバマ政権も今年7月、核抑止に対する責任を日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)などを通じて伝えています。しかし日本の政権交代以来、日米の外交上の齟齬でこの核抑止問題の協議がギクシャクしはじめています。
-日本周辺の核兵器-
日本周辺の脅威になりうる核兵器保有国はソ連と中国でした。ソ連が崩壊しロシアの核の脅威が緩和されたのちの脅威は中国一国になりましたが、北朝鮮のミサイル発射実験の成功をみて、北朝鮮が事実上核を保有したと米国は認識していますので北朝鮮も脅威になりました。では両国の核にたいする日本の抑止力はどうでしょうか。
-北朝鮮への抑止力-
北朝鮮の核兵器は米国の偵察システムで発射準備を察知できます。日米同盟の恩恵でこの情報はすぐに日本へ伝達されています。米国側の破壊能力で北朝鮮のすべての核兵器は発射前に破壊できるでしょう。よって日米同盟の核の傘で北朝鮮の核は抑止できると考えるのが妥当です。
-中国への抑止力-
一方、中国の核はやや難解です。米中の核バランスは中国の核兵器能力が米国のそれに比べ劣っていたため不完全でありましたが、2007年以降ミサイルの改良や2010年の原子力潜水艦の配備で生残性が担保されつつあり、米国の一方的優位は崩れつつあるというのが専門家の分析です。
-米国は日本を守るのか-
中国の核兵器の生残性が高まった事により、米中の核兵器能力は米国優位には変わりありませんが、徐々に拮抗しつつあります。いままで米国の能力は先制攻撃で中国の核兵器を完全破壊できましたので、核の傘は有効でしたが、ミサイルの改良や核ミサイル搭載潜水艦の配備で一次攻撃ではすべてを破壊できなくなりました。MADはあくまでも二国間の戦略と考えれば、日米同盟の片務契約による三国間の戦略が今まで通り成り立つかは疑問です。
たとえば中国が日本へ核攻撃をしたと仮定します。米国が日米同盟を履行して中国に報復攻撃をするかですが、米国のその意志に疑問が残ります。生残性を高めている中国の核による米国への報復攻撃能力(核兵器の生残性)が高まっている現在、米国が報復攻撃を受けるリスクが高くなります。よって米国が日本のため報復核攻撃をする可能性は低くなると考えるのが妥当です。つまり米政権の言及はあるものの、日本は核攻撃を受けるリスクが高まっているといえます。
-核を保有する正当な論理-
日本は脅威になる核保有国に囲まれていると認識に立脚した対応が必要です。中国政府は安全保障常任理事国中最低の核能力国であることを強調して、先制攻撃論を否定していますが、それはあくまで米国やロシア向けで日本ではないと受け取ってようでしょう。
よって政府は三回目の核攻撃を受けないよう対策を取らねばなりません。核兵器は大量の人間の人生を一瞬で破壊する、残虐な兵器には変わりありませんが、残念ながら現在の安全保障理論では核攻撃を抑止する力は核兵器以外に存在しないことは現実です。ですから被爆国である日本は、三回目の核攻撃を抑止するため核兵器を保有するという、世界で唯一、正当な理由があると考えます。
追記
核保有によって核廃絶のイニシアチブを取ることが出きるかもしれません。核廃絶議論は核保有国の議論で、持たない国はその土俵にのることさえできないでしょう。それがパワーゲームの国際社会の現実です。
コメント
日本が核兵器を持つという選択は現実的ではありません。
それは金銭的・技術的・外交的な理由からではなく、もっと単純に「日本には核兵器の爆発実験を行う土地がない」からです。アメリカのスパコン開発には「核兵器の爆発実験データをもとにシミュレーションを行う」という目的が大きく影響しています。アメリカなどの核兵器は実験及びシミュレーションの積み重ねの上に成り立っているのです。実験を行ってもいない核兵器など実用的な兵器とは言えないでしょう。
2回目のコメントです。前回はご丁寧なお返事をお書きくださりありがとうございました。私は内田樹氏の以下のエントリーを読んで以来、核武装には否定的です。
http://blog.tatsuru.com/2009/08/02_1324.php
エッセイのようなものでソースとしては参考にできませんが、説得力を感じました。とりわけ、世界が進むべき方向についてビジョンをある程度示せなければ他国の同意は得にくい、という意味の部分です。
日本の外交カードは完全に「経済力」のみなので、その衰退が自明な今、他の力を求める必要はありますが、それが核兵器というのは安直に過ぎると思います。また「ナイフで刺されて死にそうになったことがあるから堂々とナイフを手に持って出歩いていい」というような論理は正当には聞こえません。
連投失礼します。
攻撃されるリスクを最も大きくする要因は「日本人が死んでも他の国は誰も困らないし怒らないから撃っても大丈夫だろう」という状態ではないでしょうか。そうではないとすれば、あなたの言う安全保障理論によれば、現在、核を持ってない国はどのように身を守っているのでしょうか。平和ボケな考えかもしれませんが、金総書記も馬鹿じゃないのでそうそう撃たないでしょう。
軍事的属国という状態は様々な問題の根本にあると私は思いますし、いつかは独立すべきですが、残念ながらそれにはまだこれから何十年もかかるような気がします。
sutshi330さん
コメントありがとうございます。内田氏のブログを拝見致しました。
