国債の償還について、国民は「同意なくして支払なし」では - 平井進

2010年11月08日 11:11

(1)公債発行特例法案は常に野党が反対してきている

7月26日に拙稿「国民が政府の大きさを選択できるように、国債発行をやめてみては」を発表して、財政法の原則に例外を設けて赤字国債発行のために毎年度毎に立法される公債発行特例法を次年度の2010年度予算ではやめてみることを提案した。これは大方には、どちらかというと非現実的なアイディアとして受け取られたようである。


実際には、2010年度予算案の審議(第174国会)において、自民党・公明党・共産党・みんなの党などは予算案と公債発行特例法案に反対している。その前年度の2009年度の予算案の審議(第171国会)では、予算案と公債発行特例法案に民主党・社民党・共産党などが反対しており、いずれの案も参議院で否決され、衆議院で三分の二以上の多数で再可決され、成立している。このように、従来、野党は内閣が提出する予算案と共に予算関連法案の一環として公債発行特例法案に反対するのが慣例である。従って、2011年度予算の審議において、公債発行特例法案は野党が多数の参議院では否決される公算が高いが、問題はその場合に衆議院で再可決できるかどうかということにある。自民党の谷垣禎一総裁は、去る7月27日の日本外国特派員協会での講演で、公債発行特例法案が参議院で通るかどうか「いろいろあやがある」と話しており、8月2日の衆議院予算委員会でも公債発行特例法案の賛否について「慎重に検討する」と発言している。

上記のように、公債発行特例法案に反対することは野党が政権の予算案に反対するための常套手段の如き観を呈しており、(常に野党である)共産党の他は必ずしも節操をもって扱われてきたとはいい難い。また従来、野党もどこまで覚悟をもって公債発行特例法案に反対してきているのか必ずしも明らかでない。衆議院で再可決が困難であるような場合、別の政策と引換に成立を認める大きな取引材料とされる可能性もありえよう。それに対して、これは政争の具であるべきものではなく、国債の発行がその償還の支払に関して国民の同意を得ていないという民主主義の問題であること、そうであってみれば、国民にとって意義ある政策決定プロセスは何かということで提案したのが上記拙稿である。

(2)国民の「同意なくして支払なし」

前回、述べていたことについて少し補足をしておきたい。2010年度の公債残高は637兆円であり、これは国民一人あたり499万円にあたる(財務省ホームページにある今年4月現在の資料による。ただし地方債等を加えた国と地方の長期債務残高は862兆円である)。同じ資料によると、勤労者世帯の平均年間可処分所得は531万円、平均世帯人員は3.45人であるので、平均すると世帯あたり3.24年分の所得にあたる。すなわち、国債に限ってみても、それをすべて償還するには国民としてこれだけの支払を必要とする。常識的には、これは税金(増税)によってまかなうしかない。

従来、もし毎年度の国債発行にあたり「累積する国債を償還するには世帯あたり○年分の所得に相当する増税が必要です」という説明がなされ、それに対する国民の同意が求められていたとすれば、そこまでして国債を発行することに同意する国民は事実上いなかったであろう(ここで国民の同意とは、基本的には選挙における選択をいう)。そうであってみれば、従来の国債発行は、その償還を行う国民の同意を得て行われていたものではなかったということである。

アメリカの独立革命において、“No taxation without representation”(代表(権)なくして課税なし)という標語があったことは知られている。マグナ・カルタの時を含めて、課税に関して同意する権利、すなわち拒否することができるかどうかという問題は、そのような変革や革命を起こすに充分な大義であったのであり、税の問題は民主主義の本質的な問題なのである。

同意がなく支払(課税)が求められるということにおいて、植民地における本国政府の決定と、議会制民主主義における議会の決定との間にはどのような共通点と相異点があるのであろうか。相違点は明らかであるが、今日の日本において、国債償還のための支払(課税)が国民にとって上記のようにきわめて大きな負担であるにもかかわらず、その負担について国民の同意なく行われた国債発行については、国民が「同意なくして支払なし」という心情をもつとしてもおかしくないであろう。負の遺産が残されるだけの将来世代にとってはなおさらである。ここでは「国民は支払うべきでない」と主張するつもりはないが、国債償却を負担することに関してほとんど意見が見られないということは、国民にとってその問題がほとんど現実にあるべきこととしてとらえられていないことを示している。

