イノベーションのジレンマに陥った日本

大西 宏

野田政権は、社会保障の安定財源確保と財政健全化のための一体改革をめざすとしていますが、医療、年金などの社会保障の根本的なしくみの変革を行わない限り、問題の先送りを行うにすぎません。
年金問題ひとつを考えても、負担側の若い世代と受益側の高齢者との格差問題が多くの人から指摘されるよになってきていますが、将来は格差だけではすまなくなるでしょう。負担側も受益側も共倒れする可能性が高いのです。与党に限らず、政治に欠如しているのは、社会の変化がもたらしてきているさまざまな課題を創造的に解決しようとする問題意識、あるいは意欲の欠如だと感じます。まるで、クリステンセンが指摘した「イノベーションのジレンマ」に日本が陥ってしまった姿を見るようです。


イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
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写真フィルムを発明し、写真の世界を広げた名門コダックが、深刻な経営危機に見舞われています。資金ショートに陥り、持っているデジタルカメラに関する特許などの売却で凌ごうとしていますが、それに失敗した場合に備え、連邦破産法11条適用申請の準備をはじめています。
なぜエクセレント・カンパニーであったはずのコダックがそこまで凋落したのでしょうか。写真フィルム、あるいはDPEを含めた市場が、デジタル化の波によって大きな打撃を受けることは気がついていたはずです。しかし、過去の成功体験が足かせとなり、自らを変えることに失敗したのです。しかも、コダックはもともとデジタルカメラを発明していたのですが、実際に使えるものにしたのは日本の各企業で、デジタルカメラへの本格的な参入にすら遅れてしまいました。自らの本業と矛盾する事業に本気で取り組めなかった、それが「イノベーションのジレンマ」です。

日本も同じ状態に陥ってきていると感じます。クリステンセンは技術革新によって巨大企業も滅びるリスクを指摘していますが、変化はなにも技術革新だけによって生まれてくるわけではありません。

ドラッカーが指摘しているように、もっとも変化の先読みができるのは人口動態の変化であり、日本の少子高齢化が日本にさまざまな歪をもたらしてくることは、はやくからわかっていたことでした。
しかし自民党政権もそれに対する根本的な解決のための変革にチャレンジすることなく、放置してきました。また与党時代には年金改革を訴えていた民主党も政権を取ってからは、あいかわらず、今のしくみを前提として目先の財政不足にどう対処するかの方針しか見えてきません。

まるで企業で言えば、売上が不足しているので価格を上げよう、経費カットを行い、人件費を削減しようという発想に似ています。それは経営の敗北そのものです。もちろんそういった対策が必要だとしても、問題のたて方が間違っているのです。
正しくは、企業が維持、成長できる体質をどう取り戻すか、どのような技術革新や事業分野を取り込み、また事業のしくみを変えるかに問題をたてるべきなのです。

いわゆる上げ潮派といわれる人たちの成長戦略も問題の先送りにすぎないように感じます。なぜなら日本の古い産業が残ってしまったしくみをどう変えるかの根本的な議論がないからです。日本が再び、経済成長の勢いを取り戻せば、税収も増え、解決されると言っても、景気浮揚策としてなにが有効かの説得力のある構想が示されていないからです。
財政を出動は、これまでまったく成功しませんでした。財政出動は、日本が成長性を失った産業の構造転換、国際競争力の低下などの根本的な問題解決につながらないからです。しかも、いくら景気が回復して、税収が増えて、財政難は緩和されるとしても、少子高齢化問題がある限り、社会保障の「負担」と「受益」のアンバランスな構造は残ります。

年金にしても医療にしても介護にしても、支出を抑える、あるいは支出を減らし、若い世代の負担を軽減することと、より安心して、健康でハッピーな老後も過ごせることの両立をどうすれば実現できるのかに問題をたてるべきなのです。そうでなければ国民的な合意は取れず、さらに世代間の対立を深める結果となってしまいます。それにはさまざまなしくみを変えていかざるをえません。
どうすれば世代間の格差をなくすことができるのか、その矛盾の解決策こそ日本の社会を変えていく原動力になってくるのかもしれません。

しかし、しくみを変えようとすると、さまざまな利害対立も起こってきます。現在の医療制度を残したままでは、医療費の削減は医療崩壊にもつながって来ますが、医療の合理化を進めようとすると、それに対する抵抗も起こってきます。
介護にしても、過疎地に老人が残ると、介護のコストは上昇していきます。それを解決するには、若い人が過疎地に戻るか、あるいは高齢者が都市部に集まるしくみを考えなければ解決しません。しかし、そこに希望があり、夢があって、心豊かに過ごすことができれば人は集まってくるはずです。

老人医療費を上げる、介護費用を上げる、また年金額を減らす主張は、人口構成で有権者は高齢者のほうが多いので、票を失い、選挙に負けるリスクもあるので、まともに切り込まないのです。それでも安心できるというビジョンを示すことができないからです。

そういった問題に部分的には手が付けられていても、根本的な変革には自民党政権時代も、民主党政権になっても手が付けられていません。根本的な改革が必要だということは誰にもわかっていても、あまりに大きなしくみの改革が必要なために誰も現実には手をつけない、それが今の日本です。

企業が滅んでいくさまに似ています。イノベーションを起こすマネジメントの欠如です。そこに知恵を集めようとするマネジメントの欠如です。そろそろ、各論だけでなく、どう日本を変えていくのかの健全な議論に集中しなければ、陽が沈むのを待つだけです。
政党は、日本の将来はこうしていくという構想力で競いあってもらいたいものです。政局にエネルギーを費やしている余裕はないはずです。今のままでは、政治に信頼は取り戻せないし、信頼を取り戻さないかぎり、改革はできないのです。