内田樹先生「ご気分は確かでしょうか?」―「ハシズムを許すな」を読んで

北村 隆司

「橋下主義(ハシズム)を許すな」と言う語呂合わせ的な標題は、思想家の内田先生には相応しくないと感じながらも、4人もの大学教授が智恵を集めて書かれたと言う事で、少し期待して読みましたが、その内容には落胆しました。

本書が「プロパガンダの天才」と称され、ナチス体制の維持に辣腕を発揮したゲッペルスの「都合の良い事実を混ぜた不実を、繰りかえせ」と言う手法をそのまま採用していた事も皮肉です。

但し、私が今回申し上げたいのは、橋下市長の政策や政治スタイルの賛否ではなく、先生の御著「日本辺境論」と「橋下主義(ハシズム)を許すな」を読み比べて湧いた、先生ご自身の思想家としての「矜持」に対する疑問です。


先生は「日本辺境論」でこんな事を書かれています:
「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感が常につきまとっている。これはおそらく,はじめから自分自身を中心としてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろう。

日本文化と言うのはどこかに原点や祖型があるわけではなく『日本文化とは何か』と言うエンドレスの問いの形しか存在しません。日本文化そのものは目まぐるしく変化するのだけれど、変化する仕方は変化しないと言う事なのです。」
これは「変化の仕方を変える事」に強く抵抗する、山口教授や香山教授の物の見方に対する、厳しい警告ではないでしょうか?

先生は又、「公務員は『憲法や法律を尊重する義務を負う』誓約書に署名している筈です。これを守らない公務員を,この人、変だと思わない日本国民は、『国とは何か、国民とは何か』について最終的に答を出すのは、私達一人一人の個人の資格においてであると言う考え方が、私達の中には定着していないからです。」とまで断言されました。

共著者の先生方は、先生と同じ考え方に立つ橋下市長の政治姿勢を「ファシズム」だと攻撃しているのですから、先生が批判すべきは橋下市長ではなく、共著者の考え方であるべきです。さもなければ、「日本辺境論」での自論は間違いだったと訂正されるのが道理です。

先生は更に、
「日本人は、世界のどんな国民よりふらふらきょろきょろして、伝統や古人の知恵をすてて、最新流行の世界標準になだれを打って飛びつく事でナショナル・アイデンティティーを見出した。例えば、私達のほとんどは、外国人から『日本の21世紀の東アジア戦略はどうあるべきだと思いますか?』と訊かれても即答する事ができない。日本人は自分の言葉で意見を述べるように準備しておく事が、自分の義務だとは考えておらず、誰か偉い人や頭の良い人が自分の代わりに考えてくれる筈だから、それらの意見から気に入ったものを採用すれば良いと思っている。そういう人間は、『本当は何がしたいのか?』と言う問いを自分に向ける習慣を放棄しているからです」
と書かれていますが、これは、TV討論の中で何度も「何がしたいのか?」と問われても、その度に「知らない」と答える薬師院教授や、肝心の事になると「私は精神科医で、政治家ではない」と言って憚らない香山教授、御自分の主張の根拠の誤りを具体的に指摘されても「学者の仕事は考える事で、細かな事実を見なくとも全体は直ぐ判る」と言う山口教授などの「怠け者に近い準備不足」に対する叱責の言葉とさえ受け取れます。

この様に、先生が「日本辺境論」で示された「あるべき考え方」は,殆ど100%橋下大阪市長の目指す方向と同じで、「橋下主義(ハシズム)を許すな」の共著者の香山リカ・山口二郎・薬師院仁志各教授とは真っ向から対立する考え方です。
どちらが、先生の本音なのでしょうか?

若し、主張が正反対の本を真面目に書かれたとしたら、思想家と言う「タイトル」を降ろされるか、共著者の香山先生に診断して戴いたら如何でしょう?

動画上での論争から判断すると、山口、香山、薬師院各教授の「知識」と「見識」の無さは目を覆いたくなるばかりで、内田先生への期待が大きかっただけに、共著者の質の悪さには落胆しています。

この様な人々が「教授」になれると言う事は、日本に709校もある大学が多すぎるのか、教授職に競争がない為なのか、「悪名は無名に勝る」と言う大学の商業主義の為なのか? 理由は判りませんが、授業を受ける学生が気の毒に思えてななりません。

元東大総長で文化勲章を授賞者である有馬朗人博士は、「単に大学教授であるくらいで、専門を越えてさまざまに述べる意見には余り賛成しない事が多い。これらの人々は先ず自分の専門で十分認められる仕事をすべきである。書くとすれば自分の専門についての一般向けの本を書くべきであろう。自分の専門でない分野について述べる時は、客観的データを中心に、できるだけ主観を排して客観的な論を展開すべきであると思う。又、積極的に意見を言いたい時は、学者であるとか言う肩書きを捨てて、一般人の立場で言うべきだと考える。」と書かれています。

この言葉は、以前に書いたブログでも拝借しましたが、見せ掛けは立派な学者と言う看板を掲げて、粗末な内容の本を売りつける「羊頭狗肉商法」に対する警告でもあります。

このエピソードを機に、学者の限界と効用を巡って国民的な論議が高まれば、「橋下主義(ハシズム)を許すな」と言う駄本も、日本を変える名著になるかも知れません。

北村 隆司