なぜ薬剤師でなければ医薬品を取り扱ってはいけないのか  井上晃宏(医師、薬剤師)

井上 晃宏

 私は医師であると同時に薬剤師である。管理薬剤師を3年ばかりやっていたこともある。
 ここで述べることは、業界内の人間にとっては、ほとんど常識とも言うべき事柄であるが、マスコミやWebに流れることはない。業界にとって不利な事柄だからである。(テレビ業界にとっての電波利権のようなものだ)
 50年前の医薬品は不均一で不安定だった。品質や有効性や真贋を見分ける必要があった。また、薬は、製薬会社から供給される形態のままで患者に使うことができず、エキスを抽出したり、増量剤を混ぜて分包したり、打錠機で錠剤としたり、カプセルに詰めたり、ワセリンに混ぜて軟膏にしたり、溶かして水剤とする必要があった。輸液も、製品の種類が少なく、めんどうな調製を必要とした。そのためには、専門技術者が必要だった。
 宮崎駿監督作品「魔女の宅急便」の冒頭で、キキのお母さんがやっている仕事が、かつての薬剤師の仕事だった。薬局は単なる小売店ではなく、家内制手工業の工房だった。


 そのような時代の技術水準を反映して、厚生労働省令(昭和36年制定)により、薬局には、以下のような設備の設置が、現在でも義務付けられている。この規定は、個別の薬局に機器を置かなくても、外部機関に委託するという形でクリアすることができるが、薬剤師はこれらを使用できるよう訓練を受けている。しかし、実際に使うことはない。

イ 顕微鏡、ルーペ又は粉末X線回折装置
ロ 試験検査台
ハ デシケーター
ニ はかり(感量一ミリグラムのもの)
ホ 薄層クロマトグラフ装置
ヘ 比重計又は振動式密度計
ト pH計
チ ブンゼンバーナー又はアルコールランプ
リ 崩壊度試験器
ヌ 融点測定器
ル 試験検査に必要な書籍

 製剤技術の進歩によって、医薬品取り扱いに技術は必要なくなった。現在の医薬品は、特殊な操作を経ることなく、患者に使用できる。薬剤師が医薬品を取り扱うのは、歴史的遺制だ。
 一般に、技術の進歩は、それまでの専門技術者を不要にする。
 和文タイプがワープロに進歩することで、専任オペレーターが不要になったように、電算写植機やDTPの進歩により写植工がいらなくなったように、銀塩カメラがデジカメ化されたことでDPEが不要になったように、かつての専門技術者は不要になってきている。
 単なるキーパンチャーは消滅したが、他のOA業務に進出する形で命脈を保ったとも言える。技術者は絶滅したのではなく、別の仕事に移動していったのだ。
 ところが、業務独占の免許制度があると、このような柔軟な職能の変化は起こらない。いつまでも、教育と不釣合いな単純作業に技術者が張り付けられてしまう。
 薬剤師は、「単なる販売や調剤業務から脱して、医薬品情報業務に進出しつつある」などと言われることがある。わかりやすく言えば、店頭でレジを打ったり、薬のシートをハサミで切って袋に詰める作業だけでなく、医師の書く処方箋を監査したり、医師のコンサルトに答えたり、患者に服薬指導をしたり、医薬品情報収集(DI業務)をしているというのである。
 ところが、依然として、OTC販売(第一類)や調剤業務は彼らが独占している。そのために、薬学教育における実験化学教育の割合は現在も高く、薬に直接関係する薬理学や薬物動態学は多くはない。薬剤師は、一般人が漠然と想像しているような「薬の専門家」ではない。中途半端な実験化学者なのだ。
 もっとも、「OTC販売や調剤業務のために化学教育が必要」という話が嘘であることはすでに説明したとおりであるが、薬剤師の職能を正当化するために、薬科大学では無意味な教育が続いている。
 医薬品開発を行う研究者、技術者の養成もしているという言い訳をする人もいたようだが、薬科大学独自の研究分野は存在せず、他の学部で代替できるので、実験教育を行う理由にはならない。製薬会社で、実際に医薬品開発をしている研究者は、理学部や工学部や農学部出身者が大半であり、薬学部出身者がいなくなっても、特に困らない。
 「高学歴者を単純作業に張り付けている」状況を改善するには、古典的な薬剤師の職能を一般人やテクニシャンに明け渡し、「高度な仕事」に職能を絞れば良いが、日本薬剤師会や薬科大学などのロビイングがそれを許さない。大半の薬剤師は、「高度な仕事」なんかしていなくて、「レジ打ち、袋詰め」で食っているのだ。

