大学とは何か?

松本 徹三

このタイトルは何だか明治の初期の論文のタイトルのようですが、今こう訊ねられた人は、どう答えるのでしょうか? 当事者である文部科学省の幹部や、大学の先生方、学生を含め、多くの人達の答はそれぞれに相当異なったものになるように、私には思えます。


しかし、今、この瞬間も、この定義さえ定まらぬ「大学」に入学する為の受験勉強に、多くの若者達が多大の時間をかけ、神経をすり減らしています。そして、一旦入学すると、4年間(修士課程に進む人は6年間)の長きにわたり、大学の構内で過ごす時間が彼等の生活の中心になり、国からも家計からも、毎年膨大な金銭が拠出されます。

ここで使われている時間と金銭の事を考えると、「大学」というものは、我々の社会全体にとって明らかに極めて重要なものなのでしょう。しかし、もしそれがそんなに重要なものであるのなら、それが正しく機能しているかどうかに、我々はもっと関心を持つべきです。

私の考えは単純明快です。全てを一概に評する事はできないとしても、私は、全般的に見て、「現在の日本の大学のあり姿は正しくなく、大きな改革がなされなければならない」と思っています。現状は、若者達の為にあまりなっていないのみならず、日本の産業全般の競争力を押し下げ、日本の将来を危うくしていると言っても過言でないと思います。

事実をありていに言えば、多くの企業は、そこで彼等が何を学んできたかについては殆ど関心がないにも関わらず、「何処の大学を出たか」を、新入社員選考の基本的な「入り口」にしているかのようです。ですから、多くの若者達は、そこで何を学んだかよりも、「卒業した」という事実の方が重要と考えているでしょう。この様な「実質より看板を重視する姿勢」は、全てのモラルハザードの源泉であり、生産性を害する元凶です。

さて、それでは、最大の当事者である各大学の学長や総長、教授会の主たるメンバーはどう考えているのでしょうか? 私の推測では、彼等の多くは、明治以来の「大学の定義」を、今なお日々復唱しているのではないかと思います。それは、一言で言えば、「大学は学問をする所である」という事です。具体的には、「教授や準教授、講師、及びその他の職員は、日々研鑽して自らの知識を深め、疑問に対する新たな解を見出し、その結果を、授業やゼミナールを通じて学生に伝授し、学生の知識習得や思索を助ける」というところでしょうか?

しかし、これは美しい言葉で表現された「建前」に過ぎず、「大学」というシステムを支えている納税者や、そのシステムの利用者(学生や、学費を支払っている学生の保護者、卒業生を雇用する企業など)のコンセンサスを得ているようには思えません。明治時代に日本で初めて大学というものが設立された時からは、既に多くの年月が過ぎており、社会のあり方は大きく変わってきているのですから、人々が大学に求めるものも変ってきているのは当然なのに、肝腎の当事者には、その意識があまりない様に思われます。

ところで、私が今回この事を話題にして、皆さんのご意見を伺いたいと思ったのには、それなりの理由があります。

実は、数日前に、私は在京の某一流私大の理工学部の教授を務めるT先生という人の話をお聞きし、痛く感心しました。しかし、それと同時に、この人のようなやり方は、未だ多くの大学ではかなり異端(マイノリティー)であり、大学のあり方の方向性を決める上では、殆ど影響力を持てていない事も知りました。それは、私にとっては大変残念な事でした。

この人は、十数年前に某メーカーの技術部門からこの大学に転籍してこられた人で、赴任当初は、「果たして自分が何か人に教えるに足るだけのものを持っているだろうか」と悩み、学生達にも、「技術は日々進んでいくもの故、自分は君達に教えるというよりは、君達と一緒に学び、考えていきたい」と、率直に語っていたという事です。

しかし、それから十数年を経た現在、この人の授業も、この人の研究室も、学部内では最も人気があるようです。研究室に所属する学生達は、他の研究室とは比較にならない程の大きな負担があるにも関わらず、むしろそれを喜び、休日も返上して研究に励んでいると聞きます。それというのも、T先生が、学生達にはっきりとした目的意識を持たせ、実社会のニーズと結びつきそうな研究をさせているからだと、私は思いました。