「同意なくして支払なし」は、財政赤字構造をもついくつかの先進国に共通する議会制民主主義の課題である。議会制における典型的な悪魔は、議会政党における「ひとごと」の意識・行動であり、それによる国民の情報操作である。財政法の基本に立ち戻るには、公債発行特例法案に賛成する議員は、その赤字国債発行額と同額を個人的な債務と見なして、その償還に関しては共同して責任を負うというような具体的な仕組を設けることしかないかもしれない。(上記の「そこまでして同意する国民はいない」と述べたのと同様に、「そこまでして立法する議員はいない」であろうから、そのような抑制を現実の仕組とすることが有効である。)財政の基本原則とは、その原則から離れようとする者がそれを自ら負担するのでなければ、(中世の国王であろうが今日の議会であろうが)単なる専横となるということである。

(3)自民党の財政責任法案

自民党は今年の2月に「経済と財政に関する自民党の考え方」を発表しており、そこでは「『中期経済財政見通しと財政再建目標』不在のまま予算審議・税法審議を求めるのは行政の怠慢に他ならず(返済計画もないままに、借金をするのと同じ)」とし、このままでは国債需給が「危険水域」入りするために、財政再建目標として「プライマリー・バランス赤字5年待たず半減、10年で黒字化」することを掲げている。

同党はさらに、制定すべき「財政責任法」として、3月に「国等の責任ある財政運営を確保するための財政の健全化の推進に関する法律案」(財政健全化責任法案)を発表している。その財政健全化目標は上記「考え方」の目標と対応しており、「一会計年度の国及び地方公共団体の財政赤字額が生じないようにすることを目指し」て、「国の基礎的財政収支額及び地方公共団体の基礎的財政収支額の合計額」を、「(1)平成32年度までを目途に、当該合計額の黒字化を確実に達成すること。(2)遅くとも平成27年度までに、当該合計額の対国内総生産比を平成22年度の当該合計額の対国内総生産比の2分の1以下とすること。」とする(第5条)。また、「政府は、財政健全化期間おける各年度の予算の作成に当たって新たに予算を伴う施策を実施しようとするときは、原則として、当該施策の実施に要すると見込まれる経費の額を上回る額の財源を安定的に確保するものとする」(第7条)。

過去にも政府は財政再建のルールを決めたことがある。1997年の「財政構造改革の推進に関する特別措置法」は、2003年度までに国と地方の財政赤字の対GDP比を3%以下とすること、2003年度までに特例公債依存から脱却することを内容としていた。しかし、この法は早くもその翌年にこれを停止されている(「財政構造改革の推進に関する特別措置法の停止に関する法律」)。

この「財政構造改革の推進に関する特別措置法」と上記の自民党の「財政健全化責任法案」とは、いずれも収支をバランスさせることを将来的な課題とするという点において共通している。前者が失敗したのは、それをすぐにバランスさせようとしなかったこと、それにより増税が必要なのであればその議論につなげることをしなかったことにある。「財政健全化責任法案」が同様のことにならないようにするには、財政法の基本に立ち戻って次年度予算に関しては公債特例法を認めないということに踏み込まなければならないのではないかと思われるのである。自民党は「消費税増税」から始めるのではなく(さすがに、消費税を10%にしてもそれで財政健全化ができるとは考えていないであろう)、先ずは支出を税収の範囲内で行わざるをえないという状況に政府ともども国会を追い込み、そこで従来の税収を越えても国民にとって必要であるという支出があるのであればそれを確認し、それについて必要な増税策がどうであるべきかを議論するのが順序ではなかろうか。
(平井進 東北大学大学院)

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