刺激的なタイトルを付けてしまった。しかし、最近、二院制の弊害が目立ってきてはいないだろうか。
このたび開会された通常国会で、野党は予算関連法案を否決する方針だ。当然、野党が多数を占める「ねじれ国会」の下、参議院でこれら法案が通ることはない。衆議院で与党は3分の2の議席を占めていないため、再可決も出来ない。行き詰まりは必至だ。
民主党は以前、自公政権をガソリン税の暫定税率切れに追い込んだ経緯もあり「自業自得」という声もあるが、今回、予算関連法案が否決された場合の影響はそのときの比ではないだろう。
何せ、歳入の約4割を占める赤字国債の発行が出来ないのだ。赤字国債とは「特例国債」と呼ばれることからも分かるように、赤字国債の発行は財政法に違反しているため、毎年度、‘特例’で「公債特例法」を成立させる必要がある。これが成立しないと、来年度に発行する予定の38.2兆円の赤字国債が発行出来ない。
この法案が成立しない影響の大きさを“センセイ”方はご理解されているのか。「6月末か7月末に国のお金が尽きてしまう」とも言われている。この法案を否決し、政争の具とするつもりか。国民生活を人質に取った戦術が許されるのか。国民生活に多大な影響が出るだけでなく、市場も荒れるだろう。
そもそも参議院の存在価値とは何だろうか。二度同じ法案を審議するため、慎重な議論が出来る、衆議院の暴走を防ぐ、というメリットは確かにあるだろう。世界でも二院制を採用している国は多い。
しかし、二院制を採用している国のほとんどは、‘アメリカのように連邦制を採っている国が各州の代表を送り込むなど、もう一方の議院とは異なった制度で議員を選出して構成する’、あるいは‘イギリスの貴族院のように選挙を経ずに世襲貴族や一代議員などから構成され、この場合には選挙を経たもう一方の議院により多くの権限を与えている’といったようなケースが普通だ。
ここまで選挙制度や権限が似通い、両院とも同様の選挙を通じて運営されている国も少ない。イタリアが比較的近いが、イタリアも首相が頻繁に変わるなど、良い政権運営が出来ているとは言い難い。
日本の場合、衆議院の多数派が内閣を組織して運営する仕組みで、首相指名、予算、条約などについては、日本国憲法で衆議院の優越が規定されている。しかし、そのほかの権限に大きな差はない。参議院選挙で負けて責任を取って交代を余儀なくされた政権も多く、また先日も官房長官、大臣の問責決議案が参議院で可決され、民主党政権は内閣改造を余儀なくされ、政治の停滞を招いた。
本来、参議院議員の任期は6年と、衆議院の4年より長く解散もない。いつ職を失うか分からない衆議院と比べて、本来はじっくり日本の将来に向けた改革案を練られるはずだ。しかし、実体はそうはなっていない。最近は、参議院のメリットを感じることは少なく、デメリットばかりが目立つ。
今回の予算関連法案も、ことの重要性を分からず、与野党が歩み寄りを見せることなく、政争の舞台装置となるだけなのであれば、本来の意義を失った参議院など要らない。一院制で何ら問題もなく政治を運営している国も多いのだ。
これは、最近の政治の体たらくに憤りを感じるただの若者の暴論なのだろうか。
しかし、少なくとも、現在の二院制の見直しは必要なはずだ。今の参議院は権限が強すぎる。「選挙をなくす代わりに、法案の修正は出来るが阻止は出来ない」など、権限を縮小する必要があるだろう。そもそも選挙も多すぎる。衆議院、参議院と次々と選挙がやってくるため、ポピュリズムに走らざるを得ず、バラマキ政治も続く。“センセイ”方もじっくりと腰を据えた議論など出来やしないだろう。
いよいよ日本も終わったか。与党と野党のチキンレースの様相を呈してきた。政治のレベルが極端に落ちてしまった。
ただし、これは、国民のレベルが落ちていることと同義だ。出来損ないの“センセイ”方を選んだのは我々国民だ。人のせいだけにすることなく、一人一人がここに至った原因を胸に手を当てて考えてみる必要がある。
コメント
「参議院が良くない」「首相公選制に変えるべきだ」というような、制度改革論が果たして解決策になるのか?例えば、小泉政権は割と、長期安定政権だったが、小泉時代と今の時代に大きな制度変更がされていただろうか?問題は、制度ではなく、人間に原因があるのではないか?
