全体の生存と繁栄を保証する為に個は犠牲にならなければならない - 矢澤豊

矢澤 豊

民主党政権の下で、最初の通常国会が開会したようです。

海外に暮らす私は、鳩山首相の、

「いのちを守りたい!」

というオスカル様風のスピーチをリアルタイムで聞けなかったのが残念でした。もちろんYouTubeで拝見し、楽しませていただきましたが、この大切に育てられた「王子様」が、かすかに震える声で「守りたい!」と訴える姿を見ていると、その願い叶わず、四門出遊、現実の生老病死(少子化、高齢化、歯止めの効かない社会保障費の増大?)に幻滅して出家してしまうのではないかと、池田理代子女史風少女歌劇的演出から、手塚治虫の「ブッダ」に連想が飛んでしまいました。


国会の開会に先駆けて自民党の党大会も開かれ、かなりトンチンカンな運動方針を採択したようです。当面は小沢幹事長に照準を合わせた「カネと政治」を巡る問題で正面攻撃とのこと。自民党は去年の衆院選惨敗以来、「国民の声を聞く」姿勢を強調していたはずですが、やはり自分たちが一番関心あるのは「カネと政治」だということでしょうか。ある意味、非常に正直な人たちのようです。

去年の二月末日より約一年間、主に法律、政治、金融といったトピックに、個人的な趣味として歴史的視点を交えた文章をアゴラに投稿して参りました。今、それらのエントリーを俯瞰してみると、いろいろと無責任な予想などもしていて、赤面します。特に私にとっては専門であるはずの「法律」に関する予想、例えばFCPAに関するエントリーなどが、現時点では大きく的を外れているのに比べ、政治に関する予想は正鵠とはいえずとも、おおむね枠内なのではないかと自負しています。

以前に書いたことですが、上手な占いというのは突拍子もない未来のことを予測するのではなく、今現実に目の前で起きているのに当事者が気づかないでいる事がらを、こっそり教えてあげること。法律や経済に関しては、皆さんよくご存知でいらっしゃるので、私もあえて突拍子もない未来予想をしてしまいがちですが、政治に関しては、現に目前に出現している事態に対しても、目が不自由な方が多いので、私のような海外居住者の岡目八目が効きやすいということでしょうか。

特に政治の「ビッグ・アイディア」への回帰に関して述べたエントリーは、最近のエコノミスト紙のカバーストーリー(*1)を、去年7月の時点で予言していたかのようです。 (我田引水、自画自賛、何卒御容赦。)もう一つは衆院選の後に書いた(コチラ)、

「(自民党は)現実的にはあともう一回選挙(参院選?)で負けて「このままじゃダメなんだ」と学習するまでは、組織としての考えと実行が及ばないでしょう。」

その後、総裁選挙で河野議員の主張が注目を集めたときは、いい意味で期待を裏切られたかと思い、いささかワクワクしてしまいましたが、河野さんは残念ながら及ばず。谷垣総裁をはじめとする現執行部の言動をみていると、どうやらこちらも予想通りということになりそうです。

旧世代の退場による選手交代と、より明確な与野党間の政策対峙を訴えて注目を集めた河野太郎氏でしたが、自民党員が選んだのは「みんなでやろうぜ」の谷垣さんでした。だれを指して「みんな」と言うのかと思って眺めていたら、まず最初に「みんな」の「なかま」とされたのは、「落選の憂き目」にあった「同志」でした。このことからも自民党、ひいては日本の政党というものが、しょせん政治屋さんたちの相互扶助組織にすぎないことが露呈しています。

これからの日本の「みんな」のためには、従前の自民党政策の変更が求められていることは自明の理。個々のブログや公の場での発言をみる限り、自民党所属の代議士さんたちも、大多数の人々はそのことに気がついておられる。そのためには政策提言に新機軸を打ち出し、それに基づいた支持基盤の開拓に注力するべきなのに、組織の論理を優先させ、「同志」の復職と、従前通りの支持基盤の回復と涵養を優先させているようでは、先細りは目に見えています。従前通りの支持基盤といっても、そこには政権与党となり、自民党以上に自民党らしくなった民主党が居座っていますから。

