日本の政治風景

2011年01月10日 10:50

今日は成人の日である。新成人に、2011年の政治風景を聞いたら、一体どんな答えが返って来るのだろうか。私なら、政治家とマスコミの「思惑」、官僚の「困惑」そして国民の「迷惑」が混然と混じり合って、奇妙に落ち着いた風景と答える。

政権与党、民主党は、挙党体制の掛け声とは裏腹に、現執行部の菅首相派と、小沢派に二分され、結果各議員は、政策をじっくり考えるゆとり等無く、今後どうするかを迷い、情報収集に忙しい事と思う。民主党と言う沈む船に、更にしがみ付くのか、或いは新たな可能性を外に求めるのか、確かに思案所だ。

一方、自民党を中心に野党は、本来民主党に猛攻をかけるべき所だが、静かである。何もしなくても、沈没するのは時間の問題と、静観を決め込んでいるに違いない。

マスコミは、昨年9月の民主党党首選挙では、強引な世論誘導で現政権誕生に大きく貢献した。その意味、現在の政治混迷のA級戦犯とも言える。こう言う経緯も含め、徐々にではあるが、民主党との距離を置き、沈む船からの離脱を目指している様に見えるが如何なものだろうか。

小沢議員を叩いて、大衆の拍手喝さいを浴びるのは、飽く迄小沢氏が、強く、エネルギッシュで、憎々しげであってこその話である。基本、判官贔屓の日本人は私財を投じ、あるべき政権交代を実現したにも関わらず、裏切者から、かかる屈辱的仕打ちを受け、弱り果てた同氏に、此れ以上、石を投げる様な行為を好ましいとは思わない筈である。日本人の美意識に反するのである。

それにしても、小沢議員の「政治と金」が議員辞職に相当する様な「反社会的行為」とするならば、そもそも、その「政治と金」に拠って成し得た政権交代に正当性はあるのだろうか? 現政権の継続は国民を幸せにするのだろうか? 或いは、現政権に飽く迄しがみ付くと宣言している、現首相の論理や倫理観とは如何なるものなのだろうか? マスコミが此の根源問題に触れないのは何故なのか?

官僚も、ある程度は覚悟していただろうが、現政権の統治能力の不在、意識の低さ、ご都合主義とか、呆れ返っているに違いない。現政権が、「政治主導」とか言う前に「お前ら何とかしろよ!」と言うのが、口には出さないものの本音だろう。

政治家が目を光らす中、高度な職人技を駆使して、天下り先の確保と言った、省益、局益の確保に情熱を注ぐのが、彼らの常だが、何でもやり放題で、さぞかし、遣り甲斐の喪失感に悩まされている事であろう。

最後に国民であるが、無論地域や職業に拠って斑模様なのだが、リーマンショックをそれなりに乗り切った事で、少しではあるが意識の中で、薄日が差して来たように思う。政治に就いては、何時もの事で、諦念する所大だろう。政治は置いといて、自分の努力で成果の出る、自分の仕事を頑張るんだ!と言うムードが私の回りの大勢である。

それでは、此の政治の実態を、どうすれば今少し、好ましく、あるべき中身に変える事出来るのだろうか? 此れは、長らく議論された課題である。どうも今の、制度、システムありきで考えると、限界あるのではと最近思う様に成って来た。「破壊的イノベーション」と言うか、今の制度を壊し、新しい仕組みを作るしか可能性無いのではと思うのである。

江戸時代の長らく続いた、幕藩体制にピリオドを打ち、明治維新で全く新しい社会体制を構築し、国の在り方自身を根本から変えた様な改革で無ければと言う事である。昨年、「竜馬伝」がブームに成ったのも、国民のぼんやりとではあるが
こういった意識にベクトルが合致したからではと、今と成っては思う。

「外交」、「安全保障」、「法の支配」と言った国家骨格の部分以外は、全て財源含め地方に移管し、地方が此れに責任持つようにして行くしか無いのではと言う事である。無論、失敗すれば網走の様に成るので、今迄とは違う緊張感で、地方行政を行う必要が出て来る。

言葉を変えれば、現在の様な一旦国庫に納入された、税金の分捕り合戦(�眷小平は此れを確か、大鍋を皆で食べると評した様な)を継続する限り国会議員は所詮、あれこれ尤もらしい理由を付け、此の税金をちょろまかし、選挙区に持ち帰る「泥棒」の如き存在でしか無く、選挙は地元住民に拠る、議員がしっかり「利益誘導」やったか否かの判定にしか過ぎない。

政治の混迷に拠る犠牲者は、国民であるが、現行制度では結局、何も出来ないと言うのが実態なら、地方分権を急ぎ、政治を国民の身近な物とする事で「政治改革」の第一歩とするしか無いのではないだろうか。

山口 巌
ファーイーストコンサルティングファーム 代表取締役

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