論じる価値のない神学論争をしても意味がない。もっと、根源的な議論をすべきではないか。
一度握った権力は手放したくない。これは誰でも当てはまることです。例外はないと思います。そして既得権者は今ある権力をさらに強化しようとします。権限を自ら捨てることはしません。相当危機的状況にならない限り。
ただし既得権者は危機的状況になったとき必ず、責任を他人に押し付け逃げます。それは歴史が証明しています。
つまりはもう自ら正しい方向に向くことすらできないのです。今の政治みたいに責任のなすり付け合いです。逆に言えばまともに政策を議論すると批判が出るので、何もしないことを第一に考えているのではないでしょうか。
政治屋の大事な仕事は何もしないことです。
「問題は、制度ではなく、人間に原因があるのではないか?」
それを言い始めたら、最良の政治システムは「哲人政治」であるということになってしまいます。天才にしか扱えないシステムは欠陥品です。誰が使ってもそこそこの効力を発揮してこそ良いシステムと言えるのではないでしょうか?
私はこれは真剣に検討すべき提言だと思います。
現在の政治状況は先に全く希望が見えず、国民の政治不信だけが膨張していっているのですから、思い切って体制を抜本的に変える事によって、国民が前向きに政治を考えるきっかけを作る時であると思います。
現在の二院制は必ずしも理詰めで考えられたものではなく、それぞれの歴史の産物である英国や米国の二院制を何となく真似たものと考えるべきですから、もう一度原点に立ち返って考える事は極めて妥当です。
二院制だけでなく、現在の議院内閣制も、大統領制に比べると問題点が多いようにも思えますから、この際再検討すべきだし、地方自治の枠組みについても、思い切って連邦制に近いぐらいのものを考えることも躊躇すべきではないと思います。
現状を放置せば、諦めムードが蔓延し、無責任体制が国力の衰退に拍車をかける恐れ大ですから、あちこちで相当激しい議論が起きて、政治談議に国民が熱中するような状況を人工的に作り出すべきです。
二院制の良し悪しそのものには議論があるでしょうが、日本の二院制が特殊だというのは事実誤認です。
第一に、旧西側系の民主主義国家のほとんどが二院制を採用しています。一院制国家は数は少なくないのですが、軍部または一党による独裁制の国家、あるいはその時代の制度の流れをを引きついでいる国家、もしくは人口1000万人程度までの小国にしか例がありません。
第二に「両院の権限がほぼ対等、上院相当院の権力がやや弱い」という日本の両院の権限のあり方はドイツ、イタリア、スペインなどもほぼ同様な二院制国家では最も一般的な形態です。ちなみに両極端が英米で、米国は上院の権限の方が(僅かですが)下院より強い先進国でほぼ唯一の国家。英国はその反対で(蘭等他の貴族院を持つ国家もたいていそうですが)、上院相当院の権力が形式と言えるほど弱い制度となっています。
第三に日本の民選第二院型は珍しくはありません。連邦型、貴族院型と並ぶ二院制の三類型の一つであって、多数派ではありませんが類型の一つである典型的な形式です。
英米というかなり特殊な議会制度を取っている国の政治制度が有名なために日本が特殊と思っているきらいがあるのではないでしょうか。各国の議会制度はそれぞれに特徴的であって「日本だけが特殊」ということは特になく、むしろ各国それぞれに独特の制度を持つ中で、日本の議会制度は様々な面で中庸的な位置にある制度を採っている、とうのが政治制度論からの回答になります。
但し両院の選挙制度がほとんど同じ、というのはこれは確かに珍しいケースになります(82年と94年の選挙制度改革以前は多数派の両院の選挙制度が異なる国だったのですが)。
日本の参議院のあり方に疑問を持つ場合、事実に基づくなら「日本の二院制が特殊な制度だから宜しく無い」ではなく、「日本の政治風土においては、欧米流民主主義標準の二院制は合わないのだ」と主張すべきかと。
bobbob1978様へ
私が言いたい事は、どのシステムにも欠陥があるから、システムを変えれば問題が解決する、という議論に持っていって欲しくないという事です。
松本徹三様へ
>二院制だけでなく、現在の議院内閣制も、大統領制に比べると問題点が多いようにも思えますから、この際再検討すべきだし・・・・
現在の議院内閣制に、どんな欠陥がありますか?一般的に言えば、大統領制より議院内閣制の方が、力がありますよ。総理大臣は、議会の多数派から選ばれるからです。安直に、大統領制を導入しても、少数与党の政権運営か、ねじれ国会を繰り返すだけです。議院内閣制の本場であるイギリスは、総理大臣は短命ではないでしょう。
