先週の磯崎哲也さんの記事でもふれられていたように、本年は「電子出版元年」といわれている。電子出版の場合、紙の出版のときのように印刷とか製本の手間がいらなくなるから、情報発信コストは大きく低下することになる。
日本語での情報発信を考えた場合には、1980年代初頭から日本語ワープロが利用可能になったことで、劇的な発信コストの低下が起こったといえる。それ以前は、(現在の40歳以下の世代には実感され難いかもしれないが)日本語の文章は手書きするしかなかった。日本語タイプライターというのもあるにはあったが、簡易印刷機というべきもので、個人が文章を書く道具として使えるものではなかった。それが、日本語も打鍵によって書くことができるようになったわけである。
これは画期的な変化であり、それ以降、一人で書ける文章の量は飛躍的に増大した。その後もITの発展・インターネットの登場等を経て、情報発信コストは低下傾向にあり、その傾向が、電子出版化という動きの中で加速されようとしている。
それでは、情報発信コストが下がるとどのような事態が起こると考えられるのであろうか。その答えを一言でいうと、「情報洪水」の発生である。簡単に「情報の価値>=発信コスト」が実際に情報が発信される条件だとみなすことにすると、情報発信コストが下がると、価値の低い情報も発信されるようになる。もちろん価値の高い情報も発信され続けるであろうが、増加率は前者が後者を上回ると考えられる。[ここでは情報の価値という言葉を、無定義で、あえて曖昧なまま使う。]
要するに、玉(ぎょく)も増えるとしても、石の増える量の方が勝ると見込まれる。このように玉石混淆の度合いが悪化すると、自分で玉を見つけようとすると禁止的なコストがかかりかねなくなる。すると、玉を見出すコストを低下させることに寄与する情報ナビゲータ的な存在が不可欠になってくる。例えば、現状のように出版点数が増加してくると、読むに値する本を選択する際に、新聞・雑誌(あるいは、ウェブ)の書評で取り上げられたかどうかが強い影響力を発揮することになる。この場合には、書評者が情報ナビゲータとしての役割を演じていることになる。
情報洪水の中で溺れてしまわないためには、情報ナビゲータに頼ることは合理的であるので、情報ナビゲータ的な役割のビジネス・チャンスは大きいと考えられる。しかし、情報発信コストの低下に伴う情報洪水の問題が情報ナビゲータの出現で解決されると単純に期待するのは、ナイーブに過ぎる。というのは、情報ナビゲータが常に正しい評価を表明するという保証は必ずしも存在しないからである。
例えば、書評者が、出版社から便宜の提供を受けて、その出版社の刊行物に実際よりも高い評価を与えるといった可能性は十分に存在する。こうした問題は、経済学の世界では「Who monitors the monitor?」という言い回しで知られており、社債や証券化商品の格付けを行う格付け会社の問題と共通したものである。
近年、投資家は、自ら信用評価を行うことに伴う費用を節約するために、格付け会社の判断に依存する傾向か強まっていた。そうした中で、サブプライム・ローン問題を通じて、格付け会社は発行体の意向を受けて証券化商品に意図的に甘めの格付けを付けてきたのではないかと疑われている。そして、格付けに対する投資家の信頼がいったん失われると、大変な混乱がもたらされることになった。
そうした混乱を引き起こさないためには、情報ナビゲータのインセンティブ(誘因)構造を分析し、正しい評価が表明されることを確保するような制度設計を行う必要性がある。この種の分析と制度設計の必要性は、情報発信コストの低下とともに、格付け会社の問題に止まらず、広く社会の様々な領域で決定的なものとなっていくであろう。
そうであれば、メカニズム・デザインの基礎理論としての経済学の有用性も高まっていくはずである。高名なミクロ経済学者であるヴァリアンがグーグルの主任エコノミストに就任しているという事実は、このことを(先取り的に)象徴しているといえよう(まあ、日本の社会の大方は、専門知を軽視して、経験主義的に対応しようとするのだろうけれども...)。
参考文献
池尾和人「情報化と金融仲介」、in: 奥野正寛・池田信夫[編著]『情報化と経済システムの転換』東洋経済新報社、2001年。
[補論]
情報の価値が一義的で客観的に測定できるようなものである場合には、情報ナビゲータが不正確な評価を行ったとしても、それは事後的にすぐに判明することになる。こうした場合には、情報ナビゲータはビジネスを続けていくために自らの評判(reputation)を守る必要があるという事情が、常に正しい評価を表明することが情報ナビゲータ自身にとっても望ましい行動になること(誘因両立性)を保証してくれると考えられる。