現実に、この人の研究室では、現在、複数の企業からの委託研究も受注している由です。委託研究と言っても、受け取る金額は数百万円といった規模ですから、企業側からすれば僅かなものでしょう。「将来もしかしたら大きな需要を生むかもしれない」といった種類の、斬新でユニークな基礎研究なので、自社内にはこなせる人間が見当たらず、それ以上に、「内部のリソースを使えばもっと大きなコストがかかってしまう」故の発注だったと思われます。

しかし、学生達が目を輝かせてこの研究に取り組んでいる様は、私にも容易に想像がつきます。学生達は、この研究の結果がもたらすであろう事に興味津々であるのみならず、この仕事を通じて実社会に繋がっているという事を、心から喜んでいる筈です。

「現代の若者達は無気力だ」と、大人達は勝手に決め付けてしまっていますが、果たして本当にそうなのでしょうか? 実は、「現在の社会の仕組み」や、「物事を決める立場にいる人達の階層構造」が、本来はもっと可能性を持っている筈の若者達を、そのような「惰性で動く方向」へと、追いやってしまっているのではないでしょうか? 頭脳も感性も未だ柔軟で、伸び盛り、鍛え時の若者達の時間を、大人達は粗略に扱いすぎていると思います。「放任」や「甘やかし」も、「粗略に扱っている」のと同義です。

T先生の監督下で受託研究を行っているチームは、企業内の組織さながらに、一人のリーダーが指揮するプロジェクトチームを組成しているらしいのですが、発注者側のスケジュール遵守の要求が厳しいので、責任ある立場の上級生も、比較的受身の下級生も、誰一人手を抜くメンバーはいないとの事です。

(そんな姿を見ているからなのでしょうか。現在多くの学生達が就職難に怯えている中でも、「自分の研究室にいる学生については全く心配なない」と、T先生は自信満々でした。)

私は以前から、「企業はもっと大学の研究室などを使って、学生のエネルギーを利用すべきだ。学校側にとっても、学生に絶好のトレーニングの場を与えられるので、歓迎する筈だ」と考えていたので、この話を聞くと、まさに我が意を得た感がありました。しかし、T先生の所属する大学の学内には、こういうやり方に反発する先生方もいるようです。「大学は『学問』をするところ。『研究』は純粋であるべきだ。企業に迎合するのは如何なものか」という事なのでしょう。

私も、全ての研究が現実社会のニーズに直結すべきだとは思いません。当然、純粋な基礎研究もあってよいし、一生脇目も振らずにそういう研究に没頭する人もいてよいと思います。しかし、それは比較的少数であって、多くの先生方や学生達は、もっと実社会に直結した感覚を持って然るべきと思います。もっと目的意識と競争意識を持ち、時間に対してもセンシティブであるべきです。

今の大学は、あまりにも世間から隔離された「純粋培養」の世界をつくっているのではないでしょうか? T先生のような人は、大学の中では「特殊でマイナーな存在」なのかもしれませんが、大学でメジャーな地位を占めている先生方は、「広い世界全体から見ると、むしろ自分達の方が逆に『特殊でマイナーな存在』なのだ」という事を、是非知っておいて頂くべきだと思います。

コメント

  1. galois225 より:

    私は大学の理工学部で教えて居りますが、大学は社会に直結することを教えるところではないと思っています。

    大学は、ものの考え方や、分析の仕方、論理的な考え方をする訓練をするところというスタンスです。 要は、基本的なことをしっかりやって、それを使ってどう考えるのかということです。

    勿論、応用的な事柄や、企業との共同研究でも、こういった思考訓練に役立つのであれば、歓迎です。 しかし、すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなることが多いのです。 基本をしっかりやるということが非常に大事で、基礎がしっかりしていれば、応用も利くものです。 実験系であれば、実験のやり方、データの分析の仕方をきっちりやれば良い訳です。

    大学で研究したことが、直接社会に出て役立つことは極めて稀でしょうが、それでも十分意義のある教育が出来ていると思います。

  2. foo794 より:

    確かに大学改革も必要だとは思いますが、根本は「多くの企業は、そこで彼等が何を学んできたかについては殆ど関心がないにも関わらず、「何処の大学を出たか」を、新入社員選考の基本的な「入り口」にしている」ということに尽きるのではないでしょうか。
    企業が大学や大学院での成績や研究成果に重きをおかず、卒業の1年以上前から内定を出すようでは、学生が大学で真剣に学ぶインセンティブはなくなります。学生の最大の関心は就職なのですから、彼らはそれに向けて合理的な行動をとります。大学のカリキュラムを変えてもあまり意味はないでしょう。
    T先生の姿勢は大変すばらしいと思いますが、それがマイノリティーである理由を企業サイドの方々こそ考えてほしいと思います。

  3. 松本徹三 より:

    「問題はむしろ企業側にある」というご指摘には私も同意しますが、その根底には大学教育の内容に対する不信感もあるので、双方がもっと緊密に本質的な問題を話し合っていくことが必要だと思います。

    また、大学側としては「じっくり基礎を教えているのだ」ということなのでしょうが、問題は学生の側が興味を持っているかどうかです。実社会との結びつきの重要性を申し上げたのは、必ずしも「すぐに役に立つ」ことを期待してではなく、その方が学生が興味を持つだろうという理由もあります。興味こそが意欲の源泉であり、意欲がなければ何も身につきません。

  4. masahiro_furusawa より:

    松本様
    SAPジャパンに勤める古澤昌宏と申します。
    T教授のお考えに賛同して、教授の開講されている講義に年に一度登壇させていただいています。今年も、先週、多数の意欲ある学生さんたちと楽しい時間を過ごすことができました。

    私は、大学は多様性があってよいと思います。

    もちろん、実社会に目を向けた大学であるべきという考え方に共感しているので、T教授の取り組みに何とか寄与したいと考え、行動しているのですが、大学内には考えの多様性があってよいと思いますし、むしろそうあるべきではないかと考えています。
    T教授は、学内では少数派かもしれませんが、共感した者が学外から支持・支援する今の形も、学生が自らリスクをとって道を選択していく多様性の一つとして、素敵だと思います。
    その多様性を創りだしていらっしゃるT教授のご努力に敬意を表します。

    さて、最近では、「実社会との結びつき」を重視する大学も出てきたように思います。秋田の国際教養大学、立命館アジア太平洋大学、あるいは最近増えてきた国際教養系学部などの取り組みは、社会に出た時の基礎訓練を学生に課すというカラーがはっきりしています。

    そういった大学・学部から、あるいは自己研鑚を積んで世に出てくる意欲のある若者に、チャレンジしがいのあるミッションを与えるのが、我々ビジネスに携わるシニアの役割ではないかと考えています。

  5. shuu0522 より:

    松本様の意見に大賛成です。
    そもそも大半の学生が大学は遊ぶ場としか認識しておらず、結局企業は新卒者を一から教育しなければなりません。大学で学んだことが仕事に活かせないなら企業としては素養のある人材の目安として大学名で判断することになってしまった。極端な話、素養のある人材だとわかるなら高卒でも良いわけです。
    本当に大学が意義のある場であれば企業も大学名ではなく、大学で何を学んできたかを重視するでしょう。
    ものの考え方や論理的な考え方をする訓練なんて高校で学ぶ話のように思います。
    誰でも大学に入れる時代になった今こそ、大学の在り方を見直すべきです。

  6. foo794 より:

    松本様
    ご返事ありがとうございます。企業と大学双方がもっと緊密に話し合っていく必要があるというご意見には私も賛成です。私は国立大学の工学部電気系の教員をしていますが、我々の学科では元々産業界とのつながりが強いこともあり、近年は企業および政府からも即戦力となる学生の育成を強く求められています。大学は現状に即した人材養成プログラムを用意しなければならないということは、多くの大学の共通認識になっていると思います(もちろん、大学は多様性ですからすべてがそうではないとおもいますが)。ですので、企業の採用においてもそのような改革を後押しするような、学生の大学での成果を重視したものになってほしいと思っており、またそれが企業の体力回復にもつながるのではないでしょうか。

  7. tomtakagi より:

    <高木コメント1>

    コメントを書いたら非常に長くなってしまいました.
    大変ご迷惑かと思いますが,4部に分けて投稿させていただきます.