現状の日本の二院制には、欠点ばかりが目立つことには賛成です。
しかし、参議院廃止は現実的に不可能でしょう。それには憲法上の二院制の規定を変更する必要があります。しかし、日本国憲法は、ほぼ改正不能な構造です。ゆえにこの問題は現状の統治システムのもとではデッドロックです。
絵空事を書くと、
衆議院の定数を100程度にして、選挙区を無くし全国区のみとし、上位100人が当選とする。
死に票はほとんどなく、議席の配分は利益団体を含めた民意の分布に近似し、少数政党に気遣う必要もなく比例代表制も不要。
政治家は”地域の代表”ではなく”国民の代表”として自覚を持って仕事ができ、また特定地域への利益誘導に偏重する必要もない。
そして、誰がどれだけ支持されているかが明白であり、実質的な首相公選制の導入となる。
反論としては、地方軽視と独裁の危険性をよく言われる。
地方軽視とはおかしな論点で、ひとり1票という点では地方も都市部も変わらないので、地方票を優先するような動きがあれば、都市部軽視である。
仮に都市部票が地方票よりも多いならそれが民意なのであってなんら不平等ではない。
それに地方票がまとまれば都市部の票よりも数で劣るとは言えない。
むしろ地方重視の政治家が地方票を集約して当選するようになり、よりよい民意の反映が行える。
誰がどれだけ支持されているかが明白になると、実質的な権力の集中が行われ、その結果として監視機関としての議会の機能が低下し、独裁の危険性があるという論点は一見なるほどという感じがする。
が、これはよく考えてみる必要があって、民意の過半数を超える支持を得た者(達)による政治は独裁になるのかどうか。
確かに多数決形民主主義を否定して全員一致指向形民主主義を目指す方がよい場面もあるかもしれない。
急進的な改革が意図せざる結果をもたらす可能性は否定できないし、理解し合おうとする中で生まれる知恵もおそらくあるであろう。
ここに、参議院という存在の必然性があるのかもしれないと、思うこともできる。
もうひとつの見方として支持票が国民の過半数を超えるようにグループを組む動きが出る可能性はある。
だとすれば、その中で独裁は抑制されることも期待できるかもしれない。
>松本さま
「国民の広範な議論を期待する」点には賛同いたします。
ただコメントいたしましたように、GHQが基本路線をひいた日本の議院内閣制及び両院制制度は(天皇制を維持する前提の範囲内では)「西側民主主義標準」と言っていい非常に典型的な制度を採用した代物です。従って制度の理論的裏付けは非常にしっかりしたものです(両院の選挙制度が同じなのは、その後の日本の独自運用ですし・・・)。従って、そのようなむしろ「理屈先行」と言っていい制度を指して「現在の二院制は理詰めで考えられたものでなく~」と表現されている点には少々ひっかかりを覚えます。
日本の政治制度は典型的すぎて、アメリカ流の民主主義アレンジ要素すら入っていないくらいですから、「本当に日本の歴史や政治風土にあっているのか?」という点で煮詰められていないままスタートした制度なのは確かです。「理詰めじゃない」という点よりは、「西側民主主義テンプレートをそのまま適用しただけ、理屈だけの、各国それぞれの風土や歴史の特殊性を踏まえていない制度で良いのか?」という点の方が、検討や議論にあたっての指針になるのではないか、と思います。
私は参議院は納税者院として納税者(現役世代で税を納めている人)の代表とするのが良いと思います。納税者だけが参議院議員を選べるようにするのです。衆議院は今まで通り全国民の代表でいいでしょう。政治は税の使い道を決めるのですから、税を取られる側(納税者院)の意見と、みんなのために税を使う側(衆院)の意見と調整するのが、本来の二院制の機能だと思います。
おおむね同意です。
最近、一票の格差が問題視されますが、これを是正すれば、衆議院も参議院もますます似たものになることでしょう。選挙の実施時期が異なるだけの院を二つも置いておくのは、ムダです。
私は、衆議院と参議院を合併する形で、定数600の議会を設けたらいいと思います。“参議院の廃止”と言うと、参議院議員は失職するだけになり、飲めない要求になるでしょうから。
憲法改正のためには、参議院の賛成も必要です。
一院制で与党が暴走するのが心配であれば、地方に第二院としての役割を担ってもらうのはどうでしょうか?
国会で可決した法案を、知事(または県議会)の3分の2が同意すれば、成立するしくみです。
現在は、47都道府県ありますので、32以上の同意を要します。