誰もがLady GAGAになれるわけではないけれど- @ogawakazuhiro

Lady GAGAを知っていますか?
もちろん、いまやブリトニー・スピアーズやビヨンセを抑えて世界の歌姫としてショービジネス業界に君臨する彼女を知らない人は少ないでしょう。

奇抜なファッションや過激なパフォーマンス、バイセクシュアルであることを公言する大胆さなど、彼女はまさしく時代の寵児になっています。同時に、Lady GAGAが自身の公式サイトを中心に、実に巧みなソーシャルメディアミックス(Blog、YouTube、Twitter、Facebookなどのトラフィックを巧妙に楽曲やライブチケットの販売につなげていること)を行っていることは、賞賛に値します。

僕が彼女に注目したのは、彼女のDVDの中のインタビューを聞いたときからです。

まず、インタビュワーから「(あなたにとって)音楽とはなにか」と問われたLady GAGAはこう答えます。
「音楽とはもはやCDやカセットのような媒体の中にあるものではなく、ネット上に流れて公開され、共有されるファイルでありストリーム」

僕はソーシャルメディアの急激な普及によって生まれ、IPアドレスやハイパーリンク、あるいはサーバーの所在によって決定されていくこれまでのWebトラフィックから、ソーシャルグラフのあり方によって異なる複数のソーシャルメディア間を流れまくる新しいWebトラフィックへの変化を、ソーシャルストリーム化と呼んでいます。
Lady GAGAの回答は、音楽データに限定された内容ながら、このソーシャルストリームについて端的に語っています。このWebトラフィックの概念を理解しているアーティストは世界広しといえど、まだまだ少ないと思います。

また、インタビュワーは多少意地悪く、「(あなたはいつも奇抜な格好をしているが)休みの日はどんな服を着ているのか?オフのときには気を抜くこともあるでしょう?」と聞きます。
ところがLady GAGAの憤然として「私はいつでもLady GAGA。このファッションは私の一部。だからいつでも同じスタイルでいる」と答えるのです。
現代では、ソーシャルメディア全盛となって、いつどこで誰かに見られてTweetされるか分かったものではありません(苦笑)。ソーシャルメディアを理解し、つかいこなしている彼女だからこそ、気を抜いてスッピン写真でもアップされるようなことがないように、常に気を配っているということでしょう。

実際、彼女は実の妹の結婚式に変装して出席したといいます。そこまで徹底しているからこそ、彼女はソーシャルメディア時代のディーバでいられるのです。

Facebookが日本国内でも人気を博し、流行し始めたからこそ、ソーシャルメディア上のペルソナとリアル社会での素顔の間に、あまり大きな差異があってはスターではいられない。我々一般人でも、同じことで、セルフブランディングを考えるのであれば、ネット上とリアルでの違いをなるべく小さくしていくことを余儀なくされます。
もちろん企業も同じです。SMO(ソーシャルメディア最適化)という考え方を、僕たちはソーシャルメディアマーケティングの根本的なコンセプトにおいていますが、企業や個人がソーシャル化する、ということは、ネット(ヴァーチャル)とリアルの自分(のペルソナ)に違いがあってはならない、ということを理解することだし、その差異を埋める、もしくは隠す努力をすることである、僕たちはそう考えています。

(小川浩 | modiphi.com

コメント

  1. はんてふ より:

    >>ソーシャルメディア上のペルソナとリアル社会での素顔の間に、あまり大きな差異があってはスターではいられない。我々一般人でも、同じことで、セルフブランディングを考えるのであれば、ネット上とリアルでの違いをなるべく小さくしていくことを余儀なくされます。

    オンラインに私があると見なす、という前提での話です。私は差異なんてあったっていいじゃない、と思います。「オンラインの私」なんて、憑依と同じなんです。オンラインに「私らしきもの」が憑在しているだけ。

    これを竹熊健太郎氏は「名声の口座」、芦田宏直氏は「オンライン自己」と呼びました。私は「憑依」と呼んでいます。そういう意味で、これはあなたの核心的なエントリーであると思う。

    差異は必ず生まれます。これは不可避です。ネットで積んでいる事と、現実で積んでいる事は違う。そしてネットでは死ねない。ずっと生き続ける。その時点で「差異」は避けられない。これを称して私は「憑依」と申し上げております。