    松本様が問題提起をされた後,ほぼ議論が収束した感がありますが,お話に出てきた本人として,大学に身を置くものの立場から意見を述べさせていただきます.
    私は現在首都圏の私立大学の情報科学科で教授をしております高木友博と申します.
    もちろん,私も松本様と同意見です.

    私は企業と大学の両方で働いた経験がありますが,いずれも15年くらいになります.また企業では経営層にいたこともあり,大学でも多く問題点が目につくことから,話が多少ラジカルになるかもしれませんがお許しください.また以下の話は私のごく身近での経験から一般論を推測したものであり,すべての大学や学部を超えてあてはまるものではないことも前提としてお話しします.

    ・時代背景(昔と違い今の大学は企業人の育成が主たる役割):
    大学は,管轄がもと文部省であったことからも明らかであるように,教育を主たる機能として存在する機関であり,対象とする年代の青年を育成し社会に送り出すことが使命であることは明らかです.ちなみに研究が主だと思っておられる方もいらっしゃいますが,これは勘違いでしょう.
    遠い昔は学士様といわれる人物を輩出する事が大学の目的でしたが,現在ではその役割は大きく変わり,学部卒,院卒,博士と一般的卒業生のレンジも広くなり,学士は最下位の存在にすぎず,理科系一流国立大学では学部卒の80%が院進学し,一流企業本社技術部門では80%が院卒です.
    つまり大学(とくに学部)に期待される機能は単純なアカデミズムではなく,「社会に旅立つ人たちの育成」に大きく変化しています.

  8. tomtakagi より:

    <高木コメント2>

    (コメント1-4をほぼ同時に投稿したせいか,2以降が掲載されませんので,再度コメント2を投稿いたします.以前の投稿と重複した場合お許しください.)

    ・現状(企業人に必要なのは部品的能力ではなく高次の能力):
    大学の卒業生のほとんどが企業に就職し,その職種が純粋な研究職であることは稀です.企業は主にチームで仕事をする場所であり,企業で活躍できる人物像は,100人の企業人に聞けば90人は,コミュニケーション能力,構想力を上げるでしょう.コミュニケーション能力とは,話がうまいという意味ではなく,問題の発見,分析,解決,部下や周辺とのやり取りにおける問題解決,さまざまな要素的能力の集大成です.また構想力とは,私の分野である情報科学においては,世の中にある情報技術がすでにかなり大規模複雑なシステムになっているため,それをうまく使いこなしていくための知識も含まれ,単なる論理的思考能力だけではありません.しかし現在の大学では部品を教えるのみで,上記のような高次の構想力を養うトレーニングは行っていません.

    ・問題(しかし育成側には企業経験がない):
    このように企業で活躍できる人材の育成とは異なった方向に大学教育が向いてしまっている大きな原因に,大学のカリキュラムや方針を決めている教員のほとんどが企業の実質を知らない事があると思います.つまり企業で活躍するために必要となる人物の素養を知らない人間が,育成方針やカリキュラムを決め,育成にあたっているわけですから,当たり前の結果です.
    さらに言えば,最近は大学の企業出身者も多くなりましたが,その大半は研究所からの転職です.その方々は,企業においいてごく一部の存在であり,企業全体を経営や人材育成の視点から見てきた人たちではありません.当然,価値観は研究だけに向いてしまい人材育成においては偏ったものになってしまいます.

  9. tomtakagi より:

    <高木コメント3>
    ・ここから私の意見をスタートします:

    多くの学生は,将来学問をすることが目的ではなく,企業で働くために大学に入って来ます.しかし大学教員は,そもそも企業で活躍できる人物像を知りません.または,すでに大学に期待される機能は(とくに学部は)「学問の教育」から「複雑な問題を発見し解決に導ける人物の育成」に変わっているにもかかわらず,「大学の使命はアカデミズムの追求だ」という古い観点を持っています.もちろん,学問をしたくて大学に入っている人もいるので,そういう人は学問を追求すればよいのですが,一般的には違います.