こんな自民党という集団の来し方行く末に思いを巡らしていたら、私の制御の効かない連想力は、「ワイルド・ギース」という1978年の映画を思い出してしまいました。リチャード・バートン率いる傭兵部隊は、天然資源の利権を狙うワルい資本家に雇われ、アフリカ某国の前大統領の亡命を手助けすることになりますが、雇い主に裏切られ自力で危地から脱することを余儀なくされます。(私と同世代の方には新谷かおるさんの「エリア88」、中盤のエピソードのネタ元といえばわかりやすいかもしれません。)包囲の輪を狭める政府軍に追いすがられながらも、やっとのことで飛行場にたどり着き、銃火の交錯する下、脱出へ向けて飛行機が離陸への助走を始めます。しんがりをつとめていた副官のリチャード・ハリス(*2)は、仲間を飛行機に押し上げ、最後に自分も乗り込もうとしたまさにその時、足に銃弾をうけます。 足を引きずりながら、追いすがるように走るハリス副官。離陸へ向けて速度をあげる飛行機。「(飛行機を)止めろ!」と半狂乱のバートン隊長に向かって、いまにも政府軍兵士に囲まれて八つ裂きにされそうなハリス副官は、「オレを撃ってくれ!」と叫ぶ。バートン隊長は涙ながらに引き金に指をかけるのです。(*3)

この映画の題名となった「Wild Geese」(野生の雁)という言葉は、元々17世紀から18世紀のヨーロッパで活躍したアイルランド系傭兵部隊の別名だそうです。その伝統にあやかる形で、1960年代のアフリカで活動した傭兵たちも「ワイルド・ギース」を名乗ったとか。

渡り鳥である雁は、編隊を組んで渡りを行います。編隊を組むことで、可能飛行距離が70%向上するそうですが、グループの足を引っ張る個体は次々に置いていかれ、渡りを貫徹できた優秀な個体のみが、新天地で次世代を育む特権を手に入れるのです。

「公認してくれ~!」と追いすがってきたかつての戦友たちに、涙ながらにとどめを刺した谷垣総裁ですが、彼の場合はもう飛行機にちゃっかり乗っちゃっている老兵たちの何人かを機外に追い出さないと、肝心の飛行機が離陸できない状態にあります。「小沢幹事長」などという、国家の大計(ビッグ・アイディア/ビッグ・ヴィジョン)からみれば、サイドショーに過ぎない問題で離陸速度を稼ごうとしても、はかがいかないうちに気がついたらもう参院選。滑走路が終わっちゃっていた、なんてことになりそうです。

参院選まで残り少ないこの時期、谷垣隊長は機体の「軽量化」と、反民主となっても自民支持にまわれていない有権者を動員した「みんなでやろうぜ2.0」による揚力増強を急がなければならないでしょう。

渡りを貫徹し、未来に到達する為には犠牲が必要なのです。自民党の重鎮のお一人は、日本ラグビー協会会長をつとめられているのですから、「オール・フォー・ワン」ばかりではなく、ときには「ワン・フォー・オール」でなければチームのまとまりも覚束ないことはご存知でしょう。

突き詰めて言えば、この自民党という集団が背負った宿命は、今の日本という国の縮図なのです。

できれば「ワイルド・ギース」のように華々しく、あまりドロドロした「楢山節考」(今村昌平版)的展開は勘弁してほしい、と思うのは当事者でない者の勝手な言い分でしょうか。

霧深く 雲居の雁も わがごとや 晴れせずものは 悲しかるらむ

オマケ

*1 コチラ
*2 「ハリー・ポッター」であんなに優しそうだった初代ダンブルドア校長にも、こんなトッポイ過去があったのです。
*3 「ワイルド・ギース」という映画自体は、英国病のドンゾコにあった70年代イギリスの中流オジサンたちのためのカタルシス映画として見ると、いろいろ腑に落ちます。特に時の労働党政権にとことんいじめられていた私立校教育の美徳に関するセリフなど、聴いているこっちが恥ずかしくなってしまう。