「国民への犯罪」と「民意」というイカサマ

矢澤 豊

私がイギリスの大学で法学部生の1年目をやっていたとき、オリエンテーション的な「法学(Law)」という講義で、ナチス・ドイツにおける「ドイツ国民への犯罪」というテーマの小論文を読まされた。


「ドイツ国民への犯罪」とは、ナチス結党初期から存在したアイディアだが、1933年のドイツ国会議事堂放火事件に便乗したヒットラーの「特別緊急令」により、法的効果を持ち始める。

ナチス・ドイツはこの「ドイツ国民への犯罪」という理由付けを、彼らのファシズム政策のよりどころとし、ユダヤ人迫害をはじめとする非人道的犯罪行為の道を邁進していくことになる。

「法の支配」とは「法律による支配」という行政の方法論ではない。

「法の支配」とは、行政は法律が推戴するところの原則により行われるべきであるという、行政権を拘束する原理である。

したがって、自由・民主主義の原則、法の下の平等を無視して施行された「ドイツ国民への犯罪」という概念は、「法律」という変装をまとった圧政以外のなにものでもなかった。

今は亡き私の父方の祖母は、生前、私によく次の思い出話をしてくれた。

私の父は戦中、1944年の9月に生まれた。祖父は1度目の招集で蘭領東インドからビルマ戦線へと転戦してから帰国・退役後、2度目の招集を受け、不在だった。

祖母はようやく授かった長男の為に、戦前に買ったまま大事にしまっておいたイギリスのヤードレー社製の石けんを使って赤ちゃんを産湯に浸からせていたという。

時あたかも米軍の空襲が続く毎日。祖母は乳飲み児の父を抱いてご近所さんと一緒に防空壕に入るたびに、赤ちゃんの身体の残り香から石けんのことがバレて、「敵国製商品を使用する非国民」とやり玉にあげられないかとビクビクしていたという。

「あたしゃ焼夷弾の直撃よりも、そっちの方が心配だったよ。」

戦後半世紀を経ても、祖母は何度もそう思い出話をしては、悲しい目をしていた。

最近、議論に窮すると「民意が、民意が」と連呼する政治家、オピニオン・リーダーたちがいる。

私は「民意」を尊重はするが、それを絶対だとは決して思わない。大衆心理というものに対しては、相当以上の疑いをもって接している。そしてそうした疑念は健全であり、貴重なものだと信じている。

こうした私の姿勢が「保守的」であるというのであれば、なるほど私は「保守(conservative)」な人間なのだろう。

Peter Guillam: “So Karla’s fireproof. He can’t be bought, and he can’t be beaten.”
George Smiley: “NOT fireproof! Because’s he’s a fanatic! I may have acted like a soft dolt, the very archetype of a flabby Western liberal but I’d rather be my kind of fool than his. One day that lack of moderation will be Karla’s downfall.”

ピーター・ギラム:「じゃぁカーラは不死身ということですか。買収にも応じず、シッポも出さない。」
ジョージ・スマイリー:「不死身じゃない。なぜなら彼は狂信者だからだ。私はやつらがいうところの典型的なマヌケな西側リベラルのようにふるまっているのかもしれないが、私は自分のような愚か者のほうが、あいつらよりもマシだと思っている。いつの日か、あの行き過ぎがカーラの滅亡の元になるだろう。」

ジョン・ル・カレ著「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」

オマケ
父はマリリンの先をいっていたわけか...