    私の考える答えは簡単で,社会のニーズにもっと素直に目を向ける事です.しかし,学内でこう言うと,「高木さんの意見はマイナーだ.はっきり言って一対他だ.」と言われます.社会のニーズに目を向ける事は,大衆迎合ととらえられるのでしょう.「高木さんは大学を分かっていない.大学は企業とは違う.」と何度言われたかわかりません.残念に思いますが,多くの教員はいまだに昔の大学の位置づけに安住し,社会ニーズを意識しなくても給料はもらえる所と思っているようです.この感覚の無さが大きな問題です.

    私の最大の心配は,大学の4年間が,若者が企業に入る前に長々と横たわっていることです.日本では,それなりの企業に入るには,大学を経由しなければなりません.しかも人生で最も吸収力のある年齢の時にです.しかし,現在の大学はそのニーズにこたえず,社会を知らない教員の思い込みでできあがった4年間を学生に押しつけます.学生は大事な4年間を奪われ,やる気をなくします.そして意味のない4年間をおくるのです.私には今の大学の存在が,企業に入る直前の貴重な4年間を奪うハザードになっているように思えてなりません.

  10. tomtakagi より:

    <高木コメント4>

    そこでわたしは自分のできる範囲で,つまり自分の授業やゼミでは,積極的に学生に企業を意識させ,いったん萎えてしまった目標を明確に復活させ,将来企業人として活躍できるように,プロジェクトリーダークラスの人物像をゴールにした教育をしています.その答えが,かなり高次な課題であったり,社会で実際に活躍している方の話を聞く事であったり,最新の実システムを理解することであったり,実際に企業との共同プロジェクトのなかで,その責任の重さや期待される速さや要求レベルの高さを実体感する事です.それに必死にこたえる中で,学生たちは目を輝かせて,まさに水を得た魚のように,生き生きとして,活躍して,一生懸命勉強して,驚くような成長を見せます.これが本当の成長だと思います.

    ちなみに,話の流れから私の研究室では,応用ばかりやっているように見えるかもしれませんが,しっかりした基礎研究を行い,その上に存在意義のある応用研究が成立しています.ニーズが見えると基礎研究も加速し,再度反転して応用も広がります.

    私は大学教員に.自分たちに期待されている役割が既に変わっていることに気づき,謙虚にそれに答えていく姿勢を持ってほしく思います.または,社会の変化の速さに,追従できる存在になってほしく思います.そうすれば,「大学で習うことなど何の役にも立たない.」とカビの生えたような存在とは言われずに,学生にも社会にも感謝される大事な存在になれると思います.

    私のような考え方は現状の大学内ではマイナーかもしれませんが,松本様や古澤様のような理解者にも恵まれ一つの流れになりつつあります.この流れは,インターネットの流れが止められないように,社会のニーズとして止められない流れかもしれません.将来このような流れが大きくなり,既存の大学の固定観念にとらわれない機構につながっていくことが私の望みです.

  11. galois225 より:

    高木様

    工学部の先生は企業との繋がりが強いのは当然ですが、私のように理学部の先生は、なかなか企業との接点を持ちにくいのが現状です。 私の場合は純粋数学ですので、企業との直接の接点はありません。 

    理学部の場合でも、学生の大部分は研究者にはならず、企業に就職します。 卒業生と会う機会は多い方だと思いますが、皆立派に活躍しているように思います。 実際に、純粋数学の研究室は就職状況は良いようにも感じます。

    卒業生に訊いてみると学生時代に学んだことは直接役には立っていないようですが、企業の側からすると大学教育の何が役に立っているかは良く分かりません。

    銀行、証券、保険、情報通信と数学の学生の進路は様々で、
    学部では応用数学の授業はほとんどないのですが、特に企業からの要望はありません。

    最近、銀行、証券のファイナンス理論向けの数学や、保険のアクチュアリー向けの統計のような授業もありますが、統計は簡単すぎるし、ファイナンス理論は、始めの測度論が理解できない学生が多いので、あまり人気がないようです。

  12. tomtakagi より:

    galois225先生

    お返事が大変遅くなしまして,お詫び申し上げます.
    私は数学科の内容について示唆できる立場にはありませんが,せっかくなのでご質問に可能な限りお答えする努力をしてみます。

