「大卒」という資格の幻想 - 松岡 祐紀

アゴラ編集部

池田先生のエントリーである「大学生が多すぎる」という指摘は全くその通りだと思うが、ではなぜ大学生が多すぎるのか考えたい。最大の要因は「いい大学、いい会社に入る」ことが「ローリスク、ハイリターン」な選択であり、人々がこぞってそれを目指したからである。大企業に入りさえすれば、一生安泰という時代が続き、人々の価値観もそれにしばらく固定化され、それ以外の選択肢にあまり魅力を感じなくなってしまった。


そして、2007年頃から大学全入時代に入り、大学に行くことだけで「資格」とならなくなった今、それに気づかず身分不相応な大企業に未だに応募し続けている学生が、現在の就職難という事態を引き起こしているのではないだろうか?

企業側が新卒の募集要領に「大卒」と明記すれば、それはすなわち「誰でも知っている一流大学の卒業者に限る」ということであり、地方の無名大学出身者など初めから相手にしていない。この事実に気付いていない大学生がとても多い。

今の時代、就職に有利になるために大学に入るのであれば、「一流大学」に入学する以外あまり意味がない。それ以外の大学に入った大学生はすでにその時点で、就職レースにおいては圧倒的に不利な立場に立っており、これを覆すことはほとんど不可能に近い。

仕事で何度か地方の無名大学に行ったことがある。それらの大学の多くは、非常に不便な立地に立っており、なかには最寄り駅からバスで30分以上かかる大学もある。満員のバスに往復1時間を費やし、卒業したところで「資格」にもならない大学に粛々と通っている学生と、都内の便利な立地に立っている有名大学で学んでいる学生の格差を思わずにいられない。

今後、無名大学出身者は起業や海外移住など既存の出世コース以外の選択をする以外に、有名大学卒に生涯年収で勝てる見込みはない。その事実をきっちり大学側でも自覚し、そのような教育を施すべきではないだろうか?

昨今、大学では「リメディアル教育」と称して、学力が著しく劣る生徒を対象にした補講などを行っている。これとは逆の発想で、その大学内でも優秀な学生を集めて、「起業家セミナー」や「海外就職コース」などをつくって、彼らを啓蒙したほうがよほど学生のため、ひいては日本経済、世界経済のためになるのではないだろうか。

健全な社会とは「下克上可能な社会」である。無名大学卒でも「勝てる仕組み、あるいは負けない仕組み」を大学側で学生に提案し、彼らの希望をむやみに殺さないことがますます殺伐となってきているグローバル社会に対応するために必要だと思っている。

(松岡祐紀 株式会社ワンズワード 代表取締役 blog

コメント

  1. mekashin01 より:

    いわゆる旧帝大などの先生の天下り先になっていてその天下り先の確保のために必要のない大学を作り、補助金まで出しているという現実があります。アカデミックも下克上が必要なのではないのでしょうか?

  2. caffelover より:

    大学生の大手病に関しては、同じアゴラで反論記事が出ています。 http://agora-web.jp/archives/1139758.html

  3. sumstation より:

    入った大学だけによって決めてしまうのは大雑把すぎだと思いますけどね。世界の主流は大学での成績を評価する形の就職になっていますし。

  4. onesword827 より:

    mekashin01様、コメントありがとうございます。
    ご指摘の通り、大学の構造改革も必要ではと思いますが、無名な大学にも優秀な若手研究者はたくさんいます。

    彼らのマンパワーは有効活用すべきかと思います。

    caffelover様、拝読しました。ご指摘ありがとうございます。

    sumstation様、コメントありがとうございます。何千通と届く応募書類のなかでは、やはり大学名だけで取捨選択されるのではと思っています。

    イギリスなどは学科、学部により評価されますが、日本ではそこまで進んでいないのではと思っています。