しかし、情報の価値がいささか主観的なものである(例えば、ある推理小説が面白いかどうかのような)場合には、情報ナビゲータが不正確な評価を行っても、そのことが事後的に認識されるとしても、かなりの時間を要することになる。こうした場合には、評判への配慮というメカニズムだけでは、情報ナビゲータが常に正しい評価を表明することは保証されない。
Rochetの格付け会社に関する分析を参考にすると、後者の場合には、(1)十分な評判が確立されるまでは、情報ナビゲータはできるだけ正確な評価を提供しようとする、しかし(2)十分な評判が形成されると、評判を自分の利益のために利用しようとする(cashing on reputation)、そうしたことが続くと、ついに(3)情報ナビゲータの不正が認識されるに至り、評判の危機が訪れる、というサイクルが生じる可能性がある。
蛇足だが、このサイクルは、トヨタの高品質という評判にも関連するところがあるかもしれない。
コメント
私は出版業界の人間ですが、ここで述べられているようなことが最近とても気になっています。
お聞きしたいのですが、そもそも「情報洪水」の時代に、果たして情報ナビゲータはきちんと機能するのでしょうか? というのは、情報ナビゲータが人間である場合、彼らもまた情報の洪水にさらされるわけで、そのときナビゲーターと役割を果たせる人間がいるのか、というのことがひとつ疑問です。
そのような超人的な情報収集・取捨選択の能力がある人間がいるとは、ちょっと考えにくい。ナビゲートを専門分野に特化するとしても、今度は「ナビゲーターの洪水」が起こるのではないかという気がします。
そこを機械的にやろうとしているのがグーグルやアマゾンなんだと思いますが、過去の履歴を参照するようないまの方向性では、ナビゲータとしての機能はやはり十分には果たせないと思うのです。つまり、受け手側にいままでなかった指向=未来、に向けたナビゲートができないのではないかと。
そのあたりを考えるのは池尾先生のご専門ではないかもしれませんが、もしお考えがあれば聞かせていただけると幸いです。
情報ナビゲータの能力に関しては、語るべき内容をとくに持ち合わせないので、ここでは取り上げないで、与件扱いしています(能力があるものと仮定している)。ただし、情報ナビゲータとしては、個人ではなく、むしろ組織をイメージしています。階層構造をもち、内部で分業をしている集団ですね。こうした組織が、一個人の認知能力の限界を多少は超えられるのは確かだとしても、本当に情報洪水に抗しきれるかどうかは、よく分かりません。
論文のように情報の査読を行う組織やTimes citedの数によって情報の価値を評価するシステムなどが生まれるでしょうね。あとはネットを利用した投げ銭システムとか。
ご回答ありがとうございました。
(出版業界の人間といいながら、いま見たら誤記ばかりで恥ずかしい限りです)
おっしゃる通り、階層構造と分業は重要なポイントだと思います。とはいえ、本当にそんな機能的なレイヤー構造を設計できるのかという疑問はありますが。決定的なソリューションが提示されるまでは、きっと何度も洪水に呑み込まれなければいけないのでしょうね。
「Who monitors the monitor?」私はこの答えは「cloud」だと思います。
N=無限大の無名の個人の集合体であるクラウドがランキングを行うことで優れたコンテンツが浮き出てくるのです。
その一つの答えが以下のサイトにあります。
ttp://timeowner.aa0.netvolante.jp/
これは私のサイトなので,宣伝になってしまうことをお許しください。
19850726131431-20100220010631-6310
情報量が増えれば、玉も増えるが石も増える。
これは電子出版に限ったことではなくて、
紙ベースの出版もそうですし、インターネット自体がそうです。
出版では「新書の発売はもういらないのではないか」と言っている人さえいます。
インターネットに関して「価値のない情報が増えて困った」という意見はあまり聞きません。
むしろ「情報は自分の目で見極めないといけない」という意識が格段にアップしたと思います。
僕は小学生のころから読書をすすめられました。親にも先生にも。
いつのまにか本に書いてあることはすべて正しいと思うようになりました。
いまでも「本屋はウソの情報を売って儲けている」と非難する人はいないでしょう。
でも実際は玉石混交だということをインターネットは教えてくれました。
今後、電子出版はインターネットの一部となり、ヤフーやグーグル、アマゾンが
ナビゲートするようになると思います。出版物の評価手法も少しずつアップしていくでしょう。
購入者が選択をあやまったところで、紙ベースの本を買うより金銭的な被害は少ないです。
石が増えても玉が増えるなら、それでいいと思います。