News - 鈴木宗男衆議院議員上告棄却

2010年09月09日 12:30

これが由々しき事態であることに、どれほどの人が気が付いているのであろうか?

【佐藤優の眼光紙背】なぜ最高裁はこのタイミングで鈴木宗男衆議院議員 の上告を棄却したか? – 眼光紙背 – BLOGOS(ブロゴス) – livedoor ニュース

9月8日午後、7日付で最高裁判所第一小法廷が鈴木宗男衆議院外務委員長(新党大地代表)の上告を棄却した。鈴木氏の弁護人は異議を申し立る意向を表明しているが、過去の例でこの種の異議が認められたことはない。近く懲役2年の実刑が確定し、鈴木氏は刑務所に収監される。

これの意味するところは、選挙より司法の方が偉いということだからだ。

プログラマーより、プログラムの方が偉いということでもある。

仕様を直すより、仕様に従う方が重要だということだ。

勘違いしないで欲しい。私は別に鈴木宗男議員が善で司法が悪だといっているのでは全くない。

何が善で何が悪かを決めるのか、誰が決めるべきかというところに問題があると言っているのだ。

最高裁判所は最高政治裁判所でもある。それは、2002年に鈴木宗男追放キャンペーンの中心に立った竹内行夫外務事務次官(当時)が現在、最高裁判所裁判官をつとめている事実からも明白だ。所属する小法廷が異なるなどということは、本質的問題でない。司法試験にも合格していないので、法曹資格ももたず、かつ極めて政治的動きをする人物を行政機関である外務省から受けいれている最高裁判所という組織自体が、「司法権の独立」という名目からかけ離れた組織だということを筆者は指摘しているのだ。

ご存知のように、裁判所には法は書けない。法を書くのは議員の仕事だ。いや、厳密には我々の仕事だ。しかし我々有権者が自ら書いては収拾がつかなくなるから、書く人を選んでその人に法を書く仕事を委託しましょう、というのが議会制民主主義ということである。

その法を書く人を、選挙されていない人が裁く。

ここに違和感を感じない人は、議会制民主主義の主にふさわしいとはいえないだろう。

もちろん議員とて我々と同じくただの人である。我々と同じ程度には悪いことをするものだと考えて然るべきだし、それに対する手が不要だと考えるのもまた議会制民主主義の主にあるまじき怠慢でもある。プログラムの発注者が委託先を見るような目で、我々は議員を見なければならない。ダメプログラムを納品されて困るのは、プログラマーではなくユーザーなのだから。

しかしそれを司法の仕事とするのは、コンピューターにプログラマーを診断させているに等しい愚挙ではないのか?

このタイミングで最高裁判所の司法官僚が鈴木氏の上告棄却を決定したことは、きわめて合理的だ。

そう、司法にとって合理的。

問題は、それが我々にとって合利的かどうかだ。

我々がプログラマーよりもプログラムの方を大事にする限り、この国の運営は司法にとって合理的なものでありつづけるだろう。

Dan the Taxpayer

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