    まず、2つの課題が混ざっているので,下記AとBに分けてお答えします。

    A:学問のためか働くためか?
    学校である限り、学生の将来の保障のための成長が,学問的追求に優先すべきことはお分かりと思います.
    したがって数学そのものをなりわいとして収入を得ていける人は、学問としての数学を大学で追及すべきであると思いますが,そのような人は極めて少数のはずです.ほとんどの卒業生が、数学の先生になるか企業に就職するでしょう。
    企業でも、金融や経済分野で様々な形で数学が用いられますから、その際数学以外に企業で必要となる様々な知識や経験を大学で時代に吸収しておく事が,企業に入ってからの彼等のアドバンテージになるでしょう.思い切って言えば,金融の仕組みなどは将来のために大学で教えてよいと思います.

    B:プロジェクトは可能か?
    純粋数学はすぐに企業で応用されるというものではないでしょう。他の学問がユーザにだと思います。しかし数学一般となると、少し話は変わるでしょう。
    例えば,先日現象数理の研究発表を聞きましたら、まるで情報科学科で私がWebを相手にやっている事とほとんど同じ事をやっていました。例えば、マーケティング分野で、関連企業に新しい方法論開発のニーズは明らかにあります。したがって,企業との共同プロジェクトはやろうと思えば可能だと思います.

    先生のお言葉をみると,企業が卒業生に何を求めているのか,大学での教育が学生の将来にどう役立っているのかを,きちんと調べておられないことがいろいろな個所で読み取れます.したがって,学生に何を教える事が彼等にとって最も良いのかを、裏付けを持って再考されることをお勧めします.

  13. galois225 より:

    高木様

    数学科の卒業生は、実に多様な業種に就職しています。 現状のカリキュラムでは、純粋数学の基礎(それも本当の基礎)だけ学習するので手一杯なのが現状です。 企業で働くための様々な経験や知識というのを、数学科で教えるのは、その進路があまりに多様なため難しいように思います。 

    実際に保険会社でアクチュアリーに携わる卒業生や、東芝、NECなどで働く卒業生に話を聞くと、大学で教わった数学より実際に使う数学は簡単で、すぐに習得できるという返答が返ってきます。 実のところ、全国の全ての数学科で卒業論文を課していません。 それは学部生が研究するのは難しすぎて不可能だからで、現在は多くの国立大学で修士論文を総合報告でも受理しているのが現状です。 そのくらい数学の研究は難しいものなわけです。 そのためか、卒業生は実社会で出会う数学が簡単に感じられるようです。 実際に卒業生は、金融工学やORで使う数学も大部分はすぐに学べるようですし、プログラミングもほとんど教えていませんが、SEなどで活躍している卒業生も多いです。 

    例えて言うなら、数学科というところは、芸術大学のピアノ科のようなもので、基礎的な訓練をしてテクニックを身につけてもらうところだと思います。 芸術大学でも一部の学生以外は演奏家になるわけではなく、伴奏やピアノの先生として活躍するわけで、これと同じなのではないでしょうか。 

    私は物理については詳しくありませんが、理論物理などでも、
    事情は同じではないかと思います。 

  14. galois225 より:

    高木様

    日本数学会でも、数学の有用性を社会に訴えるということは意識しております。 例えば、九州大学数理学府のMath. for Industryというプロジェクトは、大学院博士課程の学生を一定期間、企業に派遣して働いてもらうということをやっていますが、始めはあまり企業は乗り気でなかったのが、今では企業側の派遣要請の方が多い状況です。 

    派遣される学生は、純粋数学の研究をしているだけで、応用については何も知らないのですが、それでも企業側には有益なようですし、学生の側も自分の知っている数学がどのように生かされるのか体験することが出来て新鮮なようです。 

    しかし、東大、京大では、そういった企業派遣のプロジェクトは全くありませんし、応用系の先生もごくわずかいるだけです。 いろいろ議論はありましたが、それでよいという結論です。 実際のところ、企業が必要な数学となると、あまりに多種多様なのと、現実的には卒業生が自分の専門でない金融などに進んでも一線で活躍出来ているので、とくに進路に特化した指導はしていないようです。