原子力をめぐる政治と感情

2012年03月27日 10:40

Terrestrial Energy: How Nuclear Power Will Lead the Green Revolution and End America's Energy Odysseyチェルノブイリは疑いもなく、史上最悪の原発事故だった。その被害を検証するため、国連は100人の科学者による調査委員会を組織し、2005年に600ページからなる報告書を発表した。その結果は、驚くべきものだった。消火活動で死亡した50人弱を除くと、小児甲状腺癌で10人程度が死亡しただけだったのだ。53万人の被災者の追跡調査でも、発癌率の増加はまったく見られなかった。

これに対してグリーンピースは2006年に「チェルノブイリ事故で20万人が死亡した」とする報告書を出したが、そこにはロシアやウクライナで癌によって死亡した人の多くが、地元の医師の証言によって「原発事故の犠牲者」としてカウントされていた。記録映画「チェルノブイリ・ハート」の手法も同じだが、人間の30%は癌で死ぬので、これは科学的な証拠とはいえない。


エネルギー政策は、人々の原子力に対する恐怖と政治力学に左右されてきた。その背景には「どんな低線量でも放射線は危険だ」という冷戦時代の固定観念がある。それは広島・長崎の悲劇を見た人には当然の感情であり、1950年代に政府が放射線を管理する基準として「放射線被害に閾値はない」と仮定したのも、当時としてはやむをえないことだった。しかしこのLNT仮説は原発に反対する市民団体のスローガンとなり、リスクの基準として使われるようになった。

その後の研究のほとんどはLNT仮説を否定し、むしろ数十mSv以下の被曝で死亡率が低下する現象が発見されたが、政府は仮説を変えなかった。これはAEC(原子力委員会)とNRC(原子力規制委員会)の政治的妥協の産物である。AECの背後には原子力産業と共和党がいるが、NRCの背後にはラルフ・ネイダーに代表される市民運動と民主党がいる(日本と違って後者は万年野党ではない)。

ユッカ・マウンテンの廃棄物処理場も、10年間にわたって90億ドル以上の建設費を投じた後で、地元のリード上院院内総務がオバマの大統領選挙キャンペーンの中心となり、オバマが反対を打ち出したために葬られた。その反対運動のリーダーだったヤツコは何とNRC委員長になったが、他の委員から辞任要求を出されている。

実際には、原子力よりはるかに危険なのは石炭火力である。地球温暖化のリスクは誇張されているが、3億年以上にわたって大気から隔離されてきた膨大な炭素を大気中に放出することは、長期的には生態系に大きな影響を与えるだろう。中国の炭鉱では1回の事故でチェルノブイリより多くの死者が出ており、石炭火力は原発の100倍以上の放射性物質を大気中に排出している。

本書は福島事故の前に書かれたが、事故後にも著者はWSJで台湾のエピソードを紹介している:1980年代に鉄鋼会社が誤って放射性元素コバルト60を鉄筋に混入させ、1700ものアパートの建設に使用され、住人は最大で自然環境の30倍の放射線にさらされた。しかし15年後に行なわれた健康調査では、住民1万人に対して癌患者はわずか5人と、予想よりも97%少なかった。彼はこう警告する:

これまでのところ、福島の放射性被ばくによる死者や健康被害はゼロだ。半径20キロの区域から避難した10万人にみられるのは、「うつ」や絶望による体調不良、または自殺である。[・・・]世界の政府機関が最小の被ばくでも有害との前提に立ち続ける限り、ドイツと日本は自らの経済力を削ぎ続けることになるだろう。

原発を止めて老朽化した石炭火力をフル稼働することは、経済のみならず健康にも有害だ。放射能のリスクだけを特別扱いする理由は、ニュースの見出しになりやすいという以外にはない。現在の混乱を収拾するには、政治家が情報を冷静に取捨選択し、冷戦時代の先入観を払拭して科学的データを直視するしかない。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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