菅直人を首相にした「民意」のセンス --- 増沢 隆太

アゴラ編集部

菅氏は予想を上回る「民意」の圧倒的支持を得て首相の座を手にした。ほぼ拮抗した国会議員票400票に対し、党員・サポーター票は菅氏249・小沢氏51となり、地方議員票でも60:40となった菅氏が民主党代表選挙で新代表に選出された。途中経過を含め、テレビでは「やはり小沢さんは『政治とカネの問題』がね」としたり顔でコメントする民主党サポーターである市井のおじさんおばさんの声を大々的に報道され続けた。2010年09月14日の出来事である。


民主党代表選である以上は国民の民意、総意とは呼べないだろうが、それでも当時の、そして今も残る「民意」に近い価値判断だと思う。「小沢氏はダーティ」「政治はクリーンであるべき」だから『菅氏的なもの』が良い、という小泉劇場以来のムード万能が依然として圧倒しているといえるだろう。

国民はとにかく「わかりやすい」「朝からズバッと」「報道をステーション化して」くれることを期待し、0か100か、郵政賛成か反対かという、単純二択を明示してくれる政治家や、見た目や雰囲気のクリーンっぽさを求めるマスコミとその扇動者である司会者に踊らされ続けている。みのもんた氏や古舘伊知郎氏はいずれも元アナウンサー(バラエティ担当)・現司会者(=エンターテイナー)であろう。

未曾有の災害である東日本大震災では、東電事故をめぐり菅氏の指導力が検証されている。東電に対し恫喝は無かったと言う菅氏だが、やはりこの人物のリーダーとしての能力、腹の括り方の欠如があらためて明らかになった点で、この事故調査委には価値があったと思う。

及び腰の東電幹部を怒鳴り散らしたことが罪なのではない。混乱する現場に、本来最高意思決定を最大の任務とすべき最高指導者が、ど素人のぶんざいで現場の専門家に「作業指示」までしてしまった犯罪的な行為が糾弾されているのである。そのことを菅氏当人は全く理解も出来ないし、今回奇しくも自らのリーダーシップ欠如を認めた点で、非常に意義のある参考人聴取だと思う。

震災対応における菅氏は、正に歴史上の敗軍の将そのものであった。ヒステリックに現場介入し、誰もが予見し得ない未曾有の事態における「指導者」としての役割を全く担うことが出来なかった。失敗をすべて部下のせいにし、突然の浜岡原発停止のようなスタンドプレーと自己栄達を根回しなくぶち上げる。

「クリーン」ぽさとは正に菅氏に代表される、何の実行力も無い「風」そのものである。風や劇場選挙で政治家を選らんだ責任はすべて選挙民(民主党選は党員)にある。もちろん全マスコミ総がかりで「風」を煽り、本来の論点をごまかし、バラエティニュースショーで司会者がダーティさをわめきちらし、意味不明な「政治とカネ」という単語だけを振りかざして世論を誘導する。

街頭インタビューで「『政治とカネ』の問題がねぇ」というおじさんおばさんに、「『政治とカネ』の問題ってどんな問題ですか?」と聞くことは絶対に許されない。なぜならそれを答えられる「街頭」はいないからだ。世論誘導が出来なくなってしまうからだ。

政治は現実である。時として100人の命のため、犠牲者を出す「決断」が出来る人でなければ政治家になってはならない。すべての国民に良い顔をしたいとか、批判されることが嫌な人間ではなく、自らの悪名をものともしない決断と、汚名を浴びてもくじけない胆力を持つ者のみが指導者になるべきだ。

菅氏「的なもの」を選んだのは日本人の責任である。

増沢 隆太
東京工業大学大学院 特任教授、人事コンサルタント