「ムネオ事件」の教訓 - 見直すべきは「検察のあり方」だけではない!

2010年12月07日 09:15

6日に収監された鈴木宗男氏は、12月3日の「ムネオ日記」で :

「大阪地検特捜部の証拠改ざんの発覚、密室での強圧的取調べ。検事の誘導による一方的な調書作りが明らかになったが、これは大阪地検だけの問題ではなく、検察全体にある問題である。―中略― そのデタラメな調書を裁判官は『信用性が高い』と判断してしまう。 冤罪を無くす為にも取調べの可視化は絶対必要である。何よりも大阪地検特捜部の大坪特捜部長・佐賀副部長が自分達の事件では可視化して下さいと言っている事が一番の証明ではないか。取り調べる側に居た時は可視化に反対し、逆に立場が変わり取調べを受ける側になった時『可視化』と言うのはとってもわかりやすい」と書いています。


「ムネオ事件」は、目的の為には手段を選ばない効率優先統治が「日本のあり方」として正しいのか?と言う重要な課題を提起しました。

実利的な日本国民は、「人権」を多少犠牲にしても「成果」を優先する統治形態を受け入れて来ました。鈴木氏が冤罪の被害者かどうかは別として、検察が2年の実刑判決を得るために437日間も勾留出来た背景には、「結果」を出す為には多少の公権力乱用も許す世相があった事は間違いありません。

日本の価値観、倫理観のあり方に大きな影響力を持つ裁判所も、一連の環境訴訟や薬害判決の経過でも判る通り、「公正の原則」や「人権」より、行政効率を優先する判断を下して来ました。この様な「日本のあり方」が永続する訳はなく、見直すべき事が余りに多い日本を痛感します。

中でも、「不透明」で「不公正」な懲戒処分に法的根拠を与えてきた、公務員法と人事院規則は、即刻見直す必要があります。

厚労省の村木前局長は、逮捕された2日後に局長の職を解かれ、容疑を認めた大阪地検特捜部の前田元主任検事も、容疑を徹底否認している大坪元部長、佐賀元副部長も、逮捕された20日後に懲戒免職処分を受けました。鈴木氏と親しかった東郷和彦氏は、オランダ大使時代に外務省から求めれられた依願退職を拒否して罷免され、佐藤優氏は有罪が確定した段階で解雇処分を受けるなど、不透明な処分が繰り返されて来ました。

巨悪を見逃す伝統も健在です。大規模な不正を繰り返し「国が振り込め詐欺をしている」と批判された時代の歴代社会保険庁長官は、誰一人として処分を受けず、順調に天下りや渡りを繰り返しました。中には、法曹資格も無いのに「厚労省」の指定席である最高栽判事に「天下り」し、事もあろうに憲法の番人になった人もいる位です。

悪事が発覚すると「内部だけの調査」を行い、その結果を根拠とした「お手盛り処分」で幕引きを図るのが官僚の常套手段です。

警察関係の処分が際立って身内に甘い原因は、大きな裁量権を持ち、事実関係を調査する監察官自体が、内部の警察官だと言う事にあります。3千人を超える処分者を出した程の組織的犯罪であった北海道警の裏金事件でも、最も厳しい処分の1ヶ月停職が1名出ただけで、キャリアーからの処分者は出ませんでした。

不祥事の度に繰り返されるこの「八百長劇」の法的根拠が、国家公務員法の「任命権者は非違の程度や情状によって懲戒処分の内容を決定し、処分の選択については任命権者の裁量に委ねる」と言う規定です。

反民主的な法規としては人事院規則より酷い物はありません。懲罰に関する最終承認権を人事院に与える事で、国務大臣より人事院を上位に置き「法律により、人事院が処置する権限を与えられている部門においては、人事院の決定及び処分は、人事院によってのみ審査される。又、従前の法律と矛盾したり抵触する法令より、この法律の規定が優先する」と言う規定で「超法規的」特権まで与えています。

怖い者なしの人事院が傲慢になるのは当然です。その典型が、人事院から一部権能を、「内閣人事局、行政管理局」に移管する改革案に異議を唱えた、当時の谷公士人事院総裁でした。

彼は、改革を主張する担当大臣との面会を拒否したり、電話のやりとりを無断で録音したり、事前にマスコミにブリーフィングをして情報操作をするなど、限りなく違法に近い言動を繰り返しましたが、誰一人として口出し出来ませんでした。

この渡りの神様と言う異名を持つ「ス-パ-官僚」は、武富士の故武井社長が有罪判決を受けた「電話のやりとりの無断録音」と同じ犯罪を犯しながら、何のお咎めも受けず、何回も巨額な退職金を受け取って国民の前から消えました。許し難い、不公正です。

もう一つの公権力乱用がリークと言う名の「情報操作」です。「情報操作」が跋扈する背景には、「官僚」に情報源を頼り、情報の意図や内容を精査する能力に欠けるマスコミの存在や、日本人の「逮捕=有罪」と言う誤認識があります。

「自由を与えよ、さらば死を?」と言う建国の父の理念を信じる米国人と違い、理念に無関心な日本人が、「可視化したら治安が保てない」と言う検察側の宣伝を簡単に受け入れてしまう事も、情報操作を容易にしている一因でしょう。

収監を前にした鈴木氏は「日本は法治国家で、悪法といえども法。その決定は淡々と受ける」と宣言したそうですが、日本が「法治国家」だと言う考えには同意出来ません。

どの独裁国家より高い99%以上の有罪率を誇る日本は、シンガポール的警察国家とは言えても、「不公正統治」を根絶して、フェアプレーが当たり前になるまでは法治国とは呼べません。

最高裁判事の職歴は解っても、各裁判官の理念、哲学についての情報が皆無に近い日本では、憲法の原点(オリジナル・インテント)を巡る理念論争は聞いた事がありません。最高栽判事が、理念、哲学は横に置き、便宜性を重視する法律職人として行政に奉仕している限り、「法治国家への道は遠い」と思うのは私だけでしょうか?

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