「政治家を鍛える」仕組みの必要性--池尾和人

以前、ダイヤモンド社の辻広雅文さんから、晩年の後藤田正晴氏(中曽根内閣時の官房長官)は「官邸主導」の考え方に否定的だったという話を聞かせてもらったことがある。その理由は、後藤田氏は多くの総理経験者を間近にみてきたが、必ずしもリーダーとしての資質に富んだ者ばかりではなく、「凡庸な」人物も少なくなかったからである。有能な人物ばかりであればいいが、そうではない者に権限を集中させるのは弊害の方が多くなりかねないから、ということだったようである。


賢明な指導者に恵まれるなら、独裁制の方が民主制よりも効率的である。しかし、哲人政治を求めても、指導者が必ず賢明であるという保証はない。それゆえ、民主制という政治制度が平均的には「よりましな政治制度」として選択されているわけである。こうした観点からは、権限配分のあり方を考えるときに、担い手の力量はどうなのか、権限と能力が見合うものになるかといった点の吟味を怠ってはならないといえる。

したがって、例えば「官邸主導」ということで、権限を官邸により集中させるのであれば、その権限に見合う能力が官邸の主(すなわち、総理大臣)にあることが確保されなければならない。官邸主導を推し進めた小泉純一郎氏は、それに見合う能力を有していたとみられるが、それは個人的資質によるものであり、いわば「偶々」のものでしかなかった。換言すると、システムとして能力確保が担保されていたわけではない。

実際、小泉以後の安倍、福田、麻生の各氏が、官邸に集中させた権限を十全に行使するにふさわしい能力の持ち主だったかは、失礼ながら、疑問なところがある。そして、それらの政権が短命に終わった理由の一端は、このところにあると思われる。要するに、小泉氏が引き上げた宰相に求められる能力のハードルを乗り越えられなかったのではないか。

以上のことは、「政治主導」についても全く同断である。政治主導の意味合いは、不明だという向きもあるが、現在の民主党政権においては、「政治家主導」という意味で解釈されているようである。選挙を通じて選出されたという点で、政治家は正統性をもっている。しかし、そうした正統性があるということと、国民からの負託に応えていくのに必要な能力をすべての政治家が具備しているといえるのかというのは、残念ながら別の問題である。

というのは、わが国においては「政治家を鍛える」システム・社会的な仕組みが十全に存在しているとは思われないからである。選挙活動を通じて、ある意味で政治家が鍛えられるというのは確かであろう。しかし、安全保障、外交、経済政策、等々に関する基礎的な素養と定見を有しているかどうかを厳しく問われるといった機会は、現行の選挙システム下においてはほとんどないのではないか。

米国においては、長期間にわたる大統領選挙のプロセスが、国家の最高指導者を鍛え上げるシステムとして機能しているようにみえる。単に人気のある候補者というだけでは、大統領選を最後まで勝ち抜くことは不可能である。他の候補との間の激しいディベートをこなす能力等も合わせて求められる。「政治主導」で行くという限り、これに相当するような政治家を鍛えるシステム・仕組みが不可欠である。

国会審議が「学級崩壊」にたとえられるような現状は、政治家の能力という問題をいやおうなしに問わざるを得なくしている。能力に裏付けられた正統性でなければ、国家運営が危うくなりかねず、当の正統性(政治家に対する国民の信任)そのものが消滅しかねない。仮にそうした事態になれば、民主制そのものが危機に陥ることになる。

官僚に関しては、東大法学部という、資質のあるものを選抜し官僚として養成する社会的装置があった。そうした社会的装置の存在が「官僚主導」を支えてきたといえる。政治家に関しても、資質と志のあるものを全国民の中から選抜し、必要な専門知識を与えるとともに鍛え上げていく社会的装置ないし仕組みが必要である。そうした仕組みなしの「政治主導」は、持続性を持ち得ず、漂流し変質していくことが懸念される。

コメント

  1. codeblueline より:

    専門的知見や即戦力であることを大卒の新入社員にすら要求されるご時世に、何処の馬の骨だか分からぬ人がどさくさ紛れにいきなり当選、しかし一年生議員で何も判らないから!という理由で小沢センセイのご指示を黙々と仰がざるを得ない光景というのは、傍で見てても確かに異様なものがあります。
    「小泉チルドレン」「小沢チルドレン」という言い方が既に象徴しているように、大半の若手議員は、先生の言うことを素直に聞いてるだけのコドモに過ぎないということでしょうか…?

  2. 松本徹三 より:

    池尾先生の意見に賛成です。
    日本の選挙は地盤、看板、かばんがものを言う世界で、特にかばん(金)が重要ですから、親譲りの資産家か、金作りのうまい奴(或いはその子分)でないと、なかなか政治家になれないということになります。(現実に実績もそうなっています。)
    短期的には、松下政経塾のような「鍛錬のための場所」をたくさん作ることが有効かもしれませんが、長期的には、やはり米国と同じような選挙システムを伴った大統領制にすべきではないでしょうか?
    中国のシステムも効率的ですが、一党独裁国家は真っ平ですから、これはご免蒙りましょう。
    何れにせよ、政治家の資質を上げないと、日本はもうもたないと思います。

  3. 池田信夫 より:

    私も、乗数効果も知らない人が財務相をやっている現状には恐怖を覚えます。本当は政治家にも資格試験を課すとか、再教育を義務づけするとかする必要があるんでしょうが、それは彼らのプライドが許さない。当面、可能なのはメディアによる教育でしょう。「アゴラ」も少しは役に立つと思います。

  4. courante1 より:

    全く同感です。
    おっしゃる通り、政治家を鍛え、能力によって選抜される有効なシステムが必要だと思います。
    凡庸な政治家が続くことは極めて影響の大きい重大な問題で、国の浮沈にかかわることです。にもかかわらずその重大さに見合っただけの問題意識が社会に、とりわけマスメディアに存在しないことがとても残念です。岡田克敏

  5. jij999 より:

    日本は良くも悪くも「お父さんコンプレックス」。東大法型のpatriarchyに依存して、父さんも子離れを許さない。審議会や大学運営の政治力は、彼ら次第だから日本には「大学」が無い状態。

    国立大の文系は廃止して、政策研究大学院大学を改組・拡大させてテクノクラートを養成すればよいでしょう。あとは私大と専門学校で十分。財政破綻したら、こういう改革ができますね。

  6. disequilibrium より:

    今の時代、政治家を鍛える仕組みなんていうのはいくらでもあるわけで、無知で無能な政治家というのは、単に勉強不足なだけでしょう。

    問題は、そういう政治家を選んでしまう選挙にあるわけで、国民がもっと成長するか、民主主義を否定するか、の2択ではないかと思います。