橋下徹氏の「賞味期限」

松本 徹三

「橋下総理」の早期実現への期待が既に大っぴらに口沙汰されている昨今だが、そんな中、橋下氏ご本人が「僕にも賞味期限があるから」と発言したという話を聞いて、私は少し不安を感じている。彼が自らの「賞味期限」を意識して勝負を急いだら、本人のみならず、日本全体の為にも良くないと思うからだ。

結論から言うなら、私も「橋下総理」の実現に期待する者の一人だ。ただ、その性急な実現は望まない。これは3月19日付の「橋下徹氏に期待するもの」と題する私のアゴラの記事でも書いた事だ。


成程、「ものには『勢い』というものがある」という観点から考えれば、「自分の人気は今が『旬』かもしれない。このタイミングを逃すと勝ち目が薄れる」と、賢い彼が判断したとしてもおかしくはない。しかし、ここは我慢して欲しい。後に述べる色々な理由によって、すぐに全ての理想を実現しようとしても、失敗に終わる可能性が強く、一度失敗すれば、立ち直る事は難しいからだ。

日本の政治経済の現在の流れは「緩やかな衰退」であり、その帰結として、最悪時は「財政破綻―金融恐慌」もあり得る。その主たる理由は、「ハングリー精神を失った国民」と「制度疲労が著しい政治経済システム」の「もたれ合い」構造であり、今や「全てをリセットしてやり直す」しかないのに、これが出来そうな人が全く見当たらない。

だから、もはやこれ以上の停滞には我慢ならなくなった多くの人達が、「これを出来そうな人にそろそろ登場して欲しい」と願っているのであり、その候補者としては、「少し風変わりではあるが、橋下が最右翼」と考えているわけだ。と言うよりも、「他に候補者はいない」と言った方が正確かもしれない。

橋下氏の持ち味は、「批判や攻撃を恐れる普通の人にはなかなか言えない事」をはっきりと言い、相手が誰であろうと逃げ隠れせずに、真っ向から論争を受けて立つ事だ。また、多くの人達が知らないままに白昼堂々と起こっている「とんでもない事」を、全て白日の下に晒し、多くの人が「当然正すべき」と思いながらも正せなかった事を、逡巡する事なくずばりと正す事だ。こういう人がこれ迄には居なかった為に、多くの人は心の中で秘かに快哉を叫んでいる。

勿論、本能的に彼のスタイルを嫌い、「たかがタレント弁護士じゃあないか」と言って彼を軽侮する人達も多い。一方では、彼が「選挙で信任を受けた」という殺し文句を繰り返し、将来「とんでもない方向」へと強引に国を持っていってしまうのではないかと、秘かに危惧している人達も多いだろう。しかし、これ等の人達は、政策の問題を論じる前にスタイルの問題ばかりを論じているのであり、そんな事だけで彼の人気に対抗できると思っているなら、読みが浅すぎる。

例えば、元経産省で現在は京大の準教授である中野剛志氏などはその典型だ。彼は、19世紀前半のドイツ歴史学派の領袖で保護主義(関税障壁)の妥当性を訴えたフリードリッヒ・リストに影響を受けたと思われ、少し不思議な「経済ナショナリズム」というものを提唱しているようだが、最近ではTPP反対の急先鋒で、電力の自由化や発送電分離にも反対のようだ。それはそれで結構であり、橋下氏に対しても政策論で論争を挑むのならよいのだが、そういう話は一向になく、「とにかく橋下は人間として駄目だ」と繰り返しているに過ぎない。

更に彼が滑稽なのは、彼が頼りとする所謂「日本の保守派」が橋下氏に傾いているのが余程我慢ならないらしく、最近はこういった「日本の保守派」にまで当り散らしている事だ。自分自身は保守派ではない私も、保守派と呼ばれる人達の主張や感性は或る程度理解している積りだが、そういう人達が現在の自民党に失望して橋下氏に魅力を感じているとしたら、それは大変望ましい事だと思っている。橋下氏は色々な事に是々非々で自分の考えを述べているが、橋下氏を一応支持している人達も、必要に応じ、政策ごとに彼の考えに対し是々非々で批判をぶつけるのが健全な姿だと思う。

例えば、原発問題、増税問題、教育問題などでは、私自身も現状では彼とは意見が微妙に異なるが、彼は「事実と論理をベースにした論争」で勝てそうにないと思えば、それまでの自分の考えを180度変える事もやぶさかではないだろうし、実際に行政を行うに当たっては、相当に現実的且つ柔軟になってくれるだろうとも思っている。ネット上での議論や、世論調査などであぶりだされた所謂「民意」が、自分のそれまでの考えと異なっていると感じた時には、彼なら、「この件については、これまでの自説には拘らず、民意に従って動く事に決めた」と簡単に言うだろう。

さて、私が最も恐れるシナリオは何か? それは比較的早い時期に解散総選挙が行われ、民主党は惨敗、自民党もやや議席を落とし、衆議院は、自民、民主、公明、大阪維新、みんな、共産、それに多くの小党が雑然と並ぶ状態になる事であり、その上で、様々な政治的駆け引きを経て、橋下氏が内閣首班に担ぎ出される事だ。

