『中央公論』2月号を読んでいたら、「時評2012」欄に「日本はギリシャと違うのか」と題して大竹文雄さんが、Anton Braun and Tomoyuki Nakajima(中嶋智之氏)の最近の研究を参照する形で、財政破綻の可能性が予想されていても、そのことが国債価格に織り込まれない可能性について指摘していた。
私も、同様の可能性について以前から気にかかっており、こういうことではないかという私なりの考えを、きわめて雑ぱくな形であるが昔書いたことがある(『銀行はなぜ変われないのか』2003年、pp.232-4)。国債価格が情報効率的であるかどうかは、ますます今日的な意味をもった問題になってきていると思われるので、参考までに私のかつての記述を紹介しておきたい。
[デフレは円バブルか]・・・しかしながら、一つ大きな疑問が残らざるを得ない。それは、この財政破綻の可能性を国債相場はどうして織り込もうとしないのか、という疑問である。近年中に財政が破綻状態に至ることがかなりの確度で予想され、そのときには一転して制御困難なハイパー・インフレーションに陥るというのであれば、そのことが国債価格をはじめとした資産価格に反映されてしかるべきではないか。長期国債利回りは、財政破綻リスクのプレミアムを織り込む形でもっと高くなっていても、当然ではないか。
織り込んでいないから、バブルなのだと言われたら、それまでであるが、(自分には分かっているけれども)市場参加者の大多数が財政破綻の可能性に気がついていないという想定には、不自然さがあるように感じられる。ある者が気づいているのなら、市場参加者の中にも気がついている者がいるはずであり(いないというのなら、それは非常な選良思想の持ち主ということになる)、その者が裁定行動をとることによって、政策的介入をしなくてもバブルははじけさせられるのではないか。
もちろん、この場合に想定される裁定行動は、ファンダメンタルズに比べて割高になっている国債を(空)売る一方で、実物資産(株式か不動産)を買い持ちするというものであり、担保資金の手当等を必要とする。そして、市場の大勢に逆らってバブルの崩壊まで持ちこたえなければならないので、バブルの規模が大きければ大きいほど、巨額の資金調達能力をもっていないと裁定ポジションを構築できない。それゆえ、そうした資金調達能力をもっていなければ、分かっていてもバブルつぶしに立ち上がれないということは考えられる。
しかし、それ以上に、この場合のバブルつぶしを難しくしていると考えられるのは、中央銀行相手に売り攻勢をかけなければならないという点である。いうまでもなく、中央銀行はハイパワード・マネーの供給能力をもつ唯一の主体であり、いくらでも国債を買うことができる主体である。こうした主体と争って、売り負かせると思う民間主体はいないであろう。
こうした事情から円バブルが持続しているのだとすれば、長期国債買いオペを増額せよといった主張をする論者は、国債市場で売りポジションをとることをさらに不利にさせることを通じて、デフレを解決することにではなく、実はデフレが続くことに貢献しているということになってしまう。デフレの原因に関する冷徹な分析が不可欠である所以である。
ただし、財政破綻に至ったとして、そのときにはハイパー・インフレになるというのは、やや古典的なイメージに引きずられ過ぎているのかもしれない。これは、財政が破綻し、国債の新規発行や借り換えが正常に行えない状況になれば、債務不履行(デフォルト)を回避するために、日銀による国債直接引き受けが行われることになるという想定である。しかし、日銀による国債直接引き受けの前に、政府の資金繰りをつけるために、強制的な支出のカットや選択的な増税措置(たとえば、国債保有税)の導入が行われるとみるのが、妥当である。
少なくとも公務員給与の遅配もない前に、ハイパー・インフレとはならないだろう。そうだとすると、財政支出の強制的なストップや資産課税の検討がはじまってから、国債から逃げ出しても遅くないと市場関係者の多数は考えているのかもしれない(もちろん、そのときは取り付け状態になって、全員が脱出できるということはあり得ない)。このとき、現在の国債相場をバブルだと言い切ることは難しい。
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池尾 和人@kazikeo