わたしは、原発はそもそも反対でしたが、以下は、そういった個人的意見を無視します。また、わたしはIT系零細自営業者であり、原子力のプロではありません。また、そもそも人命や環境は金銭に換算できるか、という話がありますが、以下は、単に、きわめて金銭的な面のみを議論し、倫理的な面は無視します。
池田氏などは、金銭論(1、2)確率論でのみ原発を語れば、依然として原発は正当化される、と考えているようです。くりかえしますが、そういった次元で原発を語ってよいかどうかを無視します。そのうえで、池田氏の問題提起のように、もし、金銭論、確率論のみで原発を語っても、わたしは、原発は成り立たないと考えています。
たとえば、ひとつの根拠は、今回の事故の補償金です。本当に、東電が払えるのでしょうか。電気を値上げして払う、というのは論外です。あくまで、いままでの原発の利益(または今後の原発の利益)のなかから払ってこそ、倫理面を無視すれば金銭的には原発は成立している、という池田氏の論理が成り立つのですが、しかし、今までの原発の利益の取り崩しで、はたして今回の事故の補償金がすべて払えるのでしょうか。
また、電力自由化が進んでいるアメリカで、民間の側から原発推進の声が出てこないのも傍証でしょう。いま、アメリカではオバマ政権による原発推進の話がありますが、これは、アメリカ政府の方針であり、民間電力会社の方針ではありません。本当に、原発は金銭的に成立するのでしょうか。
もちろん、これについては、民間の過剰反応が原因だ、という人もいるでしょう。池田氏によれば、大衆が思う以上に原発は安全なようです。しかし、原発についてはプロではない私と、同様にプロではない池田氏が、原発の安全性について議論しても始まりません。
具体的提案ですが、以下のような「原発保険市場」をつくったらどうでしょうか。
- 国内に原発を作る際は、予想しうる最大被害額の3倍の保険を事前に掛ける。なお、これは猶予期間の後、既存原発にも義務付ける。また、高速増殖炉もんじゅ、六ヶ所村再処理施設も同様に義務付ける。
- 保険は、日本国民および永住者が個人として任意で引き受ける。引き受け額の最高値は3000万円とし、広く薄く国民で負担する。
- 各銀行は、「原発保険口座」をつくる。
- 保険引き受け希望者は、引き受け額相当の預金を原発保険口座に入れる。これが、保険引き受けになる。なお、原発保険口座は、原発ごと銀行ごとに分かれている。みずほ銀行福島第一原発保険口座、三菱銀行もんじゅ口座、など。また、取り扱いルールは、基本的には通常の定期預金と同じ。
- 原発保険口座は、通常時でも、引き出しに3営業日要し、この間に原発事故があると引き出し凍結。ここが、通常の定期預金と決定的に違うところ。
- 凍結された口座の預金は、事故の状況、被害額などに応じて、一部または全部が没収される。
- 原発保険口座には、通常の定期預金の利子+保険料が付く。つまり、事故さえなければ、通常より有利な運用ができる。保険料を払うのは電力会社。
- 保険料は変動相場制で、原発により異なる。
原発の大きな問題点は、被害を受けるのは我々なのに、国家の上層部で勝手に方針が決まることでした。私の提案ですと、原発が作れるかどうかは、国民が薄く広く保険を引き受けるかどうかで決定され、決して、国家の上層部の独断では決められません。
また、保険料は変動相場制で、この相場を見るだけで、どの原発がどれぐらい危険かわかります。高い保険料を付けないと保険の引き受け手が存在しない原発=危ない、ということです。もし、事故など起こすと、保険料が高騰し、保険料支払いが不可能になり、自動的に廃炉になります。
これが原発の安全性に対する実質的な公開審査になります。たとえどれだけ専門家を集めたところで、通産省の密室での安全性審査、しかも誰も責任をとらない無責任体制より、たとえ単なる素人が「審査」(=引き受けるかどうかの判断)するにせよ、公開の市場での審査、しかも自分の大金をかけた責任ある審査のほうが信頼ができるかもしれません。
このような、変動相場制の保険料の元、それでも経営が成立する原発のみが、池田氏の主張のような、金銭的には成立する原発だと思います。
なお、同じような保険制度による公開審査は、新薬審査など、原発以外にもいろいろと応用例があるでしょう。
(岡島 純 自営業)
コメント
保険というアイデアは、卓抜です。私も別案を考えています。それとくらべると、本項のアイデアには、致命的な難点があります。
