ジョブズが生み出した類稀なるプロダクト、そして彼のドラマティックな人生については、様々な識者によって追悼の言葉とともに語られている。私は、彼の生き方や、生み出されたプロダクトから教訓を見出してみたいと思う。
その教訓とは、会社組織はもっと異端を受け入れるべきではないかということだ。ジョブズ氏が破綻寸前のApple社のCEOへ返り咲いた時、大幅な組織改革が行われ、氏の生み出すプロダクトを生産するファクトリーへと組織は変貌した。
iPodの成功は、そのスキームが肝要であったと語られる。デバイスにとどまらず、そこへ供給するソフトウェアのプラットフォーム(iTunesストア)を作り上げたことが偉大なのだと。それはビジネス的な分析においては正しいが、一つ大事なところを忘れていると思う。
そもそもプラットフォームが成功するための必要条件は、デバイスの普及なのだ。iPodを購入した時のことを思い出してほしい。果たして「iTunesストアから楽曲をシームレスに入手できるから」という理由で購入しただろうか。むしろiPodというデバイスそのものの言語化出来ない先進的なデザインや、クールさに惹かれたはずだ。中央にホイール状の操作パネルが配置され、それを親指を使ってクルクルとまわすと、カチカチと小気味良い音がする。
その心地よさやフォルムのクールさに感化されてiPodを手に取ったのではないだろうか。
もしそうならばiPodの成功要因は、クールさを兼ね備えたプロダクトを生み出した点にある。プロダクトというよりは、アート作品である。iPodの背面は鏡面仕上げになっており、世界でもその加工が出来るのが唯一日本の職人たちであった。職人により、ひとつひとつ手磨きで仕上げられていたという。「鏡面仕上げだと、指紋がつくのではないか?」そんな言葉に対してジョブズ氏は「指紋がついたら、拭けばいい」と一蹴したという。経済的側面から見たら全く合理性が感じられないCEOの発言だが、アーティストとしてとらえれば、自分の作品を最高のものに仕上げることは必然である。もしも日本の企業であれば、指紋がつく鏡面仕上げ、しかも職人が手作業で仕上げることによりコストが上がるとなれば、絶対に代替案を探すである。しかし、ジョブズ氏は徹底的に自分の美学を貫いたアート作品を世に送り出した。そして、消費者は彼の作品に魅了され、アーティストとしてのジョブズ氏に共感したのではないだろうか。
共感とは、すなわち感情である。ジョブズ氏が死去した今、世界中で彼への追悼が行われている。銀座のアップルショップの前には、たくさんの花が供えられている。それは、ジョブズ氏が人々の感情によって支持されていた証左なのではないだろうか。もしも、日本の大企業の社長が亡くなったとしても、自社のコーポレートサイトにCEOの写真は掲載されない。ましてや、一般の消費者が供養に訪れるなどありえないだろう。
アーティストであることは、異端ということである。先進的なもの、真にクールなもの、イノベーションを起こすアート作品は、企業というシステムから見たら異端でしかない。企業は、しばしばそういった先進的なモノを忌み嫌い、排除しようとする。ビートルズだって、当初は大手のレコード会社から見向きもされなかった。弱小レーベルをまかされていたジョージ・マーティンが、彼らの音楽にインスピレーションを得て、周囲から馬鹿にされながらも契約を結んだのだ。もしも彼が周囲の意見に流されていたら、ビートルズの音楽はこの世で陽の目を見ることはなかっただろう。突出した感情やセンスを持ったアートの異端児を受け入れられるか。それが、今後の大企業という組織における大きな課題だと思う。異端を受け入れるセンスを持っていたSOFTBANKの孫社長は、他キャリアから馬鹿にされながらもiPhoneを独占契約によって販売し、それは周囲の消極的な憶測を裏切って大ヒットとなり、SOFTBANKは大きな成功を納めた。
ジョブズの死後、コメントを求められた孫社長は「ジョブズは、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才だった。」と本質を見抜いたコメントをしたのに対し、SONYの出井前社長は「工場持ってないから実現できた。本当はSONYがやりたかったが、工場を持っていたので難しかった。」と見当違いな発言をしていた。このコメントが、日本企業のイノベーションに対しての認識足らずを如実に現している。
最後に、スタンフォード大学の卒業式でジョブズから贈られたスピーチより、一文を抜粋したい。
“その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。”