日本再興(1)―「そこそこ文化」が日本を悪くする

北村 隆司

文化的にも経済的にも衰退の著しい日本の再興には、統治機構の抜本改革は避けて通れないが、国民レベルで現在の価値観を変える事も必須である。その一つが「そこそこ文化」の日本を、「なにくそ文化」の日本に戻す事だ。

希望と挑戦に胸を膨らませている筈の新入社員まで、安定第一の人生を望む若者が多いと聞く日本は「そこそこ文化」の行き過ぎに思えてならない。私には「好奇心」と「向上心」を失った若者が蔓延る日本は想像出来ない。


21世紀を迎えるまで、生産性と品質管理で世界を席巻した日本が、今では両分野でも先進国の下位に低迷するだけでなく、経済に限らず多くの分野で衰退している。日本人の生活が急激に向上した為に「そこそこでいいじゃないか」と言う「中庸文化」に染まって仕舞った事が衰退の一因だとしたら早急に修正を要する。

「戦後経済復興」と「貧困」からの脱却をエネルギーに頑張って来た世代に属する自分としては、日本人が文化的生活を享受できる様になった事は嬉しいが、覇気まで無くして仕舞ったとしたら、何とも寂しい限りである。運動会でも順番をつけない学校もあると聞く。「平和ボケ」も極まれりの情ない話で、これも「そこそこ」文化を助長する一因であろう。

戦後の米国で、強制収容所から解放された後の日系人の社会的な進出は目覚しい物があった。ハワイでは州知事、州最高栽長官、ハワイ大学学長、上院議員の両議席、唯一の下院議員を日系人で独占し、カナダ生まれの世界的な言語学者のハヤカワ博士は,日系人であるが故に、永年シカゴ大学の教授を務めながら、米国籍を認められたのは戦後になってからであった。その後ハヤカワ博士は、サンフランシスコ州立大学学長を経てカリフォルニア州選出の上院議員に当籤するなど、排日運動の本拠地では想像も出来ない結果を生み出した。

これ等の日系人は何れも、排日運動の差別への悔しさをばねに指導的地位に着いた人々である。

戦後の日系人の輝かしい実績に興味を持った米国社会学会誌は、ニューヨークのユダヤ人社会と西海岸の日系人社会を比較して「差別の厳しさを知るユダヤ人と日系人は、親が飢えても、子供の教育に力を入れる共通点を持っている。それは、一般白人と同点であれば採用して貰えない事を知る親が、その辛さを子供に味あわせたくないため、医者、弁護士、エンジニアーなど自分の力で生きて行ける職業を選べるように、勉強に励ませる」のだと言う調査結果を掲載した位である。

ユダヤ人社会は米国社会で指導階層に進出した今日でも、この伝統を守っているが、ユダヤ系は勿論、インド、中国、韓国系と異なり、他人種や異文化との融合の早い日系人からは、その伝統は足早に消えて行った。

その為か、戦後育ちの日系人は、中国系、インド系に比べると社会的進出の遅れが目立つ。政治には割と強い日系人も他の分野ではさっぱりで、起業家として大成功したアジア人は中国系とインド系が圧倒的で、次に韓国系とヴェトナム系が続き、大企業のトップでもインド系と中国系が多く、日系人はほぼゼロと言っても良い状態である。

億万長者でも、中国系、インド系に韓国系、ヴェトナム系が名前は見えても、日系はゼロである。法曹界でも同様で、アジア系で将来最高栽判事の候補に挙げられている人物はインド系2名、韓国系2名、ヴェトナム系1名と言った具合である。医学や他の学問の分野でも日系人の影は薄く、インド系、中国系、韓国系に遅れをとっている。

日本経済隆盛の時代には一番多かった日本の留学生だが、成績はと言うと大蔵省や外務省などのエリート官僚留学生や学者の卵も含め、卒業成績は他のアジア諸国の留学生に比べると芳しくなく、ヴァレデイクトリアン(首席卒業)は勿論、スンマカムラウデやマグナカムラウデなどの称号を受けて卒業する優等生は殆ど出ていない。

日本人学生で成績の良い学生は、官庁や企業の派遣留学生より、自腹で留学した学生にが多いとハーバードの教授から聞いた事がある。天賦の才もさることながら、箔付けを目的とした派遣留学生と生活を掛けた「自費留学生」の「そこそこ主義』と「なにくそ主義」の違いがここでも表れているのではと思う。

戦時中、お上が決めた価値観を強制された結果、「なにくそ魂」が悪用された日本では「偏差値」等と言う商業的な人為指標に操られている様では「なにくそ文化」には危険性もある。

先進各国の様に、百花繚乱の原野から自ら選んだ花を目指して、強風を物ともせず飛翔する姿こそ「なにくそ文化」のあるべき姿である。あるべき競争は、他人と争いではない。その点、自分の「夢」に向って自分と闘うスポーツ選手の様な若者が増えつつある事は、日本の希望である。
日本再興には何が必要か?引き続き考えて見たい。