それは、保険を誰も引き受けない、ということです。当然、原発は建設されません。それどころか、同様の理由により、火力発電所も、鉄道も、高速道路も、すべてが建設されません。もちろん、新薬も認可されません。
結局、日本の社会基盤は未整備となり、日本は荒廃します。
要するに、直接民主主義みたいな素朴な発想は、原始社会には成立しても、近代社会には成立しません。
電力というのは、国家の基盤です。明治政府は、そのことを理解していたから、社会基盤を国家で整備して、日本を発展させました。その歴史をぶちこわすような発想をしていれば、日本は荒廃します。
停電で困っている現状を見てもわかるように、電力には安定性が必要なのです。
人間で言えば、電力は一時的になくても済む炭水化物なんかじゃなくて、毎日絶対的に必要な水のようなものです。それは菓子や衣料品みたいな嗜好品とは異なります。水がなければ人は死にます。自由放任で好き勝手に生産しろ、いやなら生産するな、というようなものではありません。
「いや、市場原理で大丈夫だぞ」
と思うかもしれませんが、電力不足の今、自家発電を自発的に整備しようという動きがないことからも、市場原理なんて当てにならないとわかるでしょう。国家というものは社会を安定させるためにあるのです。
金やコストのことばかり考えていてはダメです。電力の安定性を忘れてしまってはダメです。人間の生命を守ろうという発想がないという点では、あなたの発想は東電経営者と大差ありません。人間として一番大切なものが欠けているのです。
> 金銭論、確率論のみで原発を語っても、わたしは、原発は成り立たないと考えています。
認識があまりにも一面的です。
現状のままの原発体制ならば、あまりにも不備なので、原発は否定されるべきでしょう。しかし事故のあとでそれを言っても遅い。事故の前にそれを言わなくては。(原発の危険性を前もって指摘して批判した人は、私を含めて、たくさんいます。)
一方、危険に対する対策を十分に取った原発ならば、話は全く別です。まともな原発の危険度は、火力発電所と比べても、大きく劣るわけではありません。
味噌も糞も一緒くたにして確率論を取るのは、馬鹿げています。ブレーキのない欠陥車と、まともな自動車を、ひっくるめて確率を取って、「ブレーキのない欠陥車は危険だ。ゆえに、ブレーキのある車も危険だ」というエセ論理と同様です。
今なすべきことは、ずさんな原発体制を是正することです。欠陥車事故が起こったあとの補償金を増額することが大切なのではなく、欠陥車が生じない(見逃さない)体制を構築することが大切なのです。
本項のような「保険金」という発想は、一面の真理を突いていますが、一番肝心の点(事故という失敗例で反省するべき点)を見失っています。原発事故の問題は、補償金という金じゃないんですよ。東電の欲です。
エゴイズムを基盤にしているという点では、本項の提案も、東電の経営者も、どちらも同じ穴の狢です。そんなことでは日本をよくすることはできません。一度、欲や金やエゴイズムを離れて、善悪とか生命とかの観点から物事を考えることをお勧めします。さもないと、また事故が起こりますよ。今度は、火力発電所か何かで。(そこでは死者が出るかも。原発では死者が出なかったが。)
岡島さんは、今回の事故の補償金について、どの範囲を直接の原発事故によるものと定義なさいますか?
率直に申し上げて、風評被害の大半はマスコミの「煽り」によるもので、冷静にカウントすると意外と小さいのではないかと私は思います。
その金額と範囲をどう定義するかによってご提案の議論は変わってくるのではないでしょうか。
また、値上げは論外とおっしゃいますが、受益者としての電気利用者が事故の補償金を料金の一部として負担するのはある意味必然では?
(すでに利用料の一部として意図せずとも払っていますので)
リスクが顕在化したときに受益者が逃げ出すのは当然の行動ではありますが、「食い逃げ」は許されないのでは?「倫理的」な部分かもしれませんが。
金銭面と倫理面のきり分けが難しく感じます。
石油終了は人類終了に直結する。現代文明はそれだけ石油に依存している。私たちの玄孫あたりで人類終了でいいのなら、金だけ見ればいいと思います。
原発が正しく進歩していけば石油終了は20年は遅らせれるし、20年あれば科学技術はかなり進みます。
感情論は抜きで経済性のみで語るというのであれば、もう少ししっかりとした計算をした方が説得力があがるでのはないでしょうか?
