官僚が変わったのか 世論が変わったのか

小幡 績

官僚による日本政府の政策の質の維持が機能しなくなった理由は、どちらなのか。

答えはどちらでもない。

前回の池田氏への挑戦は不発に終わったので、今度こそ、自分の土俵(官庁勤務経験者として)で対決してみたい。


官僚による政策運営が機能しなくなったのは、官僚も世論も変わらなかったことが理由だ。

官僚も世論も進歩していない。これが問題だ。しかし、世界は変わっている。動いている。だから、世界についていけない政策が打ち出され続けることになり、日本は世界から置いていかれるばかりではなく、衰退する日本経済社会、内的な問題にすら対処できない。

官僚が機能しなくなった理由は、天下りにあるのではない。この点で池田氏は誤っている。上司と議論を戦わさなくなったのは、上司が議論を戦わさなくなったからだ。上司はそれまで誰と議論していたか。自民党の有力議員である。自民党の有力議員とは誰か。それは部会と部会、族と族をまとめられる人である。

そういう人がいなくなった。それができた最後の総理は誰か。竹下登か。

自民党の崩壊。やはりそれが日本政府の機能不全の根幹にある。そして、それはいわゆる経世会の崩壊と時期を一にしている。官僚が機能しなくなったのもそこに原因がある。

自民党という良くも悪くも戦後の日本の高度成長期という内的な安定期を運営していた機構が崩壊して、新たな機構なしでは日本経済社会は運営できなくなっていたにもかかわらず、世論は、政治批判、官僚批判に終始し、壊れかかった日本の権力・政策構造の崩壊にとどめを刺そうとした。そして、官僚はこれに対し、建設的な対抗策をとらずに、嵐の過ぎ去るのを待った。あるいは誤って細川、小泉に期待した。同時に、自民党はなすべなくというよりは、最後の果実を争って、仲間割れに終始し、最後に、自民党をぶっ壊すと、高らかに下心を叫んだ男により、本当にとどめを刺された。

これが崩壊の本質である。