「カツマー」から「和民」へ 勝間和代の大逆襲が始まる!

常見 陽平

勝間和代の新作『「有名人になる」ということ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を読んだ。様々な謎が解けるとともに、確信した。2012年、勝間和代の大逆襲が始まる!


思えば、2011年の勝間和代はおとなしかった。ブログもバイクの話など、ゆるい話が中心となった。盗んだバイクで走りだす若者もいる中で、次々にバイクを買い換える様子を見てさすがセレブは違うと思ったものだが。一時は『月刊勝間』と言われたほど出版点数が多かったが、明らかに少なくなった。

そんな彼女の新作が出た。しかも、タイトルは『「有名人になる」ということ』である。帯には「また勝間が~」という西原理恵子のコメントがイラストともに載っている。受け取った瞬間、思わず興奮し、私の鼻の穴はゴルフボールほどに大きくなってしまった。

あっという間に読了。正直なところ、もう少し赤裸々に語って欲しかったというのが私の率直な感想だ。とはいえ、「有名人になる」という、貴重な体験についてその裏側を語った本というのはたしかに珍しい。積極的に自己開示を行った点は評価するべき点である。

興味深い意外な事実も紹介されている。例えば、「有名人になる」ということは、勝間和代にとって「プロジェクト」だったということだ。会社を立ち上げ、当初取り組もうと思っていたビジネスにリーマン・ショックなどで暗雲が立ち込めた中、勝間和代自身が「有名人」になるということは、会社を存続させるためのオプションの一つだった。また、「有名人」になることにより、自分が提言したいことが通りやすくなるという側面もあったという。

有名人になるための方法などが明かされているのだが・・・。申し訳ないが、これは私にとっては想定の範囲内であり、目新しさはなかった。企業をメディアに載せるために使う手法を、ひたすら個人としてやりきったということだろう。

納得がいかなかった部分で言うならば、香山リカとの論争についての言及がなかったことだ。これは、読者も期待していたのではあるまいか?香山リカがベストセラーとなった『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)に「<勝間和代>を目指さない」と書いたことがきっかけとなり実現した『AERA』出の対談は話題となった。私はこの噛み合っているような、いないような対談を読んで「なんで大人たちは分かり合えないんだ?」とまるでガンダムのアムロのように悩んでしまい、電車で男泣きしてしまったのだ。これは読者が最も期待していた点の一つではないだろうか?

自分の意図しない影響についても、もっと言及して欲しかった。例えば、『断る力』(文春新書)は予想以上に売れた本だと紹介されているが、この本の影響で日本の職場では上司と部下が「断る力」を使い、血で血を洗う抗争が展開されたという。本人も、断る力を使うのは自分の軸が出来てからと言っていたように思うが、妙な誤解を生んでしまったことは直視せざるを得ないだろう。

やや話がずれるが「断る力」と言いつつ「勝間さん、断っていないじゃん」という点は突っ込まざるをえない。紅白に文化人枠で出たのは凄いことなのだろうが、面白くなさそうな顔が映ってしまったのは頂けない。『結局、女はキレイが勝ち』(マガジンハウス)など、「なんでこれが出ちゃったんだろう?」というものも多数あった。フォローすると、あのタイトルと表紙は「ない」と思うが、内容については勝間和代入門としてはなかなかよくできている。先輩論客も「あの本は素晴らしい」と絶賛していた。

ちなみに、私は「断らない力」をこだわり、この本が出た頃から今までの間に年収が1.84倍になったが、何か?彼女が「年収10倍仕事術」と言ったところで、年収が10倍になった人はどれだけいるのだろうか?年収横ばいでもいまや、御の字である。過労で倒れるなどのブラック労働を経験しつつも、「断らない力」で年収を倍近くにした自分を褒めてあげたいのだ。

とはいえ、この本は勝間和代を理解する上でも、勝間史においても重要な一冊である。2010年の冬に出た『人生を10倍自由にするインターディペンデントな生き方実践ガイド 「自立」〈インディ〉から「相互依存」〈インタディ〉へ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)同様、この本は彼女の「人間宣言」シリーズだと解釈している。

敬虔な勝間和代信者に聞いたのだが、勝間和代の正体は「IT好きのおばさん」なのだという。しかし、「有名人になる」ということの目的化が彼女をおかしくしてしまったのだろう。等身大の自分と、世間が見る、あるいは演じざるを得ない倍身大の<勝間和代>との間で揺れたのではないだろうか。

では、勝間和代は終わってしまったのか?本人がこの本で触れていたように、オワコンなのか?

違う。

この本こそが、勝間和代の贖罪の終わりであり、復活の始まりなのだ。

これまでは、意図する部分も意図せざる部分も含め、勝間和代はある意味「女帝」いや「女神」となってしまっていた。「カツマー」と呼ばれる信者たちが生まれていった。熱心な信者は大学で「勝間和代研究会」を立ち上げたりもした。逆に言うなら、勝間和代は、本人の意図しないかたちで、神格化されていった。期待もバッシングも過剰となっていった。

しかし、この贖罪2作によって、勝間和代の「人間宣言」は完璧なものとなった。これまでの勝間原理主義的崇拝の時代から、人間としての勝間和代の時代がやってくる。「カツマー」時代から「和民(和代の和をとっている)」時代への変化である。同じ仲間として、彼女と酸いも甘いも分かち合う時代がやってくるのだ。

さらに言うならば、これまでは勝間対その他という対立軸だったのが、和民対その他という軍団抗争の時代に移行するだろう。ビジネスパートナーである上念司、「武器商人」瀧本哲史、「ノマドワーカー」安藤美冬などは、「著名和民」だと私は捉えている。

期待を伝えるとしたならば、今こそ『AERA』で香山リカと対談するべきだ。彼女に限らず、かつて拳を交えた「強敵(とも)」たちと今一度対談をするべきだ。勝間討論10番勝負を期待する。

また「カツマー」現象を分析した著書『ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない』(漆原直行 マイナビ新書)を読んで頂き、ぜひ著者と対談し「カツマー」時代とは何だったのかを総括して頂きたい。私も昨年、自分磨きのワナを描いた『「キャリアアップ」のバカヤロー』(講談社+α新書)という本を書いたのだが、『ビジネス書を~』は私の本を大きく超えており、激しくリスペクトとジェラシーを感じたものだ。

迷走のような疾走を経て、彼女がどう変わったのか?みんなが直視すべきであり、検証すべきである。

「カツマー」から「和民」へ。この歴史的転換を目撃すべく、ファンもアンチもぜひこの本を読むべきだ。

勝間和代が今後どうなるのか?激しく傍観することにしよう。

試みの水平線