今回の試算は、福島原発を対象にして話をしているのだと思いますが、確かに大事故を起こした福島原発は、割の合わない発電方法になってしまったのは間違いないでしょう。
しかし、世界に500以上ある原発のほとんどは、大きな事故もなく運転を続けています。原発すべてについて話をするのであれば、この事実も無視できないでしょう。
福島原発の例をひとつとって、すべての原発を否定するというのは論理的におかしいですし、すべての原発を対象にして計算をしなおした方がより正確な結果が出ると思います。
感情に走らず建設的な議をするには、正しい前提を共有することが大切かと思います。原発保険のアイデアについて議論をするのはその後ですね。
「金銭的にも成り立たないと考えています」と書いていながら、その後に成り立たない根拠が示されておらず、いきなり保険の話に飛んでいて意味が分かりません。
「金銭的に成り立つかどうか検証が必要、そのための手法として保険システムの導入はどうか?」なら分かりますが。
私の読解力が不足しているのでしょうか?
金銭的に成り立たない根拠があるなら、補足をお願いしたい所です。
原発のリスクというのは「真の不確実性」なので保険など市場メカニズムではカバーできないでしょう。やるとしても政府の保障が必要でしょう。そういうことを考えると、現状の原発は大きな政府を前提にした社会主義的な発電方法で、本来日本のような資本主義社会では、岡島さんのおっしゃるとおり「金銭的にも成り立たない」となってムリとなるはずですよね。
日ごろ「市場原理が・・」といってる経済学者、金融業者が原発に賛成して、共産党のような社会主義者が反対してるのは皮肉でしょうか。
この原発保険は、原発だけを保有する株式会社のような組織とおなじではないでしょうか?
そういえば、Washington Public Power Supply System (Whoops)、http://agora-web.jp/archives/1292902.html#comment-form、 による債券の不払い事件がありました。 Whoopsは5基の原子炉の建設を始めて、 建設費用の超過、 電力需要予測の誤り等で、 結局、 1基しか完成しませんでした。
安全な投資とおもって債券を買った人達、とくに退職後の原資をつぎこんだ人は、 泣きべそをかくことになりました。
こういう保険を絶対安全な有利な投資だといって売り込むやからが出てくれば、CDSとおなじです。
趣旨から考えると「保険」よりも、「原子力発電株式会社」の方が合っているように思います。株主総会で資金供給分の文句もいえますし、株主優待として電気料金も減額すれば法人からの投資もあるでしょう。
それにしても、どうして最悪の経過をたどっているのでしょうかねえ。垂れ流しにする気なのでしょうか?ポンプが動くのならまずすべきは「吹き飛んだ天井をとりあえず鉛板でも鉄板でもいいので覆う」、隔離でしょう。次は空調を設置して人間が作業できるようにし、水でもドライアイスでもガンガン冷やせば(個人的には凍らせれば)いいんじゃないかと思います。
補償金の記述で気になったので…
東電が今回の事故の賠償責任を負うか否かは、政府がなんと言おうと、法律的には未定です。
「原子力損害の賠償に関する法律」第三条 「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない」と原子力事業者の賠償責任を免責しています。
では「 異常に巨大な天災地変」とは何かですが、これについては内閣府原子力委員会第3回原子力損害賠償制度専門部会(平成10年9月11日開催)において「一般的には日本の歴史上余り例の見られない大地震、大噴火、大風水災等が考えられる。例えば、関東大震災を相当程度(約3倍以上)上回るもの」と理解されていました。
今回の地震ですが、地震の規模だけからいうと関東大震災を引き起こした地震の45倍(マグニチュード7.9→9.0)となり、3倍どころの話ではありません。さらに言えば、日本に残っている歴史資料でもマグニチュード9.0を思わせる記録はありません(これまでの研究報告では1707年10月28日に起こった宝永地震が最大級と目されていましたが、これの推定マグニチュードが8.7~8.4)。これをもって今回の地震が「 異常に巨大な天災地変」と主張することに、それほど無理があるとは思えません。
これはあくまでも内閣府の専門委員会による見解であって、判例があるわけではありませんが、枝野官房長官が「賠償責任がある」と言うのもひとつの見解に過ぎませんから、本当のところは、賠償請求の裁判をやってみないとわかりません。
>1
原発が電力を安定供給する能力が皆無であることが証明されましたね。
そうです原発があるから電力が安定供給できないのです。
東京電力17基の原発(柏崎7、福島第一第二10基)
今動いてるのはたったの4基です。
柏崎に至っては4年前M6.7(もう日本でこの規模は小規模ですね)の地震で未だに半分しか稼働できません。地震によって13基が停止。結果がこの極度の電力不足
これほど地震に脆弱なインフラは他にありません。
そしてこの電力不足を原子力の復旧をまっていたら日本の産業は終了します。
無事だと伝えられてる東北電力の女川原発。でも地震で
動かない。動かせないんです。再開は何年後ですか?
