長崎新幹線は絶対に必要である

前田 陽次郎

整備新幹線に関する記事は、ここここに書いた。

今回は九州新幹線長崎ルート(以下、わかりやすいように長崎新幹線とする)の話。東京人の論理だと、無駄以外の何物でもないみたいだが、きちんと地元の意見も公にしないといけない。東京のマスコミは東京中心の意見しか出さない。ネット社会では、同等に地方の意見も公表できるので、ここに書かせて頂きたい。


繰り返し書くが、整備新幹線は絶対に必要である。財源がないから新幹線整備はやるべきではないという意見も多いが、経済成長のためのインフラ投資は必要である。これからもう一度高度経済成長を、なんてことはあり得ない話だが、何もしないと、日本はこのままジリ貧になっていく。それを食い止めるためにも、必要な投資は惜しむべきではない。整備新幹線は投資効果がない、という東京人も多いが、ちゃんと投資効果があると判断されて、着工が決定したのだ。投資効果がないと思う人は、単に「効果がない」という思い込みだけで物事を判断しているのであって、そういう人は視野が狭い、というだけのことである。

そもそも新幹線はどういう理由で建設されたのか。元々は、在来線が逼迫してきたため、新しい線路を引こうという発想からである。東海道新幹線は東海道本線が混雑していたことから構想が起こり、今JR東海が自費で建設しようとしている中央リニアにしても、東海道新幹線新幹線の輸送量が逼迫しているから話が出ているのである。

では長崎新幹線。これも地元の賛成派の多くは、在来線が逼迫しているから建設を願っているのだ。

長崎本線は現在、日中特急列車が1時間に2本程度走っている。当然これだけで逼迫しているとは言えないのだが、問題なのは、肥前山口-浦上間の約80kmが、諫早-喜々津間の6.5kmを除き単線である、ということだ。

1時間に2本特急が走っていると、15分に1回は行き違いのため停車しないといけない。この単線区間の中で、肥前鹿島-諫早間は40分間停車駅がない。この区間でも当然列車交換は必要なので、停車駅でもない所で2回は列車交換のために停車する。

ダイヤが平常通り運行されていれば停車時間も短いが、当然多少乱れることは、よくある。そうなると、停車待ちの時間が増え、どんどん遅れが拡大されていく。

「それ位我慢しろ」と東京の人は言うのかもしれないが、長崎の人間からすると、「ふざけるな」という感覚だ。東京は線路が複線で当たり前だから、単線のイライラはわからないだろう、と言いたい。新宿から甲府に行く時に、八王子を出て甲府までの間に停車駅でもない所で3回も停車されたらどう思うだろうか。今でも新宿と八王子の間で快速列車がつかえてノロノロ運転になってイライラする人もいるだろうが、その比ではないのだ。

そもそも東京の複線の線路は、国鉄時代に地方から吸い上げた税金で、全額国費で作ったものだろう、地方に対するその恩を忘れて、何を今さら、という感覚になる。傾斜生産方式という言葉を聞いたことがないのだろうか。元をただせば、長崎本線のこの区間が、国鉄時代に複線で整備されなかったことに原因がある。

国鉄時代の路線整備は、国が国家全体の経済成長のために、国家戦略的に行われた。その時代の路線整備は、旅客より貨物が中心であった。だから、関東近郊やかつては国家戦略であった北海道・筑豊の炭鉱地帯に、複線の路線がしっかりと整備された。

これは残念ながら戦略ミスだったと言えよう。炭坑路線は必要性が薄れ、ほとんどの枝線は廃止された。そして関東地区の過剰ともいえる複線の貨物線整備についても、詳しく検証されるべきではないだろうか。

たとえば横須賀線の品川-鶴見間や湘南新宿ラインは、もともと貨物線である。利用度の低い貨物線が旅客用として再利用できたという意味で無駄にはなっていないが、本来の目的は失われている。

京葉線や武蔵野線も貨物線として建設された。これも旅客線として活用されている。しかし、武蔵野線の鶴見-府中本町間は、今でも貨物専用である。このほとんどトンネルの約25kmが、複線で整備される必要性はどれだけあったのだろうか、と、特急列車が交換待ちで15分ごとに停車させられる長崎本線の利用者からすると、文句の1つも言いたくなる。

他にも、現在りんかい線として利用されている東京湾地下のトンネルも、貨物線として複線で整備されたものである。これだって利用されないまま地下に眠っていた。今はりんかい線として利用されてはいるが、そこまでお金をかけてりんかい線が必要なの?と言いたい。この海底トンネルだって、地方から吸い上げた税金を使って東京の整備をしたあげく、それが十分に活用されているかについては疑問符がつくものである。

こういう、東京での無駄な税金を使った路線については一切言及することなくして、整備新幹線についてだけ無駄だ、などと言うのは、フェアでない。

話を長崎に戻す。

長崎の新幹線建設推進派の意見としては、やはり複線の線路が欲しい、という意見が大きい。これだけの輸送量がある区間が単線で放置されているというのは、やはりおかしいというのが素朴な気持ちだ。

そして、国鉄時代であれば全額国の金で複線工事も出来たのであろうが、今は国鉄が分割民営化されたので、JR九州には自力で複線化する体力はない。そうなると国に支援を求めるしかないのだが、今の制度だと、国が建設費を多く出せるのは、新幹線しかないのだ。だから新幹線をお願いする、という考え方が強い。

今回新規着工の方針が出ている諫早-長崎間は、すでに建設されている肥前山口-諌早間(新線建設区間は武雄温泉-諌早間)に比べて輸送量が遥かに逼迫している。肥前山口-諌早間を走っているのはほとんど特急列車で、普通列車は日中でも5時間以上走っていないという時間帯もあるような状況である。それに対し、諫早-長崎間は県内の動脈であり、1時間2本の特急以外にも、快速と普通列車が1時間に1本は走っている。逆にいえば、県内最大の動脈区間であるにも関わらず、普通列車が1時間に1本しか走れない位、線路がいっぱいなのである。

新幹線本来の目的である、輸送量の逼迫した在来線を緩和させるため、ということからすると、諫早-長崎間こそ、早急に建設されるべき区間なのである。

結論として言えるのは、国鉄時代に先の見通しが悪く長崎本線を複線化しなかったばかりに、新幹線というもっと高いものを要求された、ということである。それは見る目がなかったんだから仕方がない。国の見る目がなかったことの責任を、長崎に押し付けてはいけない。そこは国に尻拭いしてもらって当然である。以前なら全額国費で建設できていたものを、地元負担している分だけ、まだ良心的ではないか。本来なら全額国費負担を求めても筋違いではないことなのである。今「もっと高いもの」と書いたが、全額国負担でない分、複線の在来線を建設するより国の負担額は低いかもしれない。

つまる所、武蔵野線の鶴見-府中本町間の25kmに複線のトンネル掘るお金があれば、諫早-長崎間の25kmに複線のトンネルを掘っていれば済んだ話だったのかもしれない。もっと言うと、諫早-長崎間の単線区間である喜々津-浦上間には、1972年に単線の新線を作っているのである。この時に、単線ではなく複線で建設しておけば、それで済んでいたのかもしれない。なんという先を見る目の無さ、という感じである。

昔、地方から吸い上げた税金で東京圏の整備をして無駄な路線を作ったんだから、今度は長崎の整備をしてもらうのは、当然のことであろう。

前田 陽次郎
長崎総合科学大学非常勤講師