「天罰」とは、おそれいった

2011年03月17日 14:23

国内観測史上最大の地震とそれに伴った津波。各メディアを通じて見る被害の状況は想像を超えている。


またくり返しループで見させられる、ショッキングな津波の映像のうらで、時と共に増えていく犠牲者の数や、今でも不便な避難所生活を送り、救助と救援物資を待つ人のことを思うと、心が痛む。

なによりもまず、より多くの人の命が救われ、より多くの人に救済の手がより早く届くことを願わずにはいられない。

しかし、先週金曜日以来、私にとって一番の感動は、この未曾有の困難に立ち向かう日本、そして個々の日本人の威厳ある行動だ。

この最悪の時に、それぞれベストをつくしてくれている同胞に感謝したい。祖国の一大事に海外で切歯扼腕している一日本人として、「誇り」をいただいた。

自制心。見知らぬ人同士が助け合う精神。それぞれが自分にいま何ができるかを自問する奉仕の心。そしてあたかも地震の直後から始まったかのような復旧、復興への動き。

まだこう断言するには時期が早すぎるかもしれないが、今回の天災に際しての日本人の対応は、今後世界の人々が目標とするところになるだろう。

もちろん、今でも予断を許さない原発の状況や、あるのかないのかよくわからない計画停電の不便、都心を中心にジワジワと広がる買い占め、そしてなによりも今なお出口の見えない避難生活を強いられている被災者の方々の苦労を思えば、これからの時期こそが復興へのつながる正念場だと言える。

我々、一人一人が与えられた仕事を粛々と果たしていくことが、明日への一歩につながっていくのだろう。

こうした中で、私の母校、ロンドン大学のロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)では、日本人留学生を中心として「We Are With Japan」と題した募金活動を行っている。ビデオ・クリップが届いたので、この場を借りてご紹介させていただきたい。

当地香港でも、日本人商工会議所や日本人倶楽部が先頭に立ち、在香港日本人コミュニティーにおける募金活動が盛んになってきているほか、親日家の多い香港人コミュニティーにおいても、香港赤十字などが中心となって日本の地震被災者向け募金を開始している。

こうした民間の対応に比べたとき、日本の政治家のいたらなさにはいささか腹立たしさを覚えた。もちろん政治家として未曾有の国難、危機に直面していることを差し引いて考えてあげなければならないと思うが、

「何を為すべきか」

という行動規律ではなく、

「何を為したら見栄えがいいだろう」

というあたかも

「まずはパフォーマンスありき」

と見うけられる菅総理の行動には首を傾げさせられた。

ヘリでの現地視察に飛んでも、何ら有効な手を打てず、避難所訪問を断られ、不幸にも振り上げた拳の落とし場所として選ばれてしまった東京電力に乗り込んでいく姿は、とてもじゃないが「リーダー」のそれでは無かった。

結果として、政府のスポークスマンとしての義務を粛々としてこなしていた枝野官房長官の株が相対的に上がったというのも、当然と言えば当然の帰結だろう。カイワレ大根を頬張るのとはわけが違うのだ。

しかし、今回の震災に関連した政治家の言動の中で、私が一番仰天したのは、やはり石原都知事の「天罰」発言だ。

発言内容の詳細や、ご本人様による「発言意図の解説」はすでに色々な場所で紹介されているので、ここでの詳述は避ける。

私がこれを聞いて先ず連想したのは、かつての国難、鎌倉時代の元寇に際しての日蓮の言動だ。

元寇という日本人が歴史上初めて経験した異民族の来襲を目前にして、日蓮は、これを当時の日本人、そして特に時の権力者であった北条氏が、日蓮の説くところの法華経に帰依せず、他の宗派を排斥しないがゆえに起った「天罰」だと主張した。

今回の震災のような、不可抗力の危機をして、自らと信じるところ、考えるところを異にする人間に対する「天罰」とする考え方。多くの人々に降りかかった災難を奇貨として、人々を自らが導くところに誘導していこうとする姿勢。

今回の石原都知事の発言と、日蓮の言動は全く同じだ。

誤解してほしくないが、私は宗教家としての日蓮を尊敬している(信仰はしていないが)。とくにその強烈な信仰心に裏打ちされた自尊心と、数々の法難を恐れぬその人間離れした勇気は、さすがは現在まで連綿と続く仏教の一宗派の開闢の祖たるにふさわしい、日本人には珍しい性格の人物だと認識している。

しかし、いざ元の大軍が博多に押し寄せて来る段になり、いち早く甲斐の身延山の山奥に疎開して暮らしていた日蓮の「公人」としての行動には首を傾げざるを得ない。

私が愛読する海音寺潮五郎氏はその著作で、身延山に上った日蓮は、日本が元軍に蹂躙される事を予想して、自らが灯した法華経の法灯が絶える事を危惧して疎開したのだろう、と書いている。

さすがは空前絶後の宗教家日蓮の面目躍如たる「唯我独尊」であり、我々凡人の批難の及ばざるところだろう。

しかし、時の鎌倉幕府が、苦しいときの神(仏?)頼みで、こんな人物を政権中枢に入れていたらどうなっていたか。

弱冠17歳で執権の地位に就き、武士政権の最高権力者として元寇に立ち向かった北条時宗は、その激務からくるストレスのはけ口を禅に求めた。そんな時宗の、いわば個人的カウンセラーだったのが、すでに元に蹂躙された中国より招聘した禅僧、無学祖元。その無学祖元が、悩める時宗に与えた言葉が

「莫妄想」

妄想するなかれ。

妄想という逡巡の迷路におちいること無く、現実をありのままに見つめ、個々がベストを尽くす。750年あまりの歴史を越えて、今の日本人の心にも響く言葉ではないだろうか。

元寇というと、「神風」となった台風ばかりが注目されている。しかし私はあの国難に吹いた本当の「神風」とは、あの当時の日本で、数万人規模の戦闘員を長期間にわたって北九州に動員し得た鎌倉幕府のリーダーシップと兵站整備の能力、そして当時「御家人」と呼ばれた日本の各地域のリーダー層の優秀さと「いざ鎌倉」という言葉に代表される「公」への奉仕精神ではなかったかと思っている。

すでに始まった復興の日々。老政治家の世迷い言にまどわされず、その歴史に深く根ざした日本人の美徳を意識しながら、私なりに未来を切り拓いていこうと思う、復興7日目である。

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