すでに東京電力は火力増設の方針を出しました。
東電管内において原子力シェアは1年後には10%未満、2年後には原発などあろうが無かろうが関係ない状態になります。
スマトラの巨大地震M9.1後この7年の間に歪み解消のためスマトラ沖大地震が頻発しています。M8.6-8.5-7.5-7.8-7.5
今後も原発は地震のたびに止まります
greetreeさんへ
>金やコストのことばかり考えていてはダメです。電力の安定性を忘れてしまってはダメです。人間の生命を守ろうという発想がないという点では、あなたの発想は東電経営者と大差ありません。人間として一番大切なものが欠けているのです。
と言いきってしまっては議論にならない様に思います。電力の安定性(発電の安定性)が重要であることはそうかもしれませんが、経済性を無視していては供給の安定性(経営の安定性)欠くことになります。
持論によって他者を全否定する姿勢は、議論をする者としては望ましい姿勢ではないと考えます。
安定的なエネルギー供給は国益だと思いますので、
現在程度の原子力利用は適切だと考えます。
また、100年単位で考えれば、将来石油などの火力発電資源が枯渇するのは間違いありません。
これまで、「たまたま」安定的に原油等が供給されてきたから、経済性うんぬんという議論になるのだと思いますが、今回の地震が想定外だったように、
エネルギー事情に想定外の事がこれから先100年200年で起きない、という保証は無いと思います。
・シーレーンが守れなくなる
・中東で大戦争が起きる
・埋蔵量が枯渇する
どうでしょうか?高速道路料金の問題で、いつも問題になるのは、利用者負担です。本件も同じじゃないのでしょうか。原子力を利用していない国民は70%いるわけで、30%の使用者のために、70%の人が払うべきでしょうか?
むしろ70%の人の被害のために、30%の使用者が積み立ておくべきだと思います。
原子力についても、現在東北電力、東京電力が発電所を再建する際、電力周波数を50ヘルツのままの方が、コストが安いのか検討すべきです。
原子力発電所を作るべきか?もうすでにある西日本の原子力発電所から電力を買うほうが安いのか。再考すべきじゃないのかと思います。
保険については原子力損害賠償法によって原子力損害賠償責任保険が定められていますね。これは上限1200億円ですから、これをさらに大規模に拡張して分割、再販売をするという発想でしょうか。
原賠法成立の当時より金融技術が発達していますからこのようなリスクの分散も十分考えられますね。面白いと思います。この保険購入のヘッジとして電力会社株をショートすればいい。
又、流動性の観点がなければなりません。この保険は資産価値をもち、売却可能ということです。でなければ引き受け人は一部に限られるでしょうし、定期的なリスクの再評価と第三者による運転状況の監査なども行われなくなってしまいます。
もちろん額が額だけに事故が起こった場合CDSのように金融危機を起こす可能性もありますから、(原発危機と金融危機というダブルパンチで日本どころか世界の破滅)防止策も考える必要がありますね。
それにしても金融技術というのは便利なものです。我々は原発の専門知識を学ぶ必要はまったくなく、原発のリスク評価ができます。保険の価格という点だけで。
> それにしても金融技術というのは便利なものです。我々は原発の専門知識を学ぶ必要はまったくなく、原発のリスク評価ができます。保険の価格という点だけで。
金融技術は、 原発の技術より信頼性がなくて、CDO (Collateralized Debt Obligation) とか CDSなどをつくりだしました。
そもそも”予想しうる最大被害額の3倍”に無理があります。チェルノブイリだって被害は広範囲にわたり、北半球全体に放射能が降り注いだわけですから、放射能汚染が原因と見られる環境破壊を全て補償しようとすると計算不可能なくらい莫大じゃないでしょうか。更に六ヶ所村の再処理工場の場合事故が起これば北半球に人が住めないくらい深刻らしいので、被害の計算そのものが不可能です。