みんなの党は勿論、小沢氏、石原氏、或いは自民党の一部の幹部も、みんな「橋下氏の人気にあやからねば何も出来ない」と考えているようだから、これにはかなりの可能性がある。橋下氏にすれば、「賞味期限」内に自らを高く売る事に成功し、首尾よく自分の理想の実現への最短距離の道筋を得たと思うかもしれないが、ここには大きな罠が潜んでいる。

そもそも、政治の現実は、様々な利害と様々な考えを持つ多くの人達が、お互いにぎりぎりのところで妥協出来る点を探し出し、これを「落しどころ」にする事だ。つまり「利害調整」と「妥協」が避けて通れないのが政治の世界なのだ。もし橋下氏が微妙なバランスの上に立つ連立政権のおみこしに乗ってしまったら、結局「歯切れの良い事」は何も言えなくなり、彼の最大の魅力は大幅に減殺されてしまうだろう。彼を支持してきた有権者の多くは失望し、次の選挙では勝てないだろう。

いや、それ以上に大きな問題がある。

彼の提言の中で、多くの人達が秘かに興味を持っているのは、実は「道州制」「首相公選」「参議院の廃止」などの「憲法改正を前提とする抜本的な政治改革」だ。これこそが、多くの国民が秘かに望む「これまでの体制の全面的なリセット」を、最も劇的な形で実現する象徴的なものなのだが、本気でこれを実現しようとしたら、長時間をかけての準備と、圧倒的な突破力が必要だ。しかし、微妙なバランスの上に立つ連立政権のトップには、この様な荒業を仕掛けて成就させる力はない。先ずは新憲法の骨子を起草しようとしても、連立与党内でのコンセンサス形成の段階で既に多大の時間を費やしてしまい、結局は挫折してしまう事になるだろう。

(ちなみに、前出の中野剛志氏などは、「国家の根幹を揺るがす改革案を平然と掲げる」という言葉で、この事も橋下氏への攻撃材料にしているが、「容易には実現しない事」でも、誰かが言い出さなければ永久に実現しないのであり、こういう批判は全く意味を成さない。こういう議論を、困難を承知の上で「平然として進める」事こそが、今多くの国民が政治家に求めている事なのだ。)

それでは、結論として「橋下氏はこれから何をすればよいのか」と問われれば、私なら下記のようにアドバイスしたい。

1)先ず「大阪都」(私は、小林よしのりの様な人の誤解を招きやすい「都」という言葉をわざわざ使わないでも、「特別市」で十分と思うのだが)を遅滞なく作り上げ、これを立派に運営し、「実績に裏付けられた信用」を築き上げる。(橋下氏自身も、この経過において多くの経験を積み、政治家としての成熟度も高める事が出来るだろう。)

2)「維新の会」を充実させ、良い候補者を選別し、来るべき衆院選挙で40~50議席を確保し、第三極の代表勢力としての地位を確保する。但し、各党派からの誘いには乗らず、あくまで野党の立場を堅持する。(橋下氏自身が議員になる必要はなく、特別に招請されない限りは、国会で演説をする必要もない。)

3)衆議院では「健全な野党」としてのお手本を示す。即ち、全ての事に是々非々で対応し、連立与党の提案でも、基本的な理念に違いがないものについては積極的に協力(建設的な修正案の提案を含む)する。勿論、理念が異なるものについては断固として反対し、最後まで闘って葬り去る。

4)この間に、各地方の首長と協力して「地方分権化」を徹底的に追求し、その延長線上にある「道州制*」の実現についても意欲的に動く。 

*「道州制」については、非常に古い記事で恐縮ながら、2009年3月7日の私のアゴラの記事をご参照下さい。また、この記事の中には、「道州制」とは何の関係もない事ながら、橋下氏なら実現できるかもしれない「政-官-民のコミュニケーションの完全電子化」の提案もなされていますので、併せてご参照頂ければ幸いです。

5)この間に、「財政再建問題」と「原発問題(長期エネルギー戦略を含む)」については、ブレインを強化してより幅広い叡智を結集し、深い見識に基いた「現実と矛盾しない政策」を確立し、可能な範囲でこれを実行する。

6)この間に、各党の同志と語らって、具体的な「憲法改正案」を作り上げ、次回の選挙では、この「憲法改正案」を前面に掲げて戦挙戦を行う。(「橋下内閣は、長年の懸案であった憲法改正を遂に実現し、これまでの閉塞感を最終的に打ち破る内閣である」という目標を、これから漸次明確にしていく。)

そんな回りくどい事をしていたら、色々な問題が起こって求心力がなくなり、「賞味期限」が切れてしまう(折角の橋下人気も色褪せてしまう)と考える人達も相当いるだろうが、もしその程度で切れてしまう「賞味期限」なのなら、橋下氏はもともとその程度の人物だったという事であり、夢は早く醒めてしまった方が、本人の為にも日本の為にもなるだろう。

橋下徹氏の「賞味期限」を、私自身は取り敢えず「2017年の6月迄」と見ておきたい。つまり「5年以内に結果を示して呉れたらそれでよい」と、少なくとも私は思っている。それまでにどういう紆余曲折を経るかは、彼が好きなように設計すればよい。繰り返して言うが、勝負を急いで自らの政治生命を不必要に縮め、彼に期待した人達の希望を簡単に打ち砕いてしまう事だけは、何としても避けて欲しい。