知られざる第3のビール戦争(2)

加藤 鉱

【幻の大ヒット商品】

「麦の薫り」のプロモーションは異例だった。トップバリュの新製品拡販は店頭中心の地味なスタートが常。だが、「麦の薫り」の場合は、六本木やロッテスタジアムでの無料配布をはじめとする「1万本サンプリングキャンペーン」を展開、従来のPB拡販とはまったく違う手法をとり、発売日を迎えた。

「麦の薫り」が予想の3倍もの売れ行きをみせて慌てたのはサントリーだった。


トップバリュ 麦の薫り

消費者の反響の大きさにではなく、ビール大手他社、卸大手、酒販小売組合などから強硬なクレームをつけられ、対応を迫られたのである。

「『麦の薫り』の値段を変えてほしい」

「どういうことですか?」

「あまりに売れすぎで、このままでは自社製品の売り場所が確保できなくなってしまう、と他社から強く抗議されている。『麦の薫り』の100円は安すぎる」

「でも、サントリーさんは100円で売ることに同意したじゃないですか」

「原価は据え置きでもいいから、売価を変えてください。6缶パック600円を628円にしてくれませんか」

「申し訳ないけれど、製造委託先に価格主導権を握られるものはPBとは呼べません。サントリーさん、それではまったく話にならない」

「条件変更について、よそでは飲んでいただいている」

「よそはよそでしょう」

 サントリー、イオン担当者のあいだでこのようなやりとりがあったと聞く。

 この、よそ、とはセブン&アイのことを指す。セブン&アイは、サントリーの求めにあっさりと応じて、『THE BREW』の6缶パック600円を628円に値上げしていた。

 数日後、サントリー側は麦の薫りの生産打ち切りをイオンに伝えてきたという。これに対しイオン側は、「いったん双方で合意して決めたのだから、少なくとも1年間は契約数量に従ってPB生産すべきではないか」と反発した。

しぶしぶサントリーは9月から生産再開に応じたものの、増産はわずか240万本にとどまった。サントリーの腰砕けは、ビール大手他社、卸大手などからふたたび圧力をかけられた可能性が高い。

つくりたくないところにつくらせても仕方がないという結論に至ったイオンは、第3のビールPB市場から撤退することになった。

かくして「麦の薫り」は幻の大ヒット商品となった。

ふつうに考えれば、サントリーの契約不履行のような形にみえるわけで、なんらかのペナルティが同社に科されたかもしれないが、そこまでの話は洩れてきてはいない。

 それにしても、他のビール会社から「麦の薫り」の値段を上げるよう強く要請され、サントリーがそれに呼応して動いた今回の一件は、図らずもビール業界の談合体質を露呈したようなものではないか。

「麦の薫り」はそれっきり店頭にならぶことはなかった。かたや、「THE BREW」のほうはいまも売られている。

【気が抜けてしまった第3のビール市場】

こうして、さまざまな圧力、加えてメーカーとの価格政策の違いで、イオンの第3のビールPBの展開はご破算になったわけだが、外資系小売業の責任者で欧米のPBに詳しい人物はこう語る。

「イオンとしたら、メーカーから『この値段にしてくれ』と要請されても、『じゃあ、そうしましょうか』と妥協するわけにはいかなかったのでしょう。

これは決して価格だけの問題ではなく、PBに対する哲学として、『ノー』を突きつけなければならなかったと思います。PBを開発する小売業は、メーカーの販売代位人としてPBを開発して消費者に届けているのではなく、あくまでも消費者の購買代位人の立場であるからです」

だから、「麦の薫り」の値段についてイオンは、販売規模や物流能力を最大限に使うことで100円という値段に決めた。これだけ景気が悪いなか、自宅で酒を楽しく飲みたい、外食から内食へと移っていくなかで、より家計にもやさしい酒が要求されているのではないか。そうした消費者の購買代位人の視点からマーケティングした結果の100円だったのだろう。

 彼は続ける。

「『麦の薫り』のラベルを見れば、トップバリュの「お客様サービス係」で問い合わせや苦情を受けることになっています。これは明らかにPBといえます。おそらく委託製造を受けたサントリーは共同開発の一線を超えた。ルビコン川を超えたにもかかわらず、PBがなんたるかを本当に理解できていなかった。だから、サントリーは駄々っ子のような対応に終始したのでしょう」

 サントリーの裏切りに遭ったイオンは第3のビール分野から撤退を余儀なくされた。100円で売られた「麦の薫り」が姿を消すとともに、ビール市場全体もそれこそ気が抜けたビールのように精彩を欠いてしまった。

日本の談合体質がまだまだ根強いことを知らされた一件であった。

 いわゆる守旧派に痛めつけられたイオンの第3のビール。果たして捲土重来はあるのだろうか。

 (以下次号)

ノンフィクション作家 加藤鉱