コメント

  1. tadaon より:

    井上さんのいうことはもっともだと思います。
    薬を処方してもらっても頼みもしないのに調剤技術料とか薬学管理料とか勝手に点数付けされています。
    でも医療、薬学関連の規制緩和をしようとすればヒステリックに騒ぐ人たちがいるんでしょうね。
    ジェネリック医薬品を導入するのもいいですが、不要な管理を効率化して医療費を削減して欲しいですね。

  2. kamiba より:

    OTC販売や調剤業務のために化学教育は不要っていうのは、「ホームページビルダー使えばサイトつくれるからタグの知識は不要」って言ってるようなものですね。
    たしかにレジ打ち・袋詰めくらいなら薬の名前と薬効がわかってればできるでしょうけど。

  3. ゆうき より:

    外国において医薬品の取扱いはどのように規制されているのでしょうか。アメリカ、EUそれぞれ日本の薬事法に準じる規制が存在しているはずです。外国の規制と比較して、日本の薬事法が非効率的といえるなら既得権益に反対する理由がはっきりします。

  4. kitasai555 より:

    湿布薬にもジェネリックの値差がありますね。
    日本の医療費を節約するには全国民がひとつひとつに目を光らせる習慣を持つことも肝要です。
    国民が変われば世の中も変えられます。

  5. agari63 より:

    もっともですね。
    薬剤業務で一番危惧するのは、薬の分量間違い、配布間違いが一番ではないでしょうか。
    医者の処方間違いチェックは薬剤師でも出来ますが。薬間違いはチェックできません。一人の薬剤師に私たちの命を預けているのです。

    たとえば 血圧を下げる薬を処方されているにも関わらず、血圧を上げる薬を渡され。薬剤師が渡してくれた薬だからと安心して飲んでいたら、 後から薬局から電話があり。 薬の渡し間違いだから、飲まないで下さいって。
    あり得ません?

    医薬分離もよいですが、薬剤師のあり方は、考えるべきですね。

    現役バリバリの薬剤師さんは結構ですが、現役をしばらく外れていた薬剤師さんの現場復帰に対する、資格確認も必要ではないでしょうか?

    資格を取ってしまえば後は死ぬまで薬剤師さんってどうでしょうかね。

    資格更新試験なんてものの導入も検討すべきでは?

    近い将来 薬剤師を訴える訴訟も多くなるだろうな。

  6. aobatyouzai より:

    薬剤師です。
    井上氏の指摘するとおり、薬剤師会や医師会、政府は反省せねばならないでしょう。
    薬剤師に限らず、多くの医療職は数十年前までのような煩雑な実務から開放されています。一方で医学自体は飛躍的な進歩を遂げ、医師一人では適切な医療知識を保持すること自体ほぼ不可能になっています。
    近年は多くの疾患で治療ガイドラインが発表され、標準的な治療が推奨されていますが、高血圧のガイドラインですら多くの医師は通読しておらず、実際に患者の4人に1人しか適切な血圧にコントロールされていない現状を国民は知りません。
    薬剤師は適切な薬物治療がなされていない場合、医師や患者にそれを勧告する職責を持っている筈ですが、処方せんを発行するかどうか医師が決めるという世界的にも珍しい制度のため、薬局は事実上門前医の下請けで発言権はありません。
    日本は医師会、製薬企業が強く、薬剤師は機能していない。政治家は献金で、国民は無関心で現状を追認する。薬害大国と呼ばれる背景になっているのではと思います。