政治家の覚悟

松本 徹三

大震災から2週間あまりが経った3月28日に、私は「大災害を国家経営の転換に結びつけよう」と題する一文をアゴラに寄稿し、菅首相に注文をつけた。

菅首相は今こそ覚悟を決め、次のように宣言すべきだ。間違っても「今回の大震災で内閣の延命が出来た」等と考えてもらっては困る。

「私の在任中にこの未未曾有の大災害が日本を襲った事は、『運命』として厳粛に受け止める。私は生命を賭けてこの難局に取り組むので、どうか大連立の『救国内閣』に参画して私を助けて欲しい。その代わり、復興の目途がつけば、その時点で私は辞職する。その後の事は、その時点で国民の信を得た人に引き継ぎたい。」

重要な事は「区切りがつけば辞任する」事を明言し、「政治的な思惑」に対する一切の疑惑を払拭した上で野党の協力を求めるという事だ。

私は、その文章の中で、「民主党がマニフェストで国民に約束したもののうち、金のかかるものは全て凍結し、全ての資金を『被災者の支援』と『復興』に振り向けることを宣言する」事も提言した。民主党は先の衆院選挙で、政権を取る為に役立ちそうなあらゆる人気取り政策を、資金の裏付けを確かめる暇もなくマニフェストとして網羅してしまったが、これを引っ込める名目がなかった。しかし、この様に宣言すれば、「約束違反」を糾弾するのは難しい。

「『復興の目途がつけば辞職する』というのでは曖昧すぎる。期限を切るべきだ」というご批判を頂いたが、それは全くその通りであり、「最長でも1年を越える事はない」という言葉を付け加えることが必要だと、私も後で修正した。「復興の目途をつける」のに、1年は「長すぎる」とも「短すぎる」とも言い難い「程の良い在任期間」だと思った。

しかし、残念ながら、菅首相はそこまで腹を括ってはくれなかった。その結果が現在のあまりにも惨めな政治状況だ。国民は、政治家の言動の「あまりの軽さ」に最近は呆れ果ててきており、「政治不信」という言葉すら空しく感じられる程だ。外国人に日本の政治状況を説明しようにも、言葉に詰まってしまうのが現状だ。

菅首相は、「自分は首相の座に居座りたいのではなく、やるべき仕事をやり遂げたいだけだ」と言っているが、今から4ケ月前の時点で私の提言通りの宣言をしていれば、その希望は十分にかなえられた筈だ。それ以上に、「首相の座に留まる期間」すらもが、現在の見通しよりははるかに長くなっていた筈だ。「党内からも不信任を突きつけられ、言葉の綾で辛くも乗り切る」といった恥ずかしい思いもせずに済んだ筈だ。

挙国一致の「救国内閣」が成立していれば、被災者はもう少しは迅速に救えただろう。具体的な復興策ももう少し早くまとめられただろう。赤字国債発行法案も、再生エネルギー特措法案も、子供手当て特措法案も、もう少し早い時期に成立していただろう。何よりも、国民は「救国内閣」の旗印の下に団結し、「未曾有の国難を乗り切る」という合言葉で、かつての経済成長期のような前向きの姿勢に転換出来ていたかもしれない。外国人は「危機に強い日本」を再認識し、信頼を深めていたかもしれない。

しかし、今となって繰言を言ってみても仕方がない。要するに、日本の政治家のレベルはこの程度だったという事だ。「国の事だけを考え、自分を事は全て犠牲にする」覚悟はとても見て取れない。「その気持ちはあっても、器が小さく、腹が括れなかった」というのが当たっているのかも知れないが…。

そういう折も折、NHK BSで「家族と側近が語る周恩来」というドキュメンタリー番組を4日連続で視た。時代が違うとは言え、この人の凄まじいばかりの愛国心と自己犠牲の精神には心を打たれるものがあった。古今東西を通じても、あれだけの優れた政治家は見当たらず、今後も出てこないのではないかと思われる。日本の政治家も、最低限、「自分も彼のレベルに少しでも近づきたい」というぐらいの考えは持って欲しい。

周恩来は若くして革命運動(武装蜂起)に身を投じた筋金入りの共産主義者で、国共内戦の初期においては軍事作戦の最終決定者でもあった。しかし、毛沢東が頭角を現してくると、戦略眼やカリスマ性において自分が毛沢東には及ばない事を悟り、自ら自己批判して彼に最高指導者の地位を譲った。そして、その後は死ぬまで毛沢東を立て、自分は補佐役に徹した。補佐役と言っても、国家主席である毛沢東が自ら指揮するもの以外は、彼が総理として全てにつき最終的に決定し、実行したわけだ。

毛沢東と周恩来は考え方が随分違っていた筈だ。毛沢東は偉大な戦略家ではあったが、緻密さには欠けた。惨憺たる結果を招いた「大躍進政策」にみられるように、子供じみた発想を本気でやってしまうところがあった。「文化大革命」に至っては、権力を取り戻す為には止むを得なかったとは言え、国家経営の根幹を破壊し、多くの国民の生活を滅茶苦茶にしてしまったのだから、罪は重い。国の安定と発展だけを目標として、その観点から全てを判断した周恩来にすれば、大激論の末に席を蹴って、総理を辞任したかったのは山々だったろう。

にもかかわらず、彼がそうしなかったのは、「自分が失脚してしまったら、自分のような仕事を出来る人はもう誰もおらず、国民は更に不幸になる」という強烈な責任感があったからだろう。その為に、彼は、心ならずも、殆ど全ての事について毛沢東に同調し、毛沢東との関係維持に細心の注意を払った。毎日膨大な時間を悪ガキのような紅衛兵達との接見に使い、昔からの同志も時として冷酷に見捨てた。その事で彼を批判する人も多いが、彼は「もしそうしなかったら、自分自身が毛沢東の力の前に一敗地にまみれ、状況はもっと悪くなる」と、冷静に判断していたのだろう。

翻って日本の政治の現状を見ると、菅首相を初めとする殆どの政治家が、何とかして国民の人気を得ようと汲々としている。人気が得られないと選挙に勝てず、そうなると、どんな政治的理想を持っていても実行出来ないのだから、それは或る程度は止むを得ないことなのかもしれない。周恩来が大衆の心を掴む事に長けた毛沢東にいつも気を使っていなければならなかったように、日本の現在の政治家も国民(選挙民)の人気をいつも気にしていなければならないわけだ。

しかし、それは手段であって目的ではない筈だ。政治は結果を出して初めて意味を持つ。手段としての「人気取り」に汲々としているうちに、本来の目的を忘れてしまうようではどうにもならない。

今の日本に一番必要なことは何か? それは、言うまでもなく、生産性を上げて国際競争力を増大させ、経済を活性化して雇用を確保し、税収を増やして国の財政破綻を防ぐことだ。その為には国民に我慢を強いることがどうしても必要となる。国民に我慢を強いながら、なお人気を保つためには、「『熟慮』を重ねた上での並々ならぬ『決意』」が必要だ。「強烈な責任感」と「プロフェッショナリズム」を併せ持っていなければ、とても出来ることではない。私心がないことも絶対条件だ。

周恩来には一片の私心もなかった。多くの人が持つ「自己顕示欲」というものも、その一かけらすら持っていなかったように思う。彼は、自分の身内に対して最も大きな犠牲を強いた。彼の養女だった女優の孫維世が江青の嫉妬を受けて投獄され、拷問死に追いやられる事態すらも防げなかった。彼が長い間どれだけの苦痛と屈辱に耐え抜いてきたかは、想像を絶する。

周恩来という一昔前の隣国の政治家の思想や生き方に、現代の日本に住む我々が真に共感を持ちうるかどうかは別として、「国民の毎日の生活とその将来について責任を持つべき政治家」として、彼が完璧に近い人物だったことは認めるべきと思う。現在の日本に彼のような政治家の出現を期待するのは、夢のまた夢なのだろうか?