悲しみを自粛する

2011年03月31日 09:11

去年のちょうど今頃、箱根にいた。旅館にでも泊まって、のんびりしようと思ったからだ。そうしたら、深夜2時に妻の電話が鳴った。夜中の電話はたいてい不幸の知らせだ。やはり、案の定、妻の祖母が亡くなったという家族からの連絡だった。電話口からも嗚咽の声が漏れ聞こえてくる。突然、動脈瘤が破裂したとのことで、あっという間に亡くなってしまったという。

その知らせを聞いて、夜中に号泣する妻を見ながら、どうすればいいのか戸惑った。


自分自身も彼女の祖母とは何回かは会ったことがあったが、妻は子供の頃から社会人になるまで祖母と同居していたので、悲しみの大きさが比較にならない。

今、東北地方大震災で被災した人たちを見ると、そのときの気持ちを思い返してしまう。彼らの悲しみは自分には到底分からない。その悲しみの深さを推し量ることさえ出来ない。夜中に号泣して悲しみに暮れる妻の横に寄り添いながら、そっと肩を抱くことしか出来なかった時のような無力感に悩まされる。

悲しみはけっして共有出来ない。

共通の友人知人、家族などを亡くせば、ある程度は悲しみを分かち合うことは出来るかもしれないが、亡くなった当人との関係性はそれぞれに異なるので、その悲しみは孤独である。

今、日本全土を覆う「自粛せよ」という雰囲気に居心地の悪さを感じる。いつまで自粛すればいいのだろうか。彼らの悲しみは我々には決して理解出来ない。そのことを潔く認めて、いつもの生活を取り戻し、自分たちの仕事や趣味を通じて、間接的に彼らに貢献すればいい。

それでも人生は続く。

復興の道は長く険しい道になるかもしれない。そうであるならば、いち早く「表面的な自粛」こそ自粛して、平常時の生活を取り戻すべきだ。節電することも重要だが、歓送迎会を中止しても節電にはならない。おいしものを食べて、楽しい思いを自粛しても、被災した人たちの悲しみは変わらない。たくさんの人たちが楽しみにしていたようなイベントを中止することによって、人々から活力を奪い、ひいては経済に壊滅的なダメージを与える。

被災地以外に住んでいる我々は、「悲しみ」を自粛することによってのみ、彼らに貢献出来るのだ。

株式会社ワンズワード 松岡祐紀

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