核の問題の難しさはそれが合理的判断ではなく、思想や感情論で論じられることです。核を保有しようとすれば国際世論はこぞって反発するでしょうがそれは当然です。腹では持ってもしかたがないと考えていても批難してきます。外交とはそういうものではないでしょうか。
戦略的に自分は持って相手には持たせない、当たり前の論理です。多くの核反対論を聞きますが、具体的に中国や北朝鮮の核攻撃をどう抑止するかの具体論がありません。内田氏は「議論は結構だが核を持つとなると国際的に孤立して北朝鮮化する。だからデメリットが大きく止めた方がよい」という論旨ですが、抑止についての言及がありません。核問題は核攻撃をどう抑止するかの問題です。攻撃することが前提ではなく抑止のための戦略が必要なのです。保有するメリット、デメリットではなくいかに攻撃されないかということが本稿の論旨です。
中川信博
追記
核廃絶ですが非常に難しい。核兵器という物質は廃棄できるかもしれませんが、人間の記憶を払拭することは困難です。また科学の進歩で私たちが自作PCをつくる手軽さで核兵器ができるようになっているかもしれません。
人類の発展は競争心によってなされました。他人より速く走りたい、飛びたい、ものを知りたい。競争心は決して悪ではありませんが、その究極が戦争だとすれば核兵器などものを制限しても人間の競争心はいずれ次の兵器を産み出します。この競争心を宗教や理性で抑止する、あるいは無益と悟らせる事の方がよっぽど重要ではないでしょうか。
中川信博
bobbob1978さん
コメントありがとうございます。
昨日ご返信致しましたが、未送のようで申し訳ありません。
保有する方法は戦術的問題で、その前の政策として保有するかしないかの議論です。sutshi330さんの返信にも書きましたが、核保有以外の抑止の方法があれば、比較検討の余地がありますが、対案がない現状少なくとも何らか手を打たねばなりません。それが現状核の保有という結論です。
仮想敵(北朝鮮や中国に限らず、世界中のどんな国でも、状況次第で日本の「仮想敵」になる可能性があります)が核兵器を持っていれば、こちらも核兵器を持たなければならないという考えは、論理的にも破綻しており、戦略的にも賢いとはいえません。
日本の核戦略は下記の如くあるべきです。
1)隣国の持つ核兵器の脅威が現実的に存在することを認めた上で、日本は「核不拡散」の理念を積極的に支持し、「日本はその能力はあっても、核武装はしない」ことを内外に表明する。
2)上記に関連し、核兵器の悪魔的な性格を改めて強調し、「日本が世界で唯一の被爆国である」ことが「日本のこの立場」を信条的に支えていることを、併せて表明する。
3)この見返りに、米国からは、「核の傘」が具体的に意味するものについての明確な言質(「日本に代わっての核兵器による報復攻撃」を含む)をあらかじめ取っておき、上記の表明と同時に、これも公表する。
4)「日米の対等な立場での同盟」の証として、日本が米国に対して与えるものは、「核不拡散の理念の支持」だけでは勿論不十分であるから、その内容については二国間で慎重に協議して、決定しておく。(これについての国民のコンセンサスも確立しておく。)
>日本が核兵器を持つという選択は現実的ではありません。
>「日本には核兵器の爆発実験を行う土地がない」からです。
太平洋の離島の地下に深い縦穴を掘って、地下核実験する事が可能と思われます。(以前に読んだ米国の戦争小説よりネタを拝借)
>中国への抑止力-
これからの日本は、中国を敵視するよりも、中国とどう付き合うかを真剣に考えるべきだと思います。核の問題も、中国との安全保障をどうするかを考えてゆくべきではないでしょうか。
日米安保は、米国にとっては絶対ではなく、メリットがデメリットを上回らない限り有効と考えるのが合理的です。
中国が日本を核攻撃した場合、米国が中国へ(日米安保により)報復の核攻撃を行う事は、本記事が示す通り、米国にとってデメリットがメリットを上回るので「困難」と考えるのが妥当です。しかも、既に実行された核攻撃を無しにする事もできません。
つまり、日米安保における核の傘は、抑止力だけの意味があり、一旦、攻撃された後では、たいした機能を期待できない、という理解するべきかと思います。
そういう意味では、たとえ一発でも核攻撃能力を保持する事は、日本に核攻撃を加えようと考える外国政府の首脳にとっては、攻撃を踏みとどまらせる大きな脅威になり得るのは確かといえます。
松本徹三さん
コメント有難う御座います。
本稿は以前松本さんかコメントで保留していた問題に対する回答として書きました。
核問題を考える上で起点にすべきはなぜ米国は広島、長崎に核爆弾を落としたのかです。米国は戦争終結に必要だったとしていますが、私は
1.人種差別
2.日本の報復能力
1.についてはなぜドイツに投下しなかったのか、の問いかけの回答になります。
2.仮定としてあの時点で核兵器での報復能力があったならば投下したか?答えはノーです。
NPTは事実上崩壊しています。パキスタン大統領の核管理に対する不可解な発表もありました。おそらくもうタリバンは核兵器を手にするでしょう。
天は自らをたすくるものをたすく、福澤の言葉ですが、いつまでも日本人の命をアメリカに預けていてよいのかというのが、本稿です。
bobby2009さん
核は既に通常兵器となりつつあります。世界の安全保障関係者の間では学問的にMADを学習しています。つまり「核抑止には核」ということです。これは良い悪いのもんだではなく、そういう合意が専門家の間ではあるということです。