国際社会から取り残されないために:英語学習の現状について

松岡 祐紀

先日アゴラに「正しい目標設定のために:TOEICをdisってみる」というエントリーを書いたが、そのなかの反響のなかで気になったのが、学習の習熟度を計るテストと「資格」を混同している人たちが多くいたので、そのことについて書いてみたい。

一般に資格とは、試験に合格した者に与えられる地位だけでなく、法的地位や経済状況、身体情況などの基準を満たし、入会資格、入場資格、入札資格、発言をする資格など、社会の多様な場面で、行為に相応しいと認める条件について使用される言葉である。

上記がウィキペディアによる資格の定義である。TOEICは公式HPによると「TOEIC(トーイック)とはTest of English for International Communicationの略称で、英語によるコミュニケーション能力を幅広く評価する世界共通のテストです」となり、TOEICはあくまで英語の習熟度を計るテストとなる。

日本におけるTOEICの問題は、本来はテストであるはずのTOEICがいつのまにか「資格」になっているという一点に尽きると思う。


まずは最初に英語の基礎的な学力を身に付け、コミュニケーションが成立できるぐらいの英語力を習得して、その習熟度を計るためにテストを受けるというのが英語学習の本来あるべき姿だ。

しかし、日本の英語学習の現状は「とにかくTOEICで高得点を取る」ということが先に来ており、そのためだけに勉強する英語学習者も数多く存在する。それが本末転倒だということを指摘し、他にもケンブリッジ検定試験というEUが決めたCEFRに基づいて作成されたテストもありますということを紹介した。(CEFRについては「CEFR(ヨーロッパ共通参照枠)とは何か」をご覧ください)

またケンブリッジ検定試験を紹介したのは、幅広い言語能力を求められるので、試験対策の勉強をしても、実際にコミュニケーションを取る際にとても役に立つからだ。TOEICで900点とっても話せない人が多いという批判とは対照的である。(今、自分自身も同じCEFRに基づいたDELE(スペイン文部省認定証DELE)のための試験勉強をしているが、ここアルゼンチンでの実際の生活にとても役に立って助かっている)

英語学習、またすべての語学学習には終わりはない。ただひたすら毎日学習していくしか上達の道はない。TOEICで高得点を取ろうが、ケンブリッジ検定試験に受かろうが、語学学習という観点から言えばどうでもいいことだ。(あらゆる習熟度テストは「資格」ではないので、点数とその実際の実力には開きがあって当然だ)

テストは、それが終着地点ではなく、あくまでただの通過点にしか過ぎない。だが、いつの間にかTOEICで高得点を取ることが何かの免罪符として独り歩きし、そもそもの目的である「コミュニケーションを成立させる英語力の習得」という目的を忘れがちだ。

回り道に思えるかもしれないが、きちんとコミュニケーションが取れる英語力を身につければ、TOEICで高得点は取れると思う。これからますます英語力が問われる国際社会のなかで取り残されないためにも、目的を取り違えずに、英語学習に邁進すべきではないだろうか。

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