TPPについては農業保護ばかりに議論が集まっていますが、それは本筋ではありません。いろいろな論点を提示する意味で、野口悠紀雄氏の意見を紹介しておきましょう。これは反対派の主張の中で、ほとんど唯一、検討に値する意見だと思われます。彼は今週の週刊ダイヤモンドでも書いていますが、ウェブに出ていないので、昨年末の記事を紹介しておきます。
彼は次のような例をあげて、TPPのような「関税同盟」が貿易を阻害するブロック経済になる可能性があることを指摘しています:
日本がタイとはFTAを結ぶが、中国とは結ばないとする。すると、タイに進出した日本の現地企業は、日本から部品を関税なしで輸入することができるので、生産コストを引き下げられる。したがって、日本とタイの貿易は増えるだろう。しかし、中国の現地工場はそうした利益は享受できない。したがって、本来は中国への部品の輸出を増やすべきなのだが、それが実現しないことになる。
「中国との貿易を増やすのが望ましい」と言っているのではない。「タイとのFTAがない場合に比べて、中国との貿易が減少することが問題」と言っているのだ。関税を抜きにして考えれば、中国の現地生産のほうがタイの現地生産より効率的に行なえる可能性があるにもかかわらず、中国とタイの関税の相対関係が歪んでしまうために、最適な生産配分が達成できない可能性があるのだ。
つまり相手国によって関税が異なる場合、資源配分のゆがみが生じる可能性があるわけです。これは経済学で貿易転換効果としてよく知られています。しかし関税の引き下げには、国内生産を輸入に変えることによる貿易創出効果もあり、この場合は国際分業の利益が生まれます。教科書的にいうと、関税同盟の結成が貿易創出に結びつく場合は経済厚生を高めますが、貿易転換だけなら損失になります。
問題は、TPPの場合どうなるかということです。これについては定量的な評価がないので、ネットの効果がプラスかマイナスかはわかりません。野口氏も、次のように結論は留保しています。
今提案されているTPPでは、中国が入っていないため、上の例と同じ問題が生じる。つまり、中国との貿易は阻害されるだろう。中国はいまや日本にとって最大の貿易国であり、中国抜きでの経済活動は考えられない。そうした条件下において中国を排除した協定が日本にとっていかなる意味を持つかは、慎重に考えるべき問題だ。
ここから先は、政治的な問題も含めた総合判断でしょう。野口氏はTPPを「中国を排除する仲よしクラブ」と考えているようですが、津上俊哉氏は逆に、中国を含めたFTAAP(アジア太平洋自由貿易協定)への第一歩と考え、こう書いています。
中国は今のところTPPを静観しているが、「参加しない」「興味なし」と言ったことは一度もない。筆者が付き合ってきた経験から判断すると、米国がTPPでやっている「この指止まれ」運動をぢっと観察しているはずである。仮にアジア太平洋地域統合の「勝ち馬」になりそうな気配が生まれれば、自国加盟のメリットを最大限に売りながら、主導権を取り返すべく猛然と行動を開始するだろう。
「中国は東アジア連合を結成して米国主導のTPPに対抗するのではないか」中国は「太平洋の真ん中に線を引く」式の市場分割を米国が決して許容できないことをよく分かっている。途中の過程では「したたか」な中国らしく、「米国だけが調和を乱している(その他諸国だけでまとまれる)」等々、米国が嫌がる揺さぶりをかけるだろうが、それも正・反・合の弁証法プロセスである。中国にとっても、最終ゴールはアジア太平洋地域全体の地域統合を措いてない。
このあたりは、国際経済の専門家でもない私には判断のつかないところですが、野口氏が多くの反対派のように農業保護を主張していないことは重要です。彼はこう書いています。
私は農産物の関税撤廃には大賛成だ。現在の農産物輸入にかかる高い関税のために、日本の食料品価格は国際的に見て、非常に高くなっている。この結果、日本の家計は、多額の食料費の支出を強いられているのだ。日本のエンゲル係数は、先進国の中では異常な高さになっている。家計の犠牲において、日本の農業が成立しているのである。農業の自由化は本来はTPPとは独立に進めるべき課題だが、仮にTPPがそれを進めるためのショックになるのであれば、それは意味があることと考えられる。TPPに関して積極的な意義を認めうるのは、この点だけだ。
現在のTPPには、よくも悪くもそれほど大きなインパクトがないので、貿易転換効果も創出効果もそれほど大きくないでしょう。したがって明らかなネットの効果は、農業保護を撤廃することだけです。残念ながら、「国益」の名に隠れて農協の既得権を守ろうとする人々にとっては、野口氏の議論は役に立たないでしょう。