高速鉄道事故について中国鉄道省の次官が、事故車両を地中に埋め「証拠隠滅」を図ったと言う指摘を否定し、救出作業で土を掘り出したためにできた穴に一時的に入れただけだと釈明して、日本人を呆れさせた。
然し考えてみれば、中国が日本からパクッタのは新幹線技術だけでなく、報道操作や隠蔽のやり方も霞ヶ関からパクッタ様に思えて来た。たとえば、東京新聞の長谷川論説副主幹がこんな趣旨のことを書いている。
“枝野官房長官が政府の東電救済案決定後の記者会見で「銀行に債権放棄を求めるなど、ステークホールダーにも責任分担させる」という意向を示したのに対し、細野資源エネルギー庁長官がマスコミ各社の論説委員を集めた懇談会で、「オフレコですが、いまさら官房長官がそんなことをいうなら、これまでの私たちの苦労はいったい、なんだったのか」とステ-クホールダーの負担軽減に努力した経済産業省の努力を踏みにじるものだと官房長官を批判した。
長谷川氏がこの事実を公表すると、経産省は同氏の上司に抗議してきたが、それでも公表をやめない事に憤慨した経産省は、経産省クラブ詰めの東京新聞記者を懇談出入り禁止処分にした。
東京新聞の抗議を受けた大臣室からの問い合わせに対して、広報室長は「東京新聞記者の取材制限をしているのではない。その記者は自主的に懇談出席を見合わせている」と言い逃れて平然としている。”
リーク期待のオフレコ会見に喜んで出席し、霞ヶ関の報道操作に協力する日本のマスコミの実態は情けない。
中国の権力むき出しの強引さと違い、霞ヶ関の報道操作や隠蔽は、マスコミも仲間に引き入れた洗練されたものである。脱原発論で菅首相に同調した返礼として、首相から経産省幹部の人事をささやかれてスクープした朝日新聞の例にもある通り、マスコミと政治家の関係も、持ちつ持たれつの不倫関係に陥って仕舞った。
報道操作と隠蔽の構造は、原発を推進する資源エネルギー庁とブレーキ役の原子力安全・保安院が同じ経産省にぶら下がってる構図にも言える事だ。
規制組織を独立させる事は国際的な鉄則とされていながら、国内の追求にのらりくらり逃げ回っていた経産省が、国際原子力機関(IAEA)から欠陥を指摘されると、すぐさま原子力安全・保安院を経済産業省から分離し、「原子力安全庁」を新設する事を決めた。外圧に弱い内弁慶官僚の姿は変らない。
それにしても、国民の前であれだけ執拗に分離不要論を主張してきた経済産業省や審議会の「先生方」は、国際原子力機関の一言でこっそり白旗を揚げる前に、少しは抵抗できる理論か気概が欲しかった。
米国議会が国民の批判の高まりに応えて、規制と推進の両方を統括していた原子力委員会を廃止して、推進はエネルギー省に移管し、規制は米国原子力規制委員会(NRC)と言う独立した規制機関に分離したのは、1974年の事である。
規制を担当するNRCは、米国内の原子力施設の許認可について法律上の権限を持ち、核物質の民間利用について、自前のスタッフを持って公衆の健康と安全、公共の防護と保障、環境の十分な防護を担保する事に専念している。
この様に、規制と推進の分離が国際的な常識になってから30年以上にもなるが、政府は原子力安全庁を設置する事を決めた後も、設置先について意見がまとまらず、内閣府か環境省の外局とする両論を併記した。安全規制は、政府から独立した委員会に委譲してはじめて意味があるのに、馬鹿げた話しである。
財務省へのユーターン人事を行わない事を前提に、「内閣府」の外局として分離した金融庁が、設立後10年も経たない2009年の人事からユーターン人事を始めた事からも、安全庁の設置先でもめているのは、いずれ推進と規制を経済産業省の勢力下に戻し、隠蔽をしやすくする意図がみえみえだ。
安全庁の設置も、一時的に国民や海外の批判からそむける儀式の一つにすぎないのでは?と疑いたくなる。日本統治の